NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の放送内容にあわせて書いている解説記事をまとめています。各回で「なぜあの人はあんな行動をとったのか」と気になった場面から読めるように並べました。
いま読まれている記事
豊臣兄弟!第37回「秀長の国」あらすじ予想と史実|秀長は寺社の国・大和をどう治めたのか9月27日放送の回の舞台で、実際に起きたこと
秀長は寺社の国・大和をどう治めたのか:興福寺の寺領を五分の一に、多武峰を郡山へ移した「大和大納言」興福寺の寺領を五分の一に、多武峰を郡山へ
豊臣秀長はどう出世したのか:田を耕していた小一郎が百万石になるまでと、父の違う四人のきょうだい田を耕していた小一郎が、百万石になるまで
なぜ秀長は大和郡山に百万石を与えられたのか:地蔵まで石垣に積んだ、豊臣の弟の頂点地蔵まで石垣に積んだ、豊臣の弟の頂点
豊臣秀長とは:兄・秀吉を支えた大和大納言と、享年52で終わった生涯兄を支えた大和大納言の生涯
豊臣秀長の家臣団とは:桑山重晴・藤堂高虎・吉川平介…百万石を支えた人びとと、その後藤堂高虎・桑山重晴、秀長を支えた人びと
豊臣秀長の子孫・家系はどうなったのか:養子・秀保の十七歳の死と、大和豊臣家の断絶十七歳の秀保の死と、大和豊臣家の断絶
もし豊臣秀長があと十年生きていたら:朝鮮出兵・秀次事件・関ヶ原はどう変わったのか朝鮮出兵・秀次事件・関ヶ原はどう変わったか
大和郡山城:石垣に積まれた逆さ地蔵と、秀長の五年・柳沢家の百五十年石垣に積まれた逆さ地蔵と、秀長の城放送回から探す ― 各回の史実解説
▶ 全話一覧:第1回からのサブタイトル・放送日と史実の舞台(毎週更新)
ドラマの各回で実際に何が起きたのか、45分では描ききれなかった部分を史実から補う連載です。放送回ごとに追加していきます。
▶ 第37回「秀長の国」で出てきた話
- 天正十三年の論功行賞 … 四国攻めと北陸攻めのあと、誰が何をもらったのか
- 大和はなぜ貧しい国だったのか ─ 豊かな土地で国主の財布だけが細かった理由
- 筒井定次はなぜ大和を出されたのか … 伊賀へ移された筒井の跡継ぎ
- 蜂須賀小六の武功と最期 … なぜ阿波を息子に譲り、九か月後に死んだのか
- 磐覚(盤覚)とは … 坂口涼太郎が演じた興福寺一乗院の使者は実在したのか
- 坊官とは … 僧でありながら妻帯し、家を継いだ人びと
- 惣村とは … 石川清兵衛の後ろにあった、村の自治の仕組み
- 磐覚(ばんかく)の地位はどれくらい? … 興福寺の序列で見た坊官の立場
- 石川清兵衛のその後はどうなる? … 検地のあとの大和の庄屋と村の十五年
- 石川清兵衛はなぜ仏罰を恐れたのか ─ 興福寺の裁き・武力・「名を籠める」呪い
- 才蔵と奈良の豪商はなぜ対立したのか … 第38回、秀長の「奈良での商売禁止」と座
- 川窪清俊とは:奈良の豪商は実在したのか
- 座とは ─ 戦国の商人が守った既得権益と、秀長が治める奈良の商人・寺社
- 戦国の商人はどうやって成功したのか:支店も広告もない時代の商い
- 才蔵のその後はどうなる? … 秀長亡きあとの郡山の商人たち
- 奈良墨とは … 才蔵の筆と並んだ奈良の名産「南都油煙」
- 興福寺の別当とは … 大和を治めた寺のトップと、秀長が変えた年貢の集め方
- 春日大社 … 興福寺と一体で大和を動かした仕組み
- 談山神社(多武峰) … 秀長が郡山へ移させた寺と、十三重塔
- 末とは … 池端杏慈が演じる秀長のひとり娘は実在したのか
- 戦国時代の米はまずかったのか … 城の蔵の古米と、村の飯米
- なぜ村は苗を詰めて植えたのか … 戦国の田んぼと年貢の重さ
- 転用石とは … 石仏や五輪塔が石垣に積まれている理由
- 大和郡山城 … 秀長が百万石の政庁として築いた城
- 箱本十三町とは … 秀長が郡山につくった自治のまち(第38回の予習)
- 八坂神社(祇園社) … 秀吉が贈った祇園社の札とは何だったのか
- 壺阪寺(南法華寺) … 紀行で紹介された眼病封じの札所
- 高取城跡 … 紀行で紹介された日本三大山城
- 東大寺 … 大仏殿が二度焼けた寺と、大和の寺社勢力
- 桑山重晴とは … 秀長の家老。紀伊を任された実務家
- 第1〜8回「尾張時代」 … 墨俣一夜城は本当にあったのか。兄弟の出自はどこまでわかるのか
- 戸次川の戦いとは ─ 仙石秀久の渡河と、長宗我部信親・十河存保の戦死
- 長宗我部信親とは ── 林裕太が演じる元親の嫡男、戸次川で二十二歳の死
- 香宗我部親泰とは ─ 元親の弟、阿波を攻め信長・家康と渡り合った外交役
- 吉良親貞とは ─ 元親のすぐ下の弟、土佐の西を任された軍代
- 島親益(島弥九郎)とは ─ 那佐湾の事件が阿波侵攻の口実に
- 第9〜12回「美濃攻略と上洛」 … 竹中半兵衛はなぜ城を奪い、なぜ返したのか
- 第13〜17回「浅井との三年」 … 姉川・比叡山・小谷落城、通説はどこまで正しいのか
- 第18〜21回「羽柴誕生」 … 「羽柴」という姓はどう作られたのか
- 第22〜26回「播磨と官兵衛」 … 三木の干殺しと、二人の軍師が入れ替わった年
- 第27〜29回「本能寺と中国大返し」 … 二百キロを十日で戻った十一日間
- 第30〜31回「清須会議」 … 「勝家が三法師に反対した」は本当か
- 第32回「賤ヶ岳の決闘」 … 勝敗を分けたのは槍ではなく脚だった
- 第33回「北庄城の別れ」 … お市はなぜ二度目の落城で城に残ったのか
- 第34〜35回「最強のライバル」「秀長誕生」 … 小牧・長久手はなぜ痛み分けに終わったのか
- 第36回「姫若子と鬼若子」 … 四国攻めはなぜ二か月で終わったのか
- 第37回「秀長の国」 … 秀長は寺社の国・大和をどう治めたのか
- 第38回「和を以て、大和をなす」 … 郡山の商人と「豊臣」の姓(放送前の予習)
- 第38回、筆者が勝手に予想する見どころ7つ … 才蔵の筆を永徳が使う? 奈良の商売禁止は本当? 清兵衛は再登場する? 小六の回想は?(放送後に答え合わせ)
- 第39回「茶々の本心」 … 石川数正の出奔と、秀吉が茶々を迎えるまで(放送前の予習)
- 石川数正はなぜ家康を裏切り秀吉のもとへ走ったのか
- 石川数正の出奔で徳川家はどう変わったのか ── 軍制を武田流(甲州流)に
- 秀吉が引き抜いた・引き抜こうとした武将たち ── 立花宗茂・直江兼続・片倉小十郎
- 茶々(淀殿)の生涯 ─ 井上和が演じる浅井三姉妹の長女を年表で
- 茶々は弓が得意だったのか ─ 大坂冬の陣で武具をまとった淀殿
- 茶々(淀殿)は本当に悪女だったのか ─ 医学天正記の「気鬱」
- 秀吉に実子はいたのか ─ 石松丸・鶴松・秀頼
- 秀長は本当に秀吉に茶々を勧めたのか ─ 第39回予告と史実
- 秀吉の側室は何人いたのか ── 茶々・松の丸殿・加賀殿ほか一覧と寧々の立場
- 【筆者のもしも】茶々は本当は誰に嫁ぐはずだったのか ── 京極高次・羽柴秀勝・結城秀康
- 浅井井頼とは ── 茶々・初・江の弟、浅井家ただ一人の生き残り
- 淀殿はなぜ豊臣家を仕切れたのか ── 片桐且元・大野治長と女房衆、北条政子らと比較
- 淀城 ─ 茶々が鶴松を産んだ「淀殿」の名の由来の城(淀古城と徳川の淀城跡)
- 真田家とは ─ 幸隆・昌幸・信之・信繁(幸村)の三代六人
- 松代城 ─ 真田信之が上田から移った真田十代の城
- 徳川と真田は何でもめていたのか ─ 沼田領と秀吉の「三分の二と三分の一」の裁定
- 第一次・第二次上田合戦 ─ 真田昌幸はなぜ二度も徳川を退けたのか
- 名胡桃城事件とは ─ 猪俣邦憲はどう奪った?なぜ名胡桃だけ真田領?秀吉・真田の罠説
- 名胡桃城 ─ 北条滅亡の引き金になった真田の城(見どころ・アクセス)
- 北条家の領国とは ─ 最大240万石の領地図・支城と城主・国衆・領国経営
- 北条五代100年の歴史 ─ 伊勢宗瑞(早雲)から氏直まで、版図拡大と関東諸家
- 第40回「あさひの輿入れ」 … 天正地震で消えた家康攻めと、44歳の花嫁(放送前の予習)
- 石川数正が去っても、家康はなぜ秀吉と戦おうとしたのか
- 天正地震で壊れた城一覧 ─ 長浜城・帰雲城・大垣城
- 旭姫(朝日姫)の生涯 ─ 44歳の輿入れと付き従った武将たち
- 徳川家康の妻たち一覧 ─ 正室は築山殿と旭姫の二人だけ
- 旭姫の縁組は家康が求めたのか、秀吉が申し出たのか
- 北条氏政とは(谷原章介)
- 真田昌幸とは
- 小笠原貞慶とは
- 結城秀康(於義丸)とは
- 山内一豊の娘・与祢と天正地震
- 本多作左衛門重次とは
- 本多作左衛門はなぜ大政所の宿所に薪を積んだのか
- 織田信雄とは(山脇辰哉)
- 酒井忠次とは(天野ひろゆき)
- 浅野長政とは(大地伸永)
- 第39回、筆者が勝手に予想する見どころ7つ
- 第40回、筆者が勝手に予想する見どころ7つ
- 甚助(副田吉成)とは ─ あさひ(旭姫)の夫と、旭姫の最期
- 大政所(なか)とは ─ 岡崎へ送られたのは人質と知っていたのか
- 第41回「家康の野望」 … 大政所の人質と、秀長の屋敷の夜(放送前の予習)
- 史実ではこの後どうなる?第38回以降の年表 … 家康の臣従から秀長の死まで
- 豊臣秀長はなぜ「長秀」から「秀長」に改めたのか … 丹羽長秀と同じ名を持っていた男
- 三好信吉(豊臣秀次)はなぜ白山林で大敗したのか … 十七歳の総大将に何が起きたか
- 長宗我部元親はなぜ「姫若子」から「鬼若子」になったのか … 二十二歳の初陣と、一領具足という仕掛け
- 榊原康政はなぜ秀吉に首を狙われたのか … 「野人の子」と書いた檄文と、白山林の朝
- 秀吉はなぜお市の方を助けなかったのか … 娘は城を出た。なぜ母だけが残ったのか
- 浅井三姉妹のその後 … 茶々・初・江はなぜ敵味方に分かれたのか
- 柴田勝家とお市の辞世の句 … ほととぎすに託された、名と別れ
- 北ノ庄城の天守は本当に九層だったのか … フロイスの記録と、地表に残る石垣
- お市の方はなぜ柴田勝家と再婚したのか … 信長はもういなかった
- お市の方とは ─ 信長の妹は誰に嫁ぎ、なぜ北ノ庄城で最期を迎えたのか
- 秀吉はお市の方が好きだったのか ─ 恋物語の真偽と、大河で秀長が想いを寄せる理由
- 特別展「豊臣兄弟!」江戸東京博物館 ─ 会期・見どころと展示の歴史解説
- 黒田長政とは ─ 関ヶ原を「戦う前に」勝たせた官兵衛の息子
- 豊臣秀長は賤ヶ岳で何をしていたのか … 秀吉が戦場を離れられた理由
- 西光寺:勝家とお市の墓には遺骨がない … 誰が、なぜ建てたのか
- 秀頼は本当に秀吉の子だったのか … 四百年消えなかった疑惑の正体
- 織田信雄はなぜ家康に断りもなく和睦したのか … 第34回「最強のライバル」
- 池田恒興の「中入り」はなぜ失敗したのか … 賤ヶ岳と同じ型の失敗
- 森長可とは:森蘭丸の兄「鬼武蔵」 … 長久手で討死した猛将
- 太閤検地と刀狩とは … 兵農分離が戦国を終わらせた
- 聚楽第とは:秀吉が自分で消した城 … 八年で跡形もなく
- 豊臣鶴松はなぜ三歳で死んだのか … 豊臣家崩壊の起点
- 第36回「姫若子と鬼若子」─ 四国攻めと、関白就任
- 豊臣秀長はなぜ四国攻めの総大将に選ばれたのか … 兄が渡らなかった夏と、十万の指揮
- 長宗我部兄弟とは何者か … 元親を支えた吉良親貞と香宗我部親泰
- 長宗我部元親はどうやって土佐を統一したのか … 本山・安芸・一条と戦った十五年
- なぜ長宗我部元親は海で秀吉を止められなかったのか … 八百艘の船団と、瀬戸内を持たなかった男
- 一領具足とは … 田の畦に具足を置いた兵
- 長宗我部と香宗我部は何が違うのか … 一文字違いの名字の由来
- 長宗我部元親の妻は誰だったのか … 石谷家の娘と、春日局につながる縁組
- 長宗我部氏はどうなったのか … 戸次川で嫡男を失い、浦戸で国を失うまで
- 仙石秀久はなぜ改易され、なぜ大名に戻れたのか … 戸次川で全軍を失った男と、小諸五万石
- 三好康長とは何者か … 信長に二度許された三好の長老と、秀次の養父
- 豊臣秀次はなぜ「三好信吉」と名のっていたのか … 長宗我部包囲網と、二度の養子
- 秀吉はなぜ関白になったのか … 征夷大将軍を選ばなかった理由と豊臣姓の創出
- 近衛前久とは何者か … 秀吉を猶子にした公家と、猶子と養子の違い
- 秀吉は京都で何をしていたのか … 妙顕寺城、御所の修理、公家への知行
- 豊臣兄弟と長宗我部兄弟 … 同じ形の兄弟が、なぜ違う場所に着いたのか
- 白地城跡 … 元親が四国統一の根拠地にした四国の十字路
- 一宮城(阿波) … 青石の石垣と竪堀が残る山城
- 勝瑞城跡・勝瑞城館跡 … 土塁を持たなかった三好氏の館
- 岡豊城跡 … 長宗我部元親の本拠
この四本は、続けて読むと面白い
前田利家・佐々成政・まつの三人は、同じ時期に同じ北陸で、まったく違う選択をしました。順に読むと「家を残す家」と「筋を通して滅びる家」の違いが見えてきます。
- 前田利家はなぜ賤ヶ岳で退いたのか
動かなかった男。ではなぜ翌年は自分から突っ込んだのか? - 末森城の戦い:なぜ六倍の兵に勝てたのか
敗れた佐々成政は、なぜあそこまで無茶をしたのか? - 佐々成政はなぜ真冬の北アルプスを越えたのか
同じ立場だった前田は、なぜ生き残ったのか? - まつ(芳春院)はなぜ自ら人質になったのか
その原理が最初に現れたのが、1の賤ヶ岳でした
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豊臣秀長 ─ 主人公を知る
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- 豊臣秀長とは:兄・秀吉を支えた大和大納言と、享年52で終わった生涯
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大和 ─ 秀長が任された国と、その前にいた人びと
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- 尾藤知宣とは ─ 九州攻めの根白坂で全てを失った秀長の軍の武将
- 加藤光泰とは ─ 秀吉の怒りで秀長に預けられ、甲斐の大名へ
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- 小堀正次とは ─ 秀長の検地奉行をつとめた、小堀遠州の父
- 小堀家の家系 ─ 小室藩の改易から、幕末の再興と遠州流の子孫まで
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- 才蔵とは ─ 間宮祥太朗が演じる筆屋は実在? 奈良筆と、郡山に集められた商人
- 才蔵は筆のほかに何を売った? ─ 郡山の町名と多聞院日記から読む戦国奈良の商い
- 才蔵のモデルはいたのか ── 戦国の奈良・郡山に実在した商人たち
- 石川清兵衛とは ─ 伊藤健太郎が演じる大和郡山の庄屋は実在? 村はなぜ寺に年貢を納めたのか
- 伊藤健太郎が演じた歴史の役まとめ ── 光る君への双寿丸、アシガールの若君から石川清兵衛へ
- 末(すえ)のモデルは誰? ─ 池端杏慈が演じる秀長の娘は、誰に嫁ぎどうなったのか
- 奈良筆とは ─ 空海に始まる筆づくりと、「練り混ぜ」の技
- 戦国の筆は何の毛でできていたのか:ヤクと「羊毛」の正体
- 庄屋とは ─ 名主・肝煎との違いと、戦国の村から江戸の村役人になるまで
- 磐覚は今後も出てくるのか ── 一乗院の坊官と、興福寺のその後
- 【筆者の妄想】磐覚の一生を勝手に書いてみた ─ 一乗院の坊官は、なぜ秀長の前に立ったのか
織田家時代の合戦と城攻め ─ 墨俣から鳥取まで
- 墨俣一夜城はどう築かれたのか:秀吉と川並衆の知略を図解とイラストで解説
- 竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取りとは:十数人で城を奪い龍興に返した事件の全容
- 竹中半兵衛と三顧の礼は本当?秀吉が三度訪ねた逸話の元ネタと史実
- 金ヶ崎の退き口とは:信長最大の危機の全容と、しんがりを務めた木下兄弟
- 姉川の戦いとは:織田・徳川と浅井・朝倉の激突の全容と、木下勢の戦い
- 小谷城の戦い(小谷落城)とは:秀吉兄弟が京極丸を落とした夜
- 三木合戦 完全ガイド:秀吉の「三木の干殺し」と別所長治の最期
- 鳥取城の渇え殺し 完全ガイド:秀吉の兵糧攻めと吉川経家の最期
天下統一への道
- 小牧・長久手の戦いはどっちが勝った?秀吉と家康 唯一の直接対決をわかりやすく解説
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- 根来衆とは何者だったのか:鉄砲を最初に持った僧たちと、弾痕の残る国宝大塔
- なぜ秀吉は太田城を水攻めにしたのか:総延長五〜六キロの堤と、紀州征伐の一ヶ月
- 高野山はなぜ秀吉に焼かれなかったのか ─ 根来寺は二日で焼け、高野山は木食応其の交渉で残った
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- 旭姫と大政所:秀吉はなぜ妹と母を差し出したのか 家康を臣従させた人質外交
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- 小田原征伐で北条氏政はなぜ降伏しなかったのか?「小田原評定」の意味も解説
- 朝鮮出兵(文禄・慶長の役)をわかりやすく解説!秀吉はなぜ海を渡ったのか
- 家康はなぜ秀吉に臣従したのか ─ 旭姫の輿入れ、大政所の人質、そして秀長の屋敷での対面
豊臣政権の人びと
- 関白とは ─ 摂政・太閤との違いと、就任できた五つの家
- 関白・太政大臣・左大臣・右大臣・内大臣の序列 … どれがいちばん偉いのか
- 藤堂高虎とは ─ 七度主君を替えた男が、最初に築いたのは秀長の和歌山城
- 結城秀康とは ─ 家康の次男・於義丸が「養子」という名で秀吉に送られるまで
- 北政所ねね(高台院)とは〜天下人・秀吉を支えた糟糠の妻の実像と、子飼い武将たちに慕われた政治力
- 慶(ちか)とは ─ 『豊臣兄弟!』で吉岡里帆が演じる秀長の妻、慈雲院と呼ばれた正室の生涯
- 毛利秀元とは ─ 秀長の娘きくを妻にした毛利の跡継ぎと、関ヶ原「宰相殿の空弁当」
- 茶々(淀殿)はなぜ仇・豊臣秀吉の側室になったのか?年の差32歳の真相を解説
- 茶々はなぜ淀殿と呼ばれたのか:秀長が普請した城と、もう一つの淀城
- 聚楽第は城なのか館なのか:堀四十三メートル、馬出三か所
- 城代とは何か:秀長が三か国に置いた留守居と、和歌山の桑山重晴
- 秀長はなぜ商人に金を貸したのか:大名貸しの逆を回した町づくり
- 秀吉はなぜ城をいくつも建てたのか:四つの拠点の役割分担
- 石田三成:なぜ嫌われ、なぜ敗れたのか〜豊臣政権を支えた天才官僚の実像と関ヶ原の真実
- 黒田官兵衛(如水):秀吉が最も恐れた天才軍師〜有岡城の幽閉から関ヶ原の九州切り取りまで
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- 源平藤橘とは ─ 天皇が与えた四つの氏と、五番目の氏「豊臣」
- 石田三成と茶々(淀殿)の関係:関ヶ原で淀殿は三成の味方だったのか
- 初(常高院)とは:浅井三姉妹の次女、大津城に籠城し大坂の陣で和睦をまとめた生涯
- 狩野永徳とは ─ 片岡鶴太郎が演じる、信長と秀吉の城を描いた絵師
- 安土山図屏風はどこへ消えたのか:信長がローマ教皇に贈った安土城の絵
- 狩野派はどうやって江戸幕府の御用絵師になったのか ─ 探幽と奥絵師四家
- 上田宗箇とは ─ 丹羽家の武将で古田織部の弟子、改易されても浅野家に迎えられた茶人
- 片岡鶴太郎が演じた歴史上の人物 ── 大河八作と時代劇の役まとめ
豊臣家の終わり
- 秀次事件はなぜ妻子三十九人にまで及んだのか
- 駒姫とは ─ 秀次と顔も合わせないまま、十五歳で三条河原に送られた娘
- 秀次事件をわかりやすく解説!豊臣秀次はなぜ切腹させられたのか、殺生関白の真相
- 秀吉は秀次に腹を切らせるつもりはなかった?『医学天正記』から読み解く秀次事件 ── 悲劇はなぜ起きたのか
- 歴史探偵『医学天正記』とは:日本最古のカルテに残る輝元・氏郷・茶々の病と、秀次切腹のもうひとつの理由
- 豊臣秀吉はなぜ千利休を切腹させたのか?大河『豊臣兄弟!』が描く師弟の悲劇をわかりやすく解説
- 秀吉の死後、なぜ天下は家康に傾いたのか?五大老・五奉行と関ヶ原前夜をわかりやすく解説
- 関ヶ原の戦いをわかりやすく解説!なぜ西軍は有利な布陣で負けたのか
- 小早川秀秋はなぜ裏切ったのか?関ヶ原の“主役”と21歳での急死の真相
- 大坂の陣(冬・夏)をわかりやすく解説!真田幸村の奮戦と豊臣家の滅亡
- 三好信吉(豊臣秀次)の兄弟はどうなったのか ─ 弟の秀勝・秀保と、三年で三人の息子を失った母
- 三好信吉(豊臣秀次)と秀吉の養子たち ─ 後継ぎ候補はなぜ次々と消えたのか
- 秀次はなぜ大名に金を貸していたのか ─ 細川忠興の黄金二百枚と、血判を押した二十八人
- 豊臣秀次の妻と子は何人いたのか ─ 正室は誰か、側室と子女を史料でたどる
- 木下姓の人々は誰の系統か ─ ねねの実家・木下家定の一族
- 木下一族一覧 ─ 秀吉・秀長から、木下家定の八人の息子まで
その前史
- 本能寺の変:なぜ明智光秀は天下を取れなかったのか〜信長最期の11日間と秀吉の中国大返しを読み解く
- 蜂須賀正勝と秀吉の織田家時代 ─ 木曽川の蜂須賀党から、墨俣・金ヶ崎の退き口・小谷攻めまで
- 川並衆とは何者だったのか ─ 木曽川の土豪たちと、大名になれた者・なれなかった者
- 前野長康(将右衛門)とは ─ 墨俣から但馬出石十一万石へ、そして秀次事件
- 蜂須賀正勝と前野将右衛門の結末はどこで分かれたのか ─ 武功の時代が終わるとき
- 蜂須賀正勝(小六)はいつまで出るのか ─ 高橋努が語った回想と、台本になかった宴の場面
ゆかりの城をめぐる
記事に登場する城は、それぞれ現地写真つきの個別ページがあります。豊臣秀吉・秀長ゆかりの城めぐり完全ガイドから、大坂城・長浜城・大和郡山城などをたどれます。
- 宇陀松山城 ─ 秀長の家臣が守った大和の山城と、小堀遠州が壊した総石垣
- 小泉城 ── 羽田正親が守った郡山の西の城、のちの片桐石州の陣屋
- 慈光院 ── 片桐石州の茶の寺。秀長の家老の子から受け継いだ利休の茶
- 備中松山城 ─ 天守が現存する唯一の山城
- 佐和山城跡(彦根市) ─ 「三成に過ぎたるもの」と呼ばれた石田三成の城
- 福井城跡 ─ 結城秀康が北ノ庄城の上に築いた越前六十八万石の城
- 金子城 ─ 武蔵から来た金子氏が三百年守った新居浜の山城
歩いて確かめたくなったら
この特集で読んだ城は、いまも歩けます。お市の方が生きた三つの城—安土・小谷・北ノ庄を、実際に車でたどった記録が姉妹サイトにあります。
当サイトの各城の解説 … 安土城/彦根城/長浜城/小谷城/一乗谷城/北ノ庄城
※ 記事は放送の進行にあわせて追加していきます。
