- 11月8日(日)放送の『豊臣兄弟!』第43回「殿下の刀狩り」で、こうなったらおもしろい、という場面を筆者が勝手に七つ予想しました
- 佐々成政の最期、刀狩令と大仏、北条氏規の上洛。天下の仕組みが固まっていく回を、史実と照らし合わせています
- 予想は外れるかもしれません。そのぶん、それぞれの予想に「史実ではどうだったのか」を添えたので、放送前の予習にも使ってください
- 放送後、各予想の下にある「答え合わせ」の欄に、当たり外れを追記します
第43回「殿下の刀狩り」は、伝えられているあらすじによると、佐々成政の切腹、刀狩令、北条氏規の上洛が描かれる回です。ここでは、ドラマの筋を当てにいくというより、「こうなったら歴史好きとしてはうれしい」という場面を七つ選び、それぞれ史実ではどうだったのかを添えました。あらすじと史実の全体像は第43回「殿下の刀狩り」あらすじ予想と史実にまとめています。
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予想1:成政が最期に思い出すのは、さらさら越えの雪
史実の成政は、天正12年の冬に立山連峰を越えて浜松の家康に会いに行ったと伝わります。その4年後、天正16年閏5月14日に尼崎の法園寺で切腹しました(佐々成政はなぜ真冬の北アルプスを越えたのか、肥後国人一揆と佐々成政の切腹)。
予想2:家康の助命の書状を、秀長が握りしめる
家康や利家が成政の命乞いをしたという話は伝わりますが、確かな史料は多くありません。成政はかつて小牧・長久手で家康に味方した武将でした(肥後国人一揆と佐々成政の切腹)。
予想3:刀狩令の三か条を、秀長が読み上げる
史実の刀狩令は、①武具の所持を禁じる、②取り上げた刀は大仏の釘やかすがいにする、③百姓は耕作に励めば子孫まで安泰、という三か条でした(刀狩令とは)。
予想4:積み上げた饅頭が崩れるのは、平和令の危うさ
秀吉の一連の命令は、のちに「豊臣平和令」とまとめて呼ばれます。戦国の自力救済を禁じ、争いを天下人の裁きにゆだねさせる仕組みでした(豊臣平和令とは)。
予想5:北条氏規と家康、駿府の思い出話
史実の氏規は、少年時代に今川家の人質として駿府で過ごし、同じく人質だった家康と親しかったと伝わります。天正16年8月に上洛し、聚楽第で秀吉に会いました(北条氏規とは)。
予想6:海賊停止令も、ちらりと登場する
史実では、天正16年7月8日に刀狩令と海賊停止令が同じ日に出されました。能島村上氏はこのあと本拠の能島を離れることになります(海賊停止令とは)。
予想7:「来年来なければ小田原を攻める」が、次の章の合図
史実では、氏規の上洛のあとも氏政は動かず、天正17年の名胡桃城事件をきっかけに、秀吉は翌天正18年に小田原を攻めます(名胡桃城事件とは)。
まとめ
第43回「殿下の刀狩り」は、戦国の武将の意地が消えていく一方で、天下の仕組みが一つずつ固まっていく回になりそうです。成政の最期、刀狩りの三か条、北条氏規の上洛。七つの予想がいくつ当たるかはわかりませんが、史実を知っておくと、ドラマがどこを描き、どこを変えたのかがよく見えてきます。放送後には答え合わせを追記します。

