豊臣兄弟!第43回「殿下の刀狩り」あらすじ予想と史実|佐々成政の最期、刀狩令と「大仏の釘」、北条氏規の上洛

聚楽第の書院で、上段に座る秀吉の前に献上品を並べて平伏する北条氏規のイメージ(イラスト)
この記事のポイント
  • 第43回「殿下の刀狩り」は11月8日(日)放送の予定です。佐々成政の最期、刀狩令、北条氏規の上洛と、天正16年(1588)の出来事が中心になりそうです
  • 史実の天正16年は、4月に後陽成天皇の聚楽第行幸、閏5月に佐々成政の切腹と肥後の分割、7月8日に刀狩令と海賊停止令、8月に北条氏規の上洛と、秀吉が天下の仕組みを固めていった年でした
  • 刀狩令には「取り上げた刀は方広寺の大仏の釘にする」という一文があります。ドラマではこれが秀長の知恵として描かれるようです
  • 北条家は氏規を上洛させたものの、当主の父・氏政は動かず、これがのちの小田原攻めにつながっていきます

『豊臣兄弟!』第43回のサブタイトルは「殿下の刀狩り」です。北野大茶湯の翌年、天正16年(1588)に秀吉が出した刀狩令が中心になる回です。この記事では、第43回の舞台になる天正16年に実際に何が起きたのかを、四本の補助線でたどります。前回の第42回については第42回「北野大茶湯」あらすじ予想と史実をどうぞ。

▷ 放送前の見どころ(予想)
伝えられているあらすじでは、肥後の一揆の責任を問われた佐々成政(白洲迅)に切腹が命じられ、秀吉(池松壮亮)は二度と一揆を起こさせないために、侍以外の民から刀を召し上げると言い出します。秀次(山田涼介)は「かえって一揆を招く」と反対し、秀長(仲野太賀)は取り上げた刀を大仏の建立に使うことを提案します。聚楽第には北条氏規が参上し、秀吉は氏政本人が来ないことに不満を見せるようです。放送後にこの枠を更新します。
目次

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この回の舞台で実際に起きたこと

天正16年は、九州を平定した秀吉が、京で天下の仕組みを次々に固めていった年です(史実ではこの後どうなる?第38回以降の年表)。

時期 できごと
天正16年4月14日〜18日 後陽成天皇が聚楽第に行幸。大名たちが関白への服従を誓う
閏5月14日 佐々成政が摂津尼崎で切腹
閏5月 肥後を加藤清正と小西行長に分けて与える
7月8日 刀狩令と海賊停止令を出す
7月 毛利輝元が上洛する
8月 北条氏政の弟・氏規が上洛し、聚楽第で秀吉に会う

補助線①:佐々成政はなぜ許されなかったのか

肥後一国を与えられた佐々成政は、検地への反発から起きた国人一揆を抑えきれず、秀吉の大動員でようやく鎮圧されました。成政は天正16年2月に詫びるため大坂へ向かいましたが、秀吉は会おうとせず、閏5月14日に尼崎の法園寺で切腹を命じます。家康や前田利家が助命を願ったとも伝わりますが、許されませんでした(肥後国人一揆と佐々成政の切腹)。成政の若いころの決断については佐々成政はなぜ真冬の北アルプスを越えたのかで紹介しています。

補助線②:刀狩令の三か条

7月8日、秀吉は全国の大名に刀狩令を出しました。①百姓が刀や鉄砲などの武具を持つことを禁じる、②取り上げた刀は方広寺の大仏の釘やかすがいにする、③百姓は農具を持って耕作に励めば子孫まで安泰、という三か条です。同じ日には、海の武士たちの賊船を禁じる海賊停止令も出されました(刀狩令とは、海賊停止令とは)。

▽ よく語られる話
刀狩で取り上げた刀を大仏に使うというのは、秀長が考えた案だった。
▼ 史実ではこうです
刀を大仏の釘やかすがいにするというのは、刀狩令の第二条にはっきり書かれていますが、だれが考えたのかを示す史料はありません。ドラマはこれを、兄の強引な命令をやわらげる秀長の知恵として描くようです。

補助線③:聚楽第行幸と大名たちの誓い

刀狩令の3か月前、4月に後陽成天皇が聚楽第を訪れました。2日目、家康・織田信雄・秀長・秀次・宇喜多秀家・前田利家らの大名が、天皇の前で「関白の命令に背かない」と誓う起請文を出しています。大名たちを天皇の権威のもとで従わせた秀吉は、続けて百姓や海の武士の武力にも手をつけたのです(聚楽第行幸とは)。

補助線④:北条氏規の上洛

秀吉に従っていない大きな大名は、関東の北条家だけになっていました。8月、北条氏政の弟・氏規が上洛し、聚楽第で秀吉に会います。氏規は少年時代に駿府で家康と人質仲間だったといわれ、徳川家とのつながりを持つ外交役でした。しかし実権を握る氏政本人は上洛せず、秀吉の不満は残ります(北条氏規とは)。

刀狩りを「豊臣平和令」の中で見る

大名の戦を止める惣無事令、村の争いを止める喧嘩停止令、そして刀狩令と海賊停止令。秀吉が重ねてきた命令は、まとめて「豊臣平和令」と呼ばれます。戦国の世で当たり前だった「自分の力で争いを解決する」ことを禁じ、天下人の裁きにゆだねさせる仕組みでした(豊臣平和令とは)。

次回以降に効いてくること

第44回「ある家臣の死」(11月15日放送予定)では、秀長の家臣・吉川平介が死罪になる事件が描かれそうです。方広寺の大仏造営のために熊野から運ばれた材木をめぐって起きた事件で、刀狩令にある大仏とも深くつながっています(吉川平介とは)。

賤ヶ岳から5年後、七本槍がどこまで出世していたのかは、天正16年、七本槍はどこまで出世していたのかで一覧にしています。

よくある疑問

Q. 第43回はいつ放送ですか?
A. 11月8日(日)の予定です。

Q. 刀狩令はいつ出されましたか?
A. 天正16年(1588)7月8日です。

Q. 佐々成政はいつ切腹したのですか?
A. 天正16年閏5月14日、摂津尼崎の法園寺で切腹しました。

Q. 北条氏規が上洛したのはいつですか?
A. 天正16年8月です。

まとめ

第43回「殿下の刀狩り」の舞台となる天正16年は、聚楽第行幸、佐々成政の切腹、刀狩令と海賊停止令、北条氏規の上洛と、秀吉が天下の仕組みを固めていった年でした。武器を取り上げる命令に「大仏の釘」という名目をそえたのは、反発をやわらげるための工夫でもあります。そしてその大仏の造営が、次の回で秀長の家臣の運命を変えることになるのです。

参考:「天正十六年七月八日 刀狩令」/大村由己『聚楽行幸記』/『多聞院日記』/藤木久志『刀狩り』岩波新書

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