- 徳川家康が正室として迎えたのは、築山殿(瀬名)と旭姫(朝日姫)の二人だけです。築山殿が天正7年(1579)に亡くなったあと、7年ほど正室はいませんでした
- 側室は記録に残るだけでも十数人にのぼり、家康は生涯に十一男五女(諸説あり)をもうけました
- 二代将軍・秀忠の母は西郷局、結城秀康の母は於万の方、尾張徳川家の祖・義直の母はお亀の方、紀伊・水戸徳川家の祖・頼宣と頼房の母はお万の方です
- 大坂の陣で和睦の交渉にあたった阿茶局のように、政治の場で活躍した側室もいました
『豊臣兄弟!』第40回では、家康が秀吉の身内を妻に迎えることを和睦の条件にします。では、家康にはどんな妻たちがいたのでしょうか。この記事では、徳川家康の正室・継室と、主な側室、そして子どもたちを一覧にまとめます。旭姫が嫁いだとき、家康の「正室の座」が空いていた理由もわかります。

正室・継室 ─ 築山殿と旭姫の二人だけ
| 名前 | 出身 | 子ども | その後 | |
|---|---|---|---|---|
| 正室 | 築山殿(瀬名) | 今川家の一門・関口氏の娘 | 松平信康、亀姫 | 天正7年(1579)、武田家との内通を疑われ殺害される |
| 継室 | 旭姫(朝日姫) | 豊臣秀吉・秀長の妹 | なし | 天正14年(1586)に嫁ぎ、天正18年(1590)に聚楽第で死去 |
築山殿は、家康が今川家の人質だったころに結婚した最初の妻です。しかし天正7年、長男の信康とともに武田家と内通した疑いをかけられ、家康の命で殺されたとされます。その後、家康は7年ほど正室を置かず、天正14年に秀吉の妹・旭姫を迎えました。旭姫が亡くなったあと、家康が新しい正室を迎えることはありませんでした。旭姫の生涯は旭姫(朝日姫)の生涯で紹介しています。
主な側室と子どもたち
| 側室 | 出身など | 子ども |
|---|---|---|
| 西郡局 | 三河の鵜殿氏の娘 | 督姫(北条氏直の妻、のち池田輝政の妻) |
| 於万の方(長勝院) | 築山殿の侍女だったとされる | 結城秀康(次男) |
| 西郷局(お愛) | 三河の西郷氏ゆかり | 徳川秀忠(三男、二代将軍)、松平忠吉 |
| 下山殿 | 武田家の家臣・秋山氏の娘 | 武田信吉 |
| 茶阿局 | 遠江の出身 | 松平忠輝、松平松千代 |
| お亀の方(相応院) | 石清水八幡宮の社家の娘 | 徳川義直(尾張徳川家の祖) |
| お万の方(養珠院) | 上総の正木氏ゆかり | 徳川頼宣(紀伊徳川家の祖)、徳川頼房(水戸徳川家の祖) |
| お梶の方(英勝院) | 太田道灌の子孫・太田康資の娘とされる | 市姫(早世)。水戸頼房の養母 |
| 阿茶局(雲光院) | 甲斐の武田家臣の娘とされる | (家康との子はなし) |
このほかにも、お夏の方、お六の方などの名が伝わり、側室は十数人にのぼります。家康の子は十一男五女とされ(数え方には諸説あり)、その中から二代将軍の秀忠と、尾張・紀伊・水戸の「御三家」の祖が出ました。
政治の場に立った側室 ─ 阿茶局
側室の中でも異色の存在が阿茶局です。家康の信頼が厚く、戦場にも同行したと伝わります。慶長19年(1614)の大坂冬の陣では、豊臣方の常高院(初)と和睦の交渉にあたりました。茶々の妹・初と、家康の側室・阿茶局が、徳川と豊臣の和議をまとめたことになります(初(常高院)とは)。
旭姫が嫁いだときの「奥」
旭姫が浜松に嫁いだ天正14年(1586)、家康の奥には西郷局がいて、すでに秀忠(当時は長松)を産んでいました。西郷局は家康の信頼も厚く、のちに秀忠が跡継ぎとなります。旭姫は正室の座に迎えられたものの、子はなく、徳川家の跡継ぎ問題に関わることはありませんでした。旭姫の役目は、あくまで豊臣と徳川をつなぐことにあったのです。

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よくある質問
Q. 徳川家康の正室は何人ですか?
A. 二人です。最初の正室・築山殿(瀬名)と、継室の旭姫(朝日姫)です。
Q. 家康の側室は何人いましたか?
A. 記録に残るだけで十数人です。数え方によって人数は変わります。
Q. 二代将軍・秀忠の母は誰ですか?
A. 側室の西郷局です。
Q. 旭姫が嫁いだとき、家康に正室はいなかったのですか?
A. いませんでした。築山殿が天正7年(1579)に亡くなってから、7年ほど正室の座は空いていました。
まとめ
徳川家康の正室は、築山殿と旭姫の二人だけでした。築山殿の死から7年空いていた正室の座に、秀吉は妹の旭姫を送り込みます。一方、家康の跡を継ぐ秀忠や御三家の祖たちは、西郷局・お亀の方・お万の方といった側室の子でした。政略で迎えた正室と、家を継ぐ子を産んだ側室 ─ 家康の妻たちの顔ぶれには、戦国から江戸へ移る時代の家のあり方がよく表れています。秀吉の側室については秀吉の側室は何人いたのかと比べてみてください。
参考:『徳川実紀』/『幕府祚胤伝』/福田千鶴『徳川将軍家の結婚』文春新書
