- 聚楽第行幸(じゅらくだいぎょうこう)は、天正16年(1588)4月14日から18日まで、後陽成天皇が秀吉の聚楽第を訪れた出来事です。はじめ3日の予定が5日に延びました
- 秀吉は天皇に京の地子銀(土地の税)5530両あまりを献上し、公家や門跡にも領地を与えました。天皇と朝廷を大切にする天下人の姿を、都の人びとに見せたのです
- 行幸の2日目、家康・織田信雄・秀長・秀次・宇喜多秀家・前田利家らの大名が、天皇の前で「関白の命令に背かない」と誓う起請文を出しました
- 天皇を迎えた聚楽第で、大名たちが秀吉への服従を誓う。行幸は、秀吉の天下を目に見える形で示す儀式でした
聚楽第行幸とは、天正16年(1588)4月、後陽成天皇が秀吉の聚楽第に5日間とどまった出来事です。天皇が臣下の屋敷を訪れるのは室町時代の足利将軍家以来のことで、秀吉はこの機会を、天下人の権威を示す大きな舞台に仕立てました。『豊臣兄弟!』第43回「殿下の刀狩り」の時期にあたる、天正16年の春の出来事を紹介します(聚楽第とは)。
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いつ、どのように行われたのか
聚楽第は、秀吉が京都に築いた政庁で、天正15年9月に完成しました。翌年4月14日、後陽成天皇は御所を出て、長い行列とともに聚楽第へ向かいます。公家や大名が付き従った行列は、御所から聚楽第まで途切れることなく続いたと伝わります。秀吉は行列の後ろのほうで天皇の牛車に続きました(聚楽第は城なのか館なのか)。
行幸は3日の予定でしたが、5日に延ばされ、天皇は18日に御所へ戻りました。そのあいだ、聚楽第では和歌の会や舞楽が催され、秀吉は天皇を手厚くもてなしました。このときの様子は、秀吉の御伽衆・大村由己の『聚楽行幸記』に詳しく書かれています。
| 日 | おもなできごと |
|---|---|
| 4月14日 | 後陽成天皇が聚楽第に入る |
| 4月15日 | 秀吉が地子銀などを献上。大名たちが起請文を出す |
| 4月16日 | 和歌の会 |
| 4月17日 | 舞楽などの催し |
| 4月18日 | 天皇が御所に戻る |
秀吉は天皇に何を献上したのか
行幸の2日目、秀吉は京の町の地子銀(土地にかかる税)5530両あまりを、天皇の暮らしのための料所として献上しました。さらに、正親町上皇や公家、門跡(皇族や公家が入る寺)にも、近江などに領地を与えています。戦国の長い戦乱で、朝廷の財政は苦しい状態が続いていました。それを天下人が支えてみせることは、秀吉の力と、朝廷との結びつきを同時に示すことでした(秀吉はなぜ関白になったのか)。
天皇の前で誓った大名たち
同じ日、大名たちは天皇の前で起請文(神仏に誓う誓約書)を出しました。その中身は、天皇や公家の領地を侵さないこと、そして関白秀吉の命令に何ごとも背かないことです。最初に名を連ねたのは、織田信雄・徳川家康・豊臣秀長・豊臣秀次・宇喜多秀家・前田利家の六人でした。続いてほかの大名たちも誓いを立てています(臣従した家康は何を得たのか)。
天皇への忠誠を誓う形をとりながら、実際には秀吉への服従を誓わせる。これが行幸のもう一つのねらいでした。2年前に臣従した家康も、ここで改めて秀吉に従うことを誓ったことになります。秀長はこのとき権大納言で、秀吉の弟として大名の最上位に並んでいました。
行幸のあと ─ 刀狩令と北条家
行幸の3か月後、天正16年7月8日に秀吉は刀狩令と海賊停止令を出します。大名たちを天皇の前で従わせた秀吉は、百姓や海の武士たちの武力も、自分の管理のもとに置こうとしたのです(刀狩令とは、海賊停止令とは)。
いっぽう、行幸に姿を見せなかった大名もいました。関東の北条家です。秀吉は北条家に上洛を求め、8月には北条氏政の弟・氏規が聚楽第にやってきます。しかし氏政本人は動かず、これがのちの小田原攻めにつながっていきました(北条氏規とは)。
よくある質問
Q. 聚楽第行幸はいつですか?
A. 天正16年(1588)4月14日から18日までです。
Q. 聚楽第行幸に来た天皇はだれですか?
A. 後陽成天皇です。
Q. 聚楽第行幸で大名は何を誓ったのですか?
A. 天皇や公家の領地を侵さないこと、関白秀吉の命令に背かないことを起請文で誓いました。
Q. 聚楽第行幸の記録はありますか?
A. 大村由己の『聚楽行幸記』に詳しく記されています。
まとめ
聚楽第行幸は、天正16年4月、後陽成天皇が秀吉の聚楽第に5日間とどまった出来事でした。秀吉は天皇と朝廷に地子銀や領地を献上し、大名たちには天皇の前で関白への服従を誓わせました。天皇の権威と天下人の力を一つの舞台で見せたこの行幸のあと、秀吉は刀狩令や海賊停止令で天下の武力をまとめ、従わない北条家へと目を向けていきます。
参考:大村由己『聚楽行幸記』/『御湯殿上日記』/藤井讓治『天下人の時代』吉川弘文館

