- 海賊停止令(かいぞくちょうじれい)は、天正16年(1588)7月8日、刀狩令と同じ日に秀吉が出した、海の上での海賊行為を禁じる命令です
- 三か条からなり、①海上での賊船を禁じる、②浦々の船頭や漁師を調べて、海賊をしないと誓う書面を出させる、③領主の油断で海賊が出たら、その領主を処罰して領地を取り上げる、という内容でした
- ここでいう海賊は、ただの盗賊ではありません。瀬戸内の村上氏のように、船の通行料をとって航路の安全を請け負い、戦では水軍として働いた海の武士たちのことです
- 海賊停止令で海の武士たちは独自の力を失い、大名の家臣になるか、海を離れるかを選ぶことになりました
海賊停止令は、天正16年(1588)7月8日、刀狩令と同じ日に出された命令です。陸の百姓から武器を取り上げた刀狩令に対し、海賊停止令は海の上の武力を天下人の管理下に置こうとしたものでした。『豊臣兄弟!』第43回「殿下の刀狩り」の背景として、海賊停止令の中身と、それによって瀬戸内の村上水軍がどうなったのかを紹介します(刀狩令とは)。
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海賊停止令の中身 ─ 三か条
海賊停止令の三か条を、わかりやすく言いかえると次のようになります(刀狩令とは)。
| 条 | 内容(要約) |
|---|---|
| 第一条 | 諸国の海上で賊船を働くことを固く禁じる。備後と伊予のあいだの伊津喜島(斎島)で盗みをした船があったと聞いており、けしからぬことである |
| 第二条 | 国々の浦々にいる船頭や漁師など、船を使う者は、その土地の領主や代官が調べ、今後海賊をしないという誓いの書面を出させ、国主がまとめて差し出すこと |
| 第三条 | 今後、領主の油断で海賊をする者が出たら、悪事をはたらいた者を処罰するのはもちろん、その領主の領地も取り上げる |
第三条がとくに重要です。海賊を出せば、その土地を治める領主まで罰せられる。これにより、大名たちは自分の領内の海の民を、責任をもって取り締まらなければならなくなりました。
戦国の「海賊」とはどんな人びとだったのか
戦国時代の海賊は、通る船をおそう盗賊というより、海の上の領主でした。瀬戸内海の能島・来島・因島の村上氏が代表的で、航路を行く船から通行料(帆別銭など)をとるかわりに、その船の安全を保証しました。戦になれば大名に味方して水軍として戦い、毛利家の水軍の中核も担っています(豊臣水軍とは)。

つまり海賊は、海の交通と物流をおさえる、独立した武力でした。九州を平定し、さらに朝鮮への出兵まで視野に入れていた秀吉にとって、海の上に天下人の命令が届かない勢力が残っていることは、見過ごせない問題だったのです。
村上水軍はどうなったのか
海賊停止令の第一条に名が出てくる伊津喜島(斎島)の件では、能島村上氏の関与が疑われたといわれます。能島村上氏の村上武吉は、秀吉の怒りを買って本拠の能島を離れることになりました。毛利家・小早川家のもとに身を寄せ、やがて海の領主としての独立した力は失われていきます(能島城)。
来島村上氏は、早くから秀吉に従って大名として取り立てられ、のちに豊後の森(玖珠)に移りました。海の武士たちは、大名の家臣として水軍を担うか、海を離れるかを選ぶことになり、海賊が自由に海を仕切る時代は終わりを迎えます。
刀狩令・惣無事令とあわせて
秀吉は九州攻めの前に、大名どうしの私戦を禁じる停戦命令(惣無事令)を出しています。そして天正16年7月8日に、陸の刀狩令と海の海賊停止令を同じ日に出しました。大名の戦争、百姓の武器、海の武力。この三つをすべて天下人の許可のもとに置こうとする命令は、まとめて「豊臣平和令」と呼ばれることがあります(九州停戦令(惣無事令)とは)。
よくある質問
Q. 海賊停止令はいつ出されましたか?
A. 天正16年(1588)7月8日、刀狩令と同じ日です。
Q. 海賊停止令の内容は?
A. 海上での賊船を禁じ、浦々の船頭や漁師に海賊をしない誓いを出させ、海賊を出した領主の領地を取り上げるという三か条です。
Q. 海賊停止令で村上水軍はどうなりましたか?
A. 能島村上氏は本拠の能島を離れ、毛利家のもとで独立した力を失っていきました。
Q. 海賊停止令と刀狩令の関係は?
A. 同じ日に出された命令で、陸と海の武力を天下人の管理下に置くという点で共通しています。
まとめ
海賊停止令は、天正16年7月8日、刀狩令と同じ日に出された三か条の命令でした。海賊を出した領主まで罰することで、大名に海の民の取り締まりを任せ、村上氏のような独立した海の武士たちの力を奪いました。陸の刀狩、海の海賊停止、そして大名の私戦を禁じる惣無事。秀吉は、天下のあらゆる武力を自分の許しのもとに置こうとしていたのです。
参考:「天正十六年七月八日 海賊停止令」(『小早川家文書』ほか)/藤木久志『豊臣平和令と戦国社会』東京大学出版会/山内譲『瀬戸内の海賊』新潮選書

