- 北野大茶湯には、大名や豪商だけでなく、京・奈良・堺などの町人や百姓も参加できました。高札で「若党・町人・百姓を問わず」と呼びかけたからです
- 持ち物は釜一つ、つるべ一つ、飲み物一つでよく、茶がなければ麦こがし(麦を炒った粉)でもかまわない、とされました
- 茶席は北野の松原に畳二枚を敷けばよく、貧しい者は綴じ付けの畳や稲わらのむしろでもよい、と書かれていました。松原には800とも1500ともいわれる茶席が並びました
- 集まった人はくじ引きで秀吉や利休らの茶席に招かれ、身分による差はつけられなかったと伝わります。朱塗りの大傘を立てたノ貫(へちかん)は、秀吉の目にとまってほめられました
北野大茶湯の最大の特徴は、庶民も参加できたことです。天下人の茶会に、町人や百姓が自分の茶席を構えて加わる。それまでの茶の湯では考えられないことでした。では、庶民はどんな準備をして、どう参加したのでしょうか。高札に書かれた条件から、当日の様子までをたどります。全体の流れは北野大茶湯とはでまとめています。
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高札は何を呼びかけたのか
天正15年(1587)7月末、秀吉は京都・奈良・堺などに高札を立てて、10月1日から北野で大茶会を開くと知らせました。その中身をわかりやすく言いかえると、次のようになります(聚楽第とは)。
- 茶の湯に心がけのある者は、若党・町人・百姓を問わず、だれでも来てよい
- 釜一つ、つるべ一つ、飲み物一つを持ってくればよい。茶がなければ麦こがしでもよい
- 座敷は松原に畳二枚でよい。貧しい者は綴じ付けの畳や稲わらのむしろでもかまわない
- 日本の者はもちろん、唐の国の者でも、心がけがあれば来てよい
- 遠くから来る者のために、10日間開く
道具も場所も、ほとんどお金をかけずに参加できる条件です。いっぽうで「参加しない者は、今後茶の湯をしてはならない」という一文もありました。だれでも来てよいと同時に、茶の湯をたしなむ者は来なければならない、という天下人の命令でもあったのです。
茶がなければ麦こがし ─ 庶民の茶の湯
このころ、抹茶は高価なものでした。麦こがしは麦を炒って粉にしたもので、湯に溶いて飲む、庶民にも手の届く飲み物です。高札がわざわざ麦こがしを挙げたのは、「名物の道具や上等な茶を持たなくても、心がけさえあればよい」という考えを示すためだったと考えられます。
これは、武野紹鴎から千利休へと受け継がれた「わび茶」の考え方とも重なります。高価な唐物の道具がなくても、ありあわせの道具で心をこめてもてなす。北野大茶湯は、利休が広めた茶の考え方を、天下の人びとに向けて開いた催しでもありました(わび茶の美意識はどう変わったのか)。
当日の松原はどんな様子だったのか
10月1日、北野天満宮の拝殿には秀吉と三人の茶頭の茶席が設けられ、中央には黄金の茶室が置かれました。拝殿のまわりの北野の松原には、町人や数寄者たちの茶席がずらりと並びます。その数は800とも1500ともいわれます(天下三宗匠とは)。
集まった人びとは、くじ引きで秀吉・利休・宗及・宗久の四つの茶席に数人ずつ招き入れられ、天下人や名だたる茶人から茶をふるまわれたと伝わります。午後になると秀吉は松原の茶席を見て回り、気に入った席には声をかけました。その中で、ひときわ秀吉の目を引いたのが、京の侘び茶人ノ貫(へちかん)の茶席でした。
朱塗りの大傘 ─ ノ貫の茶席
ノ貫は、松原に直径が一間半(約2.7メートル)もある朱塗りの大傘を立て、そのまわりを葭垣(よしがき)で囲んだ、風変わりな茶席を構えたといいます。緑の松原に立つ朱の大傘はよく目立ち、これを見た秀吉は大いに感心して、ノ貫に諸役(税や労役)を免除する特典を与えたと伝わります。
名物の道具を持たない一人の侘び茶人が、工夫ひとつで天下人の目をとめさせた。この話は、北野大茶湯が「心がけがあればだれでも」という呼びかけどおりの場になった瞬間として語られてきました。ノ貫の人柄や逸話は北野大茶湯とはの中でも少しふれています。
一日で終わった大茶会、残ったもの
10日間の予定だった大茶会は、初日だけで打ち切られました。遠くから来た人びとの中には、間に合わなかった人もいたはずです。それでも、天下人が庶民に茶の湯を開いてみせたという出来事は、茶の湯が武家や豪商だけのものから、町の人びとにも広がっていく流れを後押ししました。北野天満宮のあたりには、大茶湯で水をくんだと伝わる「太閤井戸」も残っています(北野大茶湯・名護屋の瓜畑遊び・醍醐の花見はどう違う?)。
よくある質問
Q. 北野大茶湯に庶民は参加できたのですか?
A. はい。高札で若党・町人・百姓を問わずだれでも来てよいと呼びかけられました。
Q. 参加するには何を持っていけばよかったのですか?
A. 釜一つ、つるべ一つ、飲み物一つでよく、茶がなければ麦こがしでもかまわないとされました。
Q. 茶席はいくつ並んだのですか?
A. 北野の松原に800とも1500ともいわれる茶席が並んだと伝わります。
Q. ノ貫(へちかん)とはだれですか?
A. 京の侘び茶人で、北野大茶湯で朱塗りの大傘を立てた茶席を構え、秀吉にほめられたと伝わります。
まとめ
北野大茶湯は、高札で身分を問わず参加を呼びかけ、畳二枚と釜一つ、茶がなければ麦こがしでもよいとした、庶民に開かれた大茶会でした。松原には数百から千を超える茶席が並び、くじで招かれた人びとは秀吉や利休から茶をふるまわれます。その一方で「来ない者は茶の湯禁止」という命令もあり、天下人の力を示す場でもありました。朱の大傘で秀吉を感心させたノ貫の話は、その両方の顔をもつ一日を象徴しています。
参考:「北野大茶湯之記」/『兼見卿記』/『多聞院日記』/熊倉功夫『茶の湯の歴史』朝日選書

