- 仙石秀久は秀吉の最も古い子飼いの一人で、讃岐十万石まで上りました。
- 戸次川の敗戦で全軍を崩し、長宗我部信親と十河存保を死なせています。
- 改易され、高野山へ追われました。大名としては一度死んでいます。
- 小田原攻めに無位無官で加わり、武功をあげて赦されました。
- 信濃小諸五万石で復活し、家は幕末まで続きます。
戦国で改易された大名は珍しくありませんが、改易されてから大名に戻った例はほとんどありません。仙石秀久はその数少ない一人です。九州の戸次川で全軍を崩し、長宗我部信親を死なせた責任を問われて讃岐十万石を取り上げられ、四年後に信濃小諸五万石で復活しました。何が彼を落とし、何が彼を戻したのか。
秀吉の最も古い家臣のひとりだった
仙石秀久は美濃の出です。はじめは斎藤氏に属する家に生まれ、織田の手に入ったのち、秀吉の配下となりました。秀吉がまだ一城の主ですらなかったころからの家臣ということになります。
その後の出世は速く、淡路を与えられ、四国攻めの功で讃岐一国、十万石に達しました。賤ヶ岳の七本槍が三千石から始まったことを思えば、この時点で秀久は完全に先を行っています。

高松城。四国攻めの功で、秀久は讃岐一国を与えられました。
九州へ ― 軍監という立場
天正十四年、島津氏に押された豊後の大友氏が救援を求め、秀吉は先発隊を送りました。長宗我部元親・信親の父子、讃岐の十河存保、そして仙石秀久です。
このとき秀久は軍監でした。各家の当主が並んでいても、方針を決めるのは秀吉から送られたこの男だという形です。元親は四国を切り取った経験を持ちながら、一部隊の長にすぎませんでした。

イメージ(イラスト)|川を渡りきる前に、対岸の鉄砲が待っていました。島津の釣り野伏せです。
戸次川 ― 渡って、崩れた
島津軍が鶴賀城を囲んだとき、豊臣方は戸次川をはさんで対峙します。
元親は渡河しての決戦に反対したと伝わります。援軍の本隊が来るまで待つべきだという主張でした。しかし秀久は押し切ります。川を渡って攻めかかったところを、島津の釣り野伏せにかかりました。
結果は壊滅です。長宗我部信親が二十二歳で討たれ、十河存保も戦死しました。そして秀久自身は戦線を離れ、海を渡って讃岐へ引いています。
図でみる|仙石秀久の落ちかたと、戻りかた
図|讃岐十万石を失うのに一日、小諸五万石に戻るのに四年かかっています。
なぜ、改易されたのか
報せを受けた秀吉は激怒しました。讃岐十万石は取り上げられ、秀久は高野山へ追われます。
秀吉にとって痛かったのは、単に負けたことではありません。降したばかりの長宗我部の嫡男を、豊臣の指揮下で死なせたことです。四国を平らげた翌年に、その土地の跡取りを自軍の失敗で失った。九州へ本隊を進める前に、示しをつける必要がありました。
信親を失ったあと、長宗我部の家がどうなったかは別の記事で扱いました。

小諸城跡。改易から四年、秀久はこの城に五万石で入りました。
四年後、小田原で無位無官のまま戦った
高野山に入った秀久は、そのまま終わりませんでした。
天正十八年の小田原攻めのとき、領地も官位もない身で、徳川家康の陣に加わって参陣します。許されていない者が勝手に戦場へ出てきた形です。
そして伊豆の山中城攻めなどで武功をあげました。伝わるところでは、自分の居場所が分かるように鈴を付けて戦ったといいます。功を秀吉に見せるためです。
この働きが認められ、秀久は赦されました。与えられたのは信濃小諸、五万石。讃岐十万石の半分ですが、大名に戻れたこと自体が例外です。
なぜ、戻れたのか
理由は二つに分けられます。
一つは、秀吉が古い家臣を完全には捨てなかったことです。秀久は秀吉が無名だったころからの家臣で、その時代を知る者はもう多くありません。
もう一つは、戻り方を秀久自身が作ったことです。赦しを願い出るのではなく、無位無官で戦場に立ち、目立つようにして働いた。許してくれと頼むかわりに、許す理由のほうを差し出したわけです。
戦国で改易から復活した例が少ないのは、多くの者がこの二つ目をやらなかったからでもあります。

上田城。仙石家は小諸からここへ移り、のちに但馬出石へ入ります。
その後 ― 関ヶ原、そして幕末まで
関ヶ原では東軍につき、小諸を安堵されました。仙石家はのちに信濃上田へ移り、さらに但馬出石へ入って、そのまま幕末まで続きます。
戸次川で全軍を崩した男の家が、二百六十年残ったことになります。
この人をどう読むか
仙石秀久は、評価の割れる人物です。
軍監として判断を誤り、多くの兵と二人の武将を死なせた事実は動きません。一方で、そこから立ち直って家を残した事実も動きません。失敗の大きさと、回復の粘り強さが、同じ一人のなかにあります。
戦国の武将を「有能か無能か」で仕分けると、この人は扱いに困ります。ただ、一度死んだ側から戻ってきた記録を残している人は、ほとんどいません。そこがこの人の特異な点です。

