豊臣兄弟!第45回「天下人の暴走」あらすじ予想と史実|秀長の年頭欠席、聚楽第の落書、茶々の懐妊、北条氏政の誘い

大和郡山城の天守台から見おろす郡山の町
この記事のポイント
  • 『豊臣兄弟!』第45回「天下人の暴走」は、11月22日(日)放送予定です。舞台は天正16年の暮れから天正17年(1589)にかけてです
  • 伝えられているあらすじでは、吉川平助の死から兄を許せない秀長が年頭の儀を欠席し、秀次が式を取り仕切ります。茶々の懐妊、それを揶揄する落書き、北条氏政からの下剋上の誘いが続くようです
  • 史実では、正月の拝謁は秀長が欠席したのではなく、秀吉が許さなかったとされます。聚楽第の落書事件では、番衆や天満の町の人びとが処刑されました
  • この記事では、第45回に出てきそうなできごとを、年表と史実の解説でまとめて予習します

大河ドラマ『豊臣兄弟!』第45回「天下人の暴走」は、11月22日(日)放送予定です。前回の第44回で家臣の吉川平助を失った秀長と、兄・秀吉の関係はどうなるのか。そして天下人となった秀吉の「暴走」とは何を指すのか。この記事では、伝えられているあらすじをもとに、第45回の舞台となる天正17年(1589)の史実を予習します。あらすじはネタバレ系サイトの情報にもとづくもので、放送内容と異なる場合があります(第44回「ある家臣の死」あらすじ予想と史実)。

目次

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第45回「天下人の暴走」のあらすじ(予想)

伝えられているあらすじは、おおよそ次のとおりです。

  • 天正16年の暮れ、秀長(仲野太賀さん)は吉川平助の位牌に手を合わせ、兄を許せずにいる。妻の慶にうながされても、年頭の御礼に行こうとしない
  • 聚楽第の年頭の儀に秀長の姿はなく、秀次(山田涼介さん)が式を取り仕切って秀吉(池松壮亮さん)にほめられる。席次をめぐって加藤清正が三成との順番に異を唱える
  • 黒田官兵衛が秀吉に「秀長を遠ざけたのは間違いだ」と意見する
  • 茶々が懐妊し、秀次は動揺する。茶々の懐妊を揶揄する落書きが見つかる
  • 秀長は北条氏政から、兄を見限って立てば北条は力を貸すと、下剋上を勧められて葛藤する

第45回の舞台・天正17年の年表

時期 できごと くわしい記事
天正16年12月 吉川平介が処刑される 吉川平介とは
天正17年正月 秀長、年頭の拝謁を許されない 秀吉と秀長は仲たがいしたのか
2月25日 聚楽第の落書事件 聚楽第の落書事件とは
5月20日 聚楽第で金賦り 秀吉の金賦りとは
5月27日 茶々が淀城で鶴松を産む 淀城
5月ごろ 黒田官兵衛が隠居 官兵衛の隠居
10月 名胡桃城事件 名胡桃城事件とは
11月24日 秀吉が北条氏に宣戦を告げる 天正十七年に何が起きたのか
大和郡山城の追手向櫓と多聞櫓
秀長の居城・大和郡山城の追手向櫓と多聞櫓(大和郡山城)

年頭の儀 ─ 秀長は欠席したのか、拒まれたのか

ドラマでは秀長が自分の意思で年頭の儀を欠席するようですが、史実では逆に、秀吉が秀長の拝謁を許さなかったとされます。平介の事件の責めを負わせたもので、天下人として身内にも示しをつける処分でした。ただし秀長はその後まもなく淀城の改修を任され、5月の金賦りではもっとも多い金銀を与えられたと伝わります。兄弟の関係が壊れたわけではなかったのです(秀吉と秀長は仲たがいしたのか)。

▽ よく語られる話
秀長は兄を許せず、天正17年の年頭のあいさつに行かなかった。
▼ 史実ではこうです
史料では、秀長は吉川平介の事件の責めを負って、秀吉に年頭の拝謁を許されなかったとされます。欠席を選んだのは秀長ではなく、拒んだのは秀吉の側でした。

秀次と、清正・三成の席次

このころの秀次は22歳。近江八幡山城を本拠とする大名で、秀吉に実子がいないあいだは跡継ぎの有力な候補でした。ドラマで秀次が年頭の儀を仕切るのは、その立場を表したものでしょう(天正17年の豊臣秀次は何をしていたのか)。

席次をめぐる清正と三成の対立は、のちの関ヶ原につながる豊臣家臣団の亀裂として知られています。ただ、その対立がいつから、どのような形で始まったのかには、さまざまな見方があります(加藤清正・福島正則と石田三成はなぜ不仲だったのか)。

官兵衛の直言と隠居

ドラマで秀吉に意見する黒田官兵衛は、史実ではこの天正17年に44歳で家督を長政に譲り、隠居しています。「秀吉に才能を恐れられたから」という有名な話がありますが、これは江戸時代の逸話にもとづくものです(黒田官兵衛はなぜ天正17年に隠居したのか)。

夜の聚楽第の門のそば、白壁に書かれた落書を提灯で照らす番衆たちのイメージ(イラスト)
聚楽第の落書事件のイメージ(イラスト)

茶々の懐妊と聚楽第の落書

天正17年2月25日、聚楽第の白壁に秀吉を批判する落書が見つかりました。犯人はわからず、秀吉は警備の番衆17、8人を処刑し、容疑者の尾藤道休をかくまった本願寺を追及して、天満の町の60人あまりを磔にしました。落書の中身は同時代の記録に残っておらず、茶々の懐妊を当てこすったものだったかどうかは確かではありません(聚楽第の落書事件とは)。

茶々は5月27日、淀城で鶴松を産みます。53歳まで確かな実子のなかった秀吉の子として、当時から疑いの声もありました(鶴松の父は本当に秀吉なのか)。

北条氏政の誘いは史実か

北条氏政が秀長に下剋上を勧めたことを示す史料は見つかっていません。ドラマの創作と考えられますが、天正17年の北条氏は秀吉への従属をめぐってゆれており、10月の名胡桃城事件をきっかけに小田原攻めへと追いこまれていきます(北条氏政は秀長に下剋上を勧めたのか、名胡桃城事件とは)。

▷ 大河ドラマではどう描かれるか(放送前の予想)
第45回「天下人の暴走」は11月22日(日)放送予定です。放送後に、ドラマで描かれた場面と史実のちがいをこの枠で更新します。

よくある質問

Q. 第45回はいつ放送ですか?
A. 11月22日(日)の予定です。

Q. 第45回の舞台は何年ですか?
A. 天正16年の暮れから天正17年(1589)にかけてです。

Q. 聚楽第の落書事件は史実ですか?
A. 史実です。天正17年2月25日に起き、番衆や天満の町の人びとが処刑されました。

Q. 北条氏政が秀長に下剋上を勧めたのは史実ですか?
A. そうした記録はなく、ドラマの創作と考えられます。

まとめ

第45回「天下人の暴走」は、秀長と秀吉の距離、跡継ぎをめぐる動き、聚楽第の落書事件、そして北条との対立が重なる天正17年を描く回になりそうです。史実では、秀長の拝謁拒否や落書事件の苛烈な処罰の一方で、鶴松の誕生や金賦りなど豊臣家の勢いも頂点に向かっていました。それぞれのくわしい史実は、上のリンクからたどってみてください。

参考:『多聞院日記』/『鹿苑日録』/『言経卿記』/黒田基樹『羽柴秀長の生涯』平凡社新書/柴裕之『羽柴秀長』角川選書

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