家康の爪を噛む癖は本当か|関ヶ原で小早川を待ちながらいらだった逸話と、三方ヶ原の「しかみ像」 ─ 我慢強い家康のもう一つの顔

陣幕の中で床几に腰かけ、遠くの山を見つめながら爪を噛む家康のイメージ(イラスト)
この記事のポイント
  • 徳川家康には、いらだったときや考えごとをするときに爪を噛む癖があったと伝わります
  • 有名なのは関ヶ原の戦いで、小早川秀秋がなかなか東軍に寝返らないとき、家康がしきりに爪を噛んでいらだったという話です。江戸時代の軍記や逸話集に見えるもので、そのまま事実とは言いきれません
  • 三方ヶ原で大敗したあと、自分の情けない姿を描かせて戒めにしたという「しかみ像」の話もよく知られていますが、この由来はのちの時代に結びつけられたものとする研究があります
  • 「我慢強い家康」の一方で、焦りやいらだちを隠しきれない家康の姿も、たくさん語り継がれてきました

我慢強い人として知られる徳川家康ですが、爪を噛む癖があったという話が伝わっています。困ったとき、いらだったとき、家康はつい爪を噛んでしまう。天下人の意外な素顔として、関ヶ原の戦いの逸話とともによく語られます。この記事では、家康の爪噛みの逸話と、三方ヶ原の「しかみ像」の話を、どこまで本当かという目で紹介します。我慢強さの源については家康の我慢強さはどこから来たのかで書いています。

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関ヶ原で爪を噛んだ家康

慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原の戦い。朝から始まった戦いは、はじめ西軍の石田三成・宇喜多秀家らが善戦し、なかなか決着がつきませんでした。家康がたのみにしていたのは、松尾山に陣取った小早川秀秋の寝返りです。ところが秀秋はなかなか動きません(小早川秀秋はなぜ裏切ったのか)。

このとき家康は、しきりに爪を噛んでいらだち、「せがれめに一杯食わされたか」とつぶやいたと伝わります。やがて家康は松尾山に向けて鉄砲を撃ちかけさせ、それに驚いた秀秋が東軍に寝返った、という有名な「問鉄砲」の話へと続きます(関ヶ原の戦いをわかりやすく解説)。

▽ よく語られる話
関ヶ原の戦いで、家康は小早川秀秋が動かないことにいらだって爪を噛み、鉄砲を撃ちかけて寝返りを促した。
▼ 史実ではこうです
爪を噛んだ話も、問鉄砲の話も、江戸時代になってから書かれた軍記や逸話集に見えるものです。近年の研究では、秀秋は戦いが始まってまもなく東軍として動いたのではないかとする見方も出ています。家康の爪噛みは、緊迫した場面を生き生きと伝える逸話として受け取るのがよいでしょう。

若いころからの癖だった?

家康の爪噛みは関ヶ原のときだけではなく、若いころからの癖だったともいわれます。困ったときや考えこんだときに、指先を口に持っていってしまう。そんな家康の姿が、家臣たちの記憶として語り継がれたのかもしれません。

家康は、薬を自分で調合するほど体に気をつかい、鷹狩りで体を鍛えた人でもありました。几帳面で慎重な性格の人が、緊張する場面で無意識に爪を噛む。我慢強さと爪噛みは、意外と同じ根っこから来ているのかもしれません(家康の我慢強さはどこから来たのか)。

三方ヶ原の「しかみ像」

家康の困った顔といえば、「しかみ像」と呼ばれる肖像画が有名です。片ひざを立て、顔をしかめた家康の姿を描いたもので、元亀3年(1572)の三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗したあと、家康がこの情けない姿を描かせ、生涯の戒めにした、と語られてきました(三方ヶ原の戦いとは)。

しかし、この絵が三方ヶ原の敗戦のあとに描かれたことを示す確かな史料はありません。三方ヶ原と結びつける話は、のちの時代になってから広まったものとする研究があります。それでも、「負けた自分の姿を忘れないようにした家康」という話が多くの人に受け入れられてきたのは、我慢強く、失敗から学ぶ家康像にぴったり合っていたからでしょう。

我慢強い家康と、いらだつ家康

家康は、我慢強い人として語られる一方で、爪を噛み、顔をしかめ、ときには家臣を大声でしかる人としても伝わっています。どちらも、家康という人の一面だったのでしょう。耐えるべきときに耐えられたのは、内心の焦りやいらだちを感じなかったからではなく、それを抱えながらも判断を誤らなかったからだ、と考えると、家康の我慢強さがより人間らしく見えてきます(家康の野望とは?いつから天下を狙っていたのか)。

▷ 大河ドラマではこう描かれました
第40回「あさひの輿入れ」(10月18日放送)では、石川数正の出奔を知った家康(松下洸平)が、狂ったように笑ったあと、爪を噛んで動揺する姿が描かれました。秀吉のもとへ走った数正は、「身は豊臣にあっても心は家康と共にある」と伝え、爪を噛む癖をやめるよう言い残しています。家康の爪噛みは、ドラマでも家康の焦りを表す仕草として使われているようです。

よくある質問

Q. 家康は爪を噛む癖があったのですか?
A. 困ったときやいらだったときに爪を噛む癖があったと伝わります。江戸時代の逸話に見える話です。

Q. 関ヶ原で家康が爪を噛んだのはなぜですか?
A. 小早川秀秋がなかなか東軍に寝返らず、いらだったためと伝わります。

Q. しかみ像とは何ですか?
A. 顔をしかめた家康を描いた肖像画で、三方ヶ原の敗戦後に描かせたと語られてきましたが、その由来は後の時代につくられたとする研究があります。

Q. 問鉄砲は本当にあったのですか?
A. 江戸時代の軍記に見える話で、近年は疑問視する見方もあります。

まとめ

家康には爪を噛む癖があったと伝わり、とくに関ヶ原で小早川秀秋の寝返りを待ちながら爪を噛んだ話が有名です。三方ヶ原の敗戦を戒めにしたという「しかみ像」の話とあわせて、どちらも後の時代の逸話として受け取る必要があります。それでも、こうした話が語り継がれてきたのは、我慢強い家康が、内心では焦りやいらだちを抱えた生身の人間でもあったことを、人びとが感じ取っていたからでしょう。

参考:『関原軍記大成』/『徳川実紀』/白峰旬『新解釈 関ヶ原合戦の真実』宮帯出版社

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