- 10月4日(日)放送の『豊臣兄弟!』第38回「和を以て、大和をなす」で、こうなったらおもしろい、という場面を筆者が勝手に七つ予想しました
- 才蔵(間宮祥太朗)の筆を狩野永徳(片岡鶴太郎)が使う? 永徳が秀吉に見せたものは何か? 奈良での商売禁止は本当にあったのか? などを、史実と照らし合わせています
- 予想は外れるかもしれません。そのぶん、それぞれの予想に「史実ではどうだったのか」を添えたので、放送前の予習にも使ってください
- 放送後、各予想の下にある「答え合わせ」の欄に、当たり外れを追記します
第38回「和を以て、大和をなす」は、秀長が郡山の城下町に商いを呼び込もうとする回です。公開されている予告やあらすじによると、筆屋の才蔵を「起爆剤」にしようとする秀長、移転を拒む奈良の豪商、新しい「氏」に思案する秀吉、そして初登場の狩野永徳と、見どころが詰まっています。ここでは、ドラマの筋を当てにいくというより、「こうなったら歴史好きとしてはうれしい」という場面を七つ選び、それぞれ史実ではどうだったのかを添えました。外れたらごめんなさい、のつもりで読んでください。あらすじと史実の全体像は第38回のあらすじ予想と史実にまとめています。

予想1:間宮祥太朗が演じる才蔵の筆を、片岡鶴太郎が演じる狩野永徳が使う
史実では、永徳が奈良の筆を使ったという記録はありませんし、そもそも才蔵は史料に名前の見えない、ドラマの人物です(才蔵のモデルはいたのか)。ただ、奈良は空海が筆の製法を伝えたという伝承をもつ筆の産地で、写経の多い寺の町として、古くから筆の需要がありました。戦国の筆は、紙を芯に巻いて毛をかぶせる「巻筆」が主流だったとされます。奈良の筆と京の絵師がつながるのは、ありえなくはない組み合わせです。筆と並ぶ奈良の名産・墨については奈良墨とはで紹介しています。
予想2:片岡鶴太郎が演じる永徳が秀吉に見せたのは、大坂城か聚楽第の下絵
史実の永徳は、信長の安土城に続いて、秀吉の大坂城と聚楽第の障壁画を手がけた絵師でした。金地に太い線で大きく描く「大画」で知られ、『唐獅子図屏風』や国宝『檜図屏風』が伝わります。一方で、秀長の郡山城を永徳が描いたという確かな記録は見当たりません。永徳はこの五年後、天正18年(1590)に東福寺の天井画を描いている最中に倒れ、四十八歳で亡くなりました。くわしくは狩野永徳とはで書いています。
予想3:秀長が「奈良での商売禁止」を言い渡す
これは史実です。興福寺の僧・英俊の『多聞院日記』天正13年(1585)10月15日の条に、前日から奈良中の商売が止められ、郡山で売り買いするよう命じられたことが記されています。対象には味噌や酒、柴木、菜、海苔まで含まれていました。天正16年には郡山に十四の町ができ、のちの箱本十三町につながります。ドラマがこの禁令をどこまで正面から描くか、注目です。経緯は才蔵と奈良の豪商はなぜ対立したのかと箱本十三町とはで扱っています。
予想4:秀吉が「豊臣」の名を思いつく場面は、ねねがきっかけ
秀吉が朝廷から新しい氏「豊臣」を許されたのは史実で、源・平・藤原・橘に並ぶ新しい氏として作られました。ただ、時期には天正13年9月説と天正14年12月説があり、名前が決まった経緯を伝える確かな記録はありません。誰が名づけたのかはドラマの腕の見せどころになりそうです。氏と名字の違い、「羽柴」との使い分けは豊臣と羽柴はどう違うのかで整理しています。
予想5:伊藤健太郎が演じる清兵衛と、坂口涼太郎が演じる磐覚が、そろって郡山の商いに関わる
清兵衛も磐覚も、史料に名前は見えず、ドラマの人物と考えられます。ただ、奈良の商人の多くが寺社に納めものをして商売の特権を守っていたのは史実で、商いの問題に寺の坊官が口を出すのは、当時の奈良らしい場面です。二人のことは石川清兵衛のその後はどうなる?と坂口涼太郎が演じる磐覚とはで紹介しています。
予想6:秀長の改革の続きで、伊藤健太郎が演じる石川清兵衛がもう一度活躍する
清兵衛は史料に名前の見えないドラマの人物ですが、庄屋のような村の有力者が、領主の検地や年貢の取り決めに村の代表として関わったのは史実です。秀長が大和で行った指出と検地は、寺社が何段にも分けて吸い上げていた年貢の流れを国主のもとに一本化するものでした(秀長は寺社の国・大和をどう治めたのか)。そのうえで秀長は、寺社が村に無理な労役を課すことを禁じる掟も出しています。改革の成果を村の側から語る人物として、清兵衛の再登場を期待する声がネットで多いのもうなずけます。清兵衛のこれまでとこれからは石川清兵衛とはと石川清兵衛のその後はどうなる?で紹介しています。
予想7:高橋努が演じる蜂須賀小六(正勝)の死が、回想とともにさらりと伝えられる
史実の蜂須賀正勝は、阿波一国を息子の家政に譲ったのち、天正14年(1586)に病に臥せ、一度は回復したものの、その年の5月22日に大坂の屋敷で亡くなりました。享年六十一です。何の病だったのかを記した記録は見当たりません。くわしくは蜂須賀正勝(小六)の武功と最期で、盟友の前野将右衛門(渋谷謙人)に残したという遺言が史料にあるのかは蜂須賀正勝と前野将右衛門の結末はどこで分かれたのかで、高橋努さんが語った役への思いは蜂須賀正勝(小六)はいつまで出るのかで紹介しています。
おまけ:大坂城の茶々にも注目
第38回では、大坂城の茶々(井上和)の存在感が少しずつ強まるとも伝えられています。第39回のタイトルは「茶々の本心」です。秀長が秀吉に茶々を勧めるという展開は史料にない創作と考えられますが、茶々が秀吉の側室になるのは史実では三年ほど後のことです。次回の見どころは第39回「茶々の本心」の予想と史実で先回りしています。

よくある疑問
Q. 第38回はいつ放送ですか?
A. 10月4日(日)の予定です。
Q. 奈良での商売禁止は本当にあったのですか?
A. あったことが『多聞院日記』に記されています。天正13年10月14日から奈良中の商売が止められ、郡山で売り買いするよう命じられました。
Q. この予想はどうやって答え合わせしますか?
A. 放送後、各予想の下の「答え合わせ」の欄に、当たり外れとドラマでの描かれ方を追記します。
まとめ
第38回は、秀長が「国を治める」から「国を豊かにする」へ進む回になりそうです。才蔵の筆と永徳の絵、奈良の商売禁止、「豊臣」の名、清兵衛と磐覚、清兵衛の再登場、そして小六の回想と、筆者が勝手に選んだ七つの予想のうち、いくつ当たるかはわかりません。ただ、奈良の商売禁止や「豊臣」の氏のように、史実の側にはドラマに負けないおもしろい話が残っています。放送を見終えたら、答え合わせにまたこのページをのぞいてみてください。全話の流れは豊臣兄弟!全話一覧にまとめています。
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