※この記事の絵は、当時の様子を描いたイメージ(イラスト)です。
お市の方は、織田信秀の娘で、織田信長の妹です。はじめ北近江の浅井長政に嫁いで茶々・初・江の三人の娘を産みましたが、兄の信長と夫の長政が争い、小谷城の落城で夫を失います。本能寺の変のあと柴田勝家と再婚して越前の北ノ庄城に移りますが、翌年、勝家が羽柴秀吉に敗れると、城に残った人びとと最後の宴を開いたのち、勝家とともに自害しました。三十七歳でした。三人の娘は城を出され、のちにそれぞれ豊臣・京極・徳川の家に入ります。
- 織田信秀の娘で、信長の妹。信秀には多くの子がおり、娘のなかで何番目かについては五女とする説などがある
- 最初の夫は北近江の浅井長政。茶々・初・江を産んだが、小谷城の落城で夫を失った
- 本能寺の変のあと柴田勝家と再婚。翌年、北ノ庄城で勝家とともに自害した
- 三人の娘は城を出され、茶々は秀吉の側室、初は京極家、江は徳川秀忠の正室になった
お市の方とは|信長の妹として生まれる
お市は、尾張の戦国大名・織田信秀の娘として生まれました。生まれた年ははっきりしませんが、天文十六年(1547年)ごろとする説が知られています。兄の信長とは十歳以上離れていたことになります。信秀には男子も女子も大勢いて、お市が娘のなかで何番目だったのかは確かではなく、五女とする説などがあります。信長の妹ではなく従妹だったとする見方もありますが、一般には信長の実の妹とされています。戦国一の美女と語られることが多いのも、お市の特徴です。兄の信長については日本の武将ガイドの織田信長で確認できます。
浅井長政に嫁ぐ|信長と北近江を結ぶ婚姻
お市は、北近江の浅井長政のもとに嫁ぎました。時期には諸説ありますが、永禄年間の終わりごろ、信長が美濃を手に入れ、京へ上る道を固めようとしていた時期と考えられています。浅井家と結ぶことで、信長は近江を通って京へ向かう道筋を確保しました。お市は長政とのあいだに、長女の茶々、次女の初、三女の江の三人の娘をもうけます。夫婦仲はよかったと伝えられています。秀吉がのちに長浜の城主となる北近江の地は長浜城でも書いています。
兄と夫が敵に|小谷城の落城
元亀元年(1570年)、信長が越前の朝倉義景を攻めると、朝倉家と古くから結んでいた長政は信長に背きました。お市にとっては、兄と夫が敵どうしになったのです。その後、姉川の戦いを経て三年にわたる争いが続き、天正元年(1573年)、信長は小谷城を攻め落とします。長政は自害し、お市と三人の娘は城を出て信長のもとへ送られました。長政の嫡男・万福丸は、のちに捕らえられて処刑されています。姉川から小谷城落城までの流れは豊臣兄弟!第13〜17回 史実解説で、秀吉がなぜお市を助けなかったのかは秀吉はなぜお市の方を助けなかったのかで書いています。
柴田勝家と再婚|本能寺の変のあとで
小谷城の落城のあと、お市と娘たちは織田家の庇護のもとで九年ほどを過ごしたとされます。天正十年(1582年)、本能寺の変で信長が倒れ、清須会議で織田家の今後が話し合われると、その年のうちにお市は織田家の重臣・柴田勝家と再婚し、越前の北ノ庄城に移りました。信長の三男・信孝の仲立ちがあったとする説が知られています。なぜ勝家だったのかはお市の方はなぜ柴田勝家と再婚したのか、清須会議については清須会議をわかりやすく解説で書いています。
北ノ庄城の最期|最後の宴と、夏の夜のほととぎす
再婚からわずか半年あまり、天正十一年(1583年)四月、勝家は賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、北ノ庄城へ退きます。秀吉の大軍に囲まれるなか、勝家とお市は城に残った家臣たちと最後の酒宴を開き、別れを惜しんだと伝わります。そして翌日、城に火が放たれ、勝家はお市とともに自害しました。お市の辞世として伝わるのが、次の一首です。
さらぬだに うちぬる程も 夏の夜の
夢路をさそふ ほととぎすかな
ただでさえ短い夏の夜の眠りを、あの世への夢路へと誘うほととぎすよ、という意味です。勝家もこれに応えて辞世を詠みました。二人の句の意味は柴田勝家とお市の辞世の句で、北ノ庄城の天守については北ノ庄城の天守は本当に九層だったのかで書いています。
三人の娘のその後|豊臣・京極・徳川へ
落城の前に、茶々・初・江の三姉妹は城を出され、秀吉のもとに引き取られました。長女の茶々はのちに秀吉の側室となって秀頼を産み、次女の初は京極高次に嫁ぎ、三女の江は徳川秀忠の正室となって三代将軍家光を産みます。姉妹は、大坂の陣で豊臣と徳川に分かれることになりました。三姉妹の歩みは浅井三姉妹のその後、茶々と秀頼については秀頼は本当に秀吉の子だったのかをどうぞ。
浅井三姉妹のその後:茶々・初・江はなぜ敵味方に分かれたのか
お市が遺した三人の娘。豊臣・京極・徳川へ、そして大坂の陣。
お市ゆかりの地|柴田神社と西光寺
北ノ庄城があった福井市の中心部には、勝家とお市をまつる柴田神社があります。境内には北ノ庄城の石垣の跡が残り、お市や三姉妹にちなむ石碑や像も建てられています。また、福井市内の西光寺には勝家とお市の墓があり、いまも二人の命日には供養が営まれています。ゆかりの地の詳しい案内は柴田神社(北の庄城址)と西光寺(福井市)、北ノ庄城については北ノ庄城で書いています。
まとめ|二度の落城を生きた戦国の女性
お市の方は、信長の妹として政略結婚で浅井家に嫁ぎ、兄と夫の争いで最初の城を失い、再婚した勝家とともに二度目の落城で命を終えました。その一方で、残した三人の娘は、豊臣家・京極家・徳川家という天下の中枢に入り、その血は将軍家や天皇家にまでつながっていきます。戦国の荒波のなかで、お市が最後に守ったのは娘たちの命だったのかもしれません。北ノ庄城の最後の日については第33回「北庄城の別れ」史実解説でも書いています。
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夏の夜のほととぎすに託した二人の想い。 - 北ノ庄城の天守は本当に九層だったのか
フロイスが見た、お市最期の城。 - 第33回「北庄城の別れ」史実解説
北ノ庄城の最後の一日。 - 浅井三姉妹のその後
茶々・初・江はなぜ敵味方に分かれたのか。 - 西光寺(福井市)
勝家とお市の墓。いまも命日に供養が営まれる。 - 柴田神社(北の庄城址)
勝家とお市をまつる、北ノ庄城の跡。

