宇喜多秀家とは|『豊臣兄弟!』第43回で秀長に招かれる若き大名 ─ 秀吉の猶子、豪姫の夫、五大老から八丈島へ

岡山城:乱世の梟雄 宇喜多直家の居城
この記事のポイント
  • 宇喜多秀家は、備前・美作を治めた戦国大名で、元亀3年(1572)生まれ。10歳ほどで父の直家を亡くし、秀吉に引き立てられて育ちました
  • 秀吉の「秀」の字をもらい、秀吉の養女となった前田利家の娘・豪姫を妻にむかえます。豊臣一門に近い、秀吉お気に入りの若い大名でした
  • 『豊臣兄弟!』第43回では、秀長が郡山城に集める大名の一人として名前があがっています。天正16年(1588)の秀家は17歳でした
  • のちに五大老の一人となりますが、関ヶ原の戦いで西軍の主力として敗れ、八丈島に流されて84歳まで生きました

大河ドラマ『豊臣兄弟!』第43回「殿下の刀狩り」では、秀長が家康や毛利輝元らとともに、若い大名・宇喜多秀家を大和郡山城に招く場面があるようです。第44回でも、大仏の材木を献上する大名として名前が出てきます。前田利家や家康にくらべるとなじみの薄い名前ですが、秀家は秀吉がわが子のようにかわいがった、豊臣政権の若きホープでした。この記事では、宇喜多秀家とはどんな人物だったのかを、秀吉との関係を中心に紹介します(秀長は家康ら諸大名を郡山城に招いたのか)。

宇喜多秀家が城下とともに整えた岡山城と旭川(岡山市)
宇喜多秀家が城下とともに整えた岡山城と旭川(岡山市)
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宇喜多秀家とはどんな人物か

生まれ 元亀3年(1572)。父は備前の戦国大名・宇喜多直家
領地 備前・美作など約57万石。居城は岡山城
妻 豪姫(前田利家の娘で秀吉の養女)
豊臣政権での立場 秀吉の猶子(養子に準じる者)。のちに五大老
関ヶ原 西軍の主力として戦い敗れる
晩年 八丈島に流され、明暦元年(1655)に84歳で没

父・直家の死と、秀吉の後ろ盾

秀家の父・宇喜多直家は、謀略で備前をのし上がった「梟雄」として知られる人物です。直家は織田方に味方して毛利と戦いましたが、天正9年(1581)末から翌年はじめごろに病で亡くなります。あとを継いだ秀家は、まだ10歳ほどの少年でした。

このとき後ろ盾になったのが、中国攻めの指揮をとっていた秀吉です。天正10年(1582)の備中高松城の水攻めでは、宇喜多勢が秀吉軍の一翼をになっています。秀吉は秀家を猶子とし、自分の名の一字「秀」を与えました。秀家にとって秀吉は、主君であると同時に父親がわりの存在でした(備中高松城)。

豪姫との結婚 ─ 豊臣一門に近い大名に

秀家の妻・豪姫は、前田利家とまつの娘で、幼いころに子のいない秀吉と寧々の養女になっていました。秀吉が男なら関白にしたかったと言ったほどかわいがった娘です。その豪姫を妻にむかえたことで、秀家は豊臣一門に準じる立場となり、前田家とも縁戚になりました。

四国攻めや九州攻めにも兵を出し、天正16年の聚楽第行幸では、若くして公家の位を与えられています。第43回で、家康や前田利家・毛利輝元と並んで名前があがるのは、こうした立場があったからです。

岡山城と城下町をつくる

秀家は、父が手に入れた岡山城を大きく改修し、旭川の流れを変えて城の守りとし、黒い外壁の天守を建てました。いま「烏城」と呼ばれる岡山城の原型をつくったのは秀家です(岡山城)。城下には山陽道を引き入れ、商人を集めて、岡山の町の基礎を築きました。

朝鮮出兵と五大老

文禄元年(1592)に始まった朝鮮出兵では、20歳の秀家が渡海軍の総大将格をつとめました。秀吉の死の直前には、家康・前田利家・毛利輝元・上杉景勝とともに五大老の一人に選ばれます。最も若い大老で、秀吉が幼い秀頼の将来を託した一人でした(朝鮮出兵をわかりやすく解説)。

関ヶ原、そして八丈島へ

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで、秀家は西軍として約1万7千の兵を率い、福島正則の軍と激しく戦いました。しかし小早川秀秋の寝返りで西軍は総崩れとなり、秀家は戦場を離れて薩摩の島津家にかくまわれます。のちに出頭して死罪はまぬかれ、慶長11年(1606)、八丈島に流されました(関ヶ原の戦いをわかりやすく解説)。

秀家は八丈島で50年近くを過ごし、明暦元年(1655)に84歳で亡くなりました。関ヶ原を戦った大名のなかで、最も長く生きた一人です。妻の豪姫は加賀の前田家に戻り、島の秀家に米や衣類を送りつづけたと伝えられています。

よくある質問

Q. 『豊臣兄弟!』で宇喜多秀家は何回に出てきますか?
A. あらすじでは第43回の郡山城の場面、第44回の大仏の材木献上の場面で名前があがっています。

Q. 宇喜多秀家の妻は誰ですか?
A. 前田利家の娘で、秀吉の養女となった豪姫です。

Q. 宇喜多秀家はどこで亡くなりましたか?
A. 流された八丈島で、明暦元年(1655)に84歳で亡くなりました。

まとめ

宇喜多秀家は、父を早くに亡くし、秀吉の猶子として育てられた若い大名です。豪姫を妻にむかえて豊臣一門に準じる立場となり、のちには五大老の一人として秀頼の将来を託されました。関ヶ原で敗れて八丈島に流されながら84歳まで生きた、波乱の生涯でした。『豊臣兄弟!』第43回で家康らと並ぶ若い大名の姿に、そんな行く末を重ねてみると、場面の見え方が変わるかもしれません。

参考:Wikipedia「宇喜多秀家」

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