- 『豊臣兄弟!』第40回では、出奔した石川数正が「豊臣に付いても心は家康とともにある」という趣旨の書き置きを残し、家康がそれを見つめる場面があると伝えられています
- 史実で確かめられるのは、天正13年(1585)11月13日に数正が岡崎から出奔したという事実です。数正が家康にあてた書き置きを残したことを示す史料は、確認されていません
- ドラマでは、三方ヶ原の戦いの夜、家康が数正に「同じ失敗をくり返さぬよう見守り、諫めてほしい」と頼んでいた、という設定も描かれるようです。これもドラマの創作と考えられます
- ただ、「数正の心は家康のもとにあった」という見方は、数正の出奔を家康の密命とみる説ともつながる、興味深い描き方です
石川数正はなぜ家康のもとを去ったのか ─ その理由は、いまもはっきりしていません。『豊臣兄弟!』第40回は、数正が残した「書き置き」を通して、その答えのひとつを示すようです。この記事では、ドラマの書き置きと三方ヶ原の夜の約束が史実なのかを整理します。数正の出奔の理由については石川数正はなぜ家康を裏切ったのかで、五つの説を紹介しています。
史料に残る数正の出奔
数正の出奔を伝える同時代の記録として知られるのが、徳川家の家臣・松平家忠が書いた『家忠日記』です。天正13年11月13日の条に、数正が岡崎を出て尾張へ退いたことが記され、家中が騒然となった様子がうかがえます。家康はすぐに岡崎へ駆けつけ、城の守りを固めさせました(石川数正が去っても、家康はなぜ秀吉と戦おうとしたのか)。
しかし、そこに数正が家康にあてて言葉を残したという記録は見えません。数正が何を思って岡崎を出たのか、本人の言葉で伝わるものはないのです。

三方ヶ原の夜の約束は史実か
ドラマでは、元亀3年(1572)の三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗した夜、家康が数正に「二度と同じ失態をくり返さぬよう、そばで見守り、諫めてほしい」と頼んでいた、という設定が語られるようです。
三方ヶ原の戦いは、家康の生涯で最大の敗北として知られます。数正も徳川方の将としてこの戦いに加わっていました。しかし、戦いのあと家康が数正にそうした約束を求めたという記録はありません。三方ヶ原の戦いと、そこから生まれた「しかみ像」の伝説については三方ヶ原の戦いとはで紹介しています。

「心は家康とともに」 ─ 密命説とのつながり
ドラマの書き置きの言葉は、数正の出奔を「家康の密命だった」とみる説を思い起こさせます。秀吉のもとに入り込んで豊臣の内情を探る、あるいは豊臣と徳川をつなぐ役目を、家康がひそかに数正に託した ─ という見方です。この説は確かな史料に支えられたものではありませんが、出奔のあとも数正が徳川家と完全に敵対したわけではないことなどから、根強く語られてきました(家康の密命説)。
ここからは筆者の見方です。ドラマが書き置きという形をとったのは、数正を単なる裏切り者として描かず、主君を思いながら別の道を選んだ人物として見せたいからではないでしょうか。三方ヶ原の夜の約束は、その「主君を諫める」役目を、数正が豊臣の側から果たし続けるという意味を持たせるための設定だと考えられます。
出奔のあとの数正
秀吉のもとに入った数正は、秀吉から一字を受けて「吉輝」と名を改め、河内に領地を与えられました。小田原攻めのあとは信濃松本の城主となり、家康の旧領を見張るように配置されます。数正は文禄元年(1592)ごろ亡くなり、松本城の天守は子の康長の代に整えられました。しかし康長は慶長18年(1613)に改易され、数正の家は大名の座を失います(石川数正の最後とは/松本城)。

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よくある質問
Q. 石川数正は書き置きを残したのですか?
A. 書き置きを残したことを示す史料は確認されていません。ドラマの創作と考えられます。
Q. 三方ヶ原の夜に家康が数正に約束を求めた話は史実ですか?
A. 記録はありません。ドラマの設定と考えられます。
Q. 石川数正の出奔はいつですか?
A. 天正13年(1585)11月13日です。
まとめ
史料で確かめられるのは、天正13年11月13日に石川数正が岡崎を出奔したという事実だけで、数正が書き置きを残した記録は見つかっていません。三方ヶ原の夜の約束もドラマの設定と考えられます。それでも「心は家康とともに」という描き方は、数正の出奔を密命とみる説にも通じ、数正の人物像に新しい光を当てるものといえるでしょう。
参考:『家忠日記』/『三河物語』/柴裕之『徳川家康』平凡社
