小早川隆景とは|『豊臣兄弟!』第43回で郡山城に招かれる毛利両川の知将 ─ 三原城、秀吉の信頼、秀秋を養子に迎えた決断

三原城/アクセス・場所・地図 小早川隆景が築城した瀬戸内海の浮城 三原城
この記事のポイント
  • 小早川隆景は、毛利元就の三男で、小早川家を継いで毛利本家を支えた武将です。兄の吉川元春とあわせて「毛利両川」と呼ばれました
  • 知恵者として知られ、秀吉からとくに信頼されました。四国攻めのあと伊予、九州攻めのあと筑前を与えられ、毛利家とは別に大名となっています
  • 天正16年(1588)には甥の毛利輝元とともに上洛し、秀長に大和郡山城へ招かれて能と茶の湯でもてなされました
  • 秀吉の甥・秀秋を養子に迎え、文禄の役の碧蹄館の戦いで明軍を破ったのち、慶長2年(1597)に65歳で亡くなりました

大河ドラマ『豊臣兄弟!』第43回では、秀長が家康や毛利輝元らを大和郡山城に招く場面があるようで、その顔ぶれのなかに小早川隆景の名前もあがっています。隆景は、毛利元就の三男にして、秀吉が「日本の西の守り」として頼りにした知将です。この記事では、小早川隆景の生涯と、秀吉・秀長との関係を紹介します。

小早川隆景が築いた三原城の天主台の石垣(広島県三原市)
小早川隆景が築いた三原城の天主台の石垣(広島県三原市)
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小早川隆景とはどんな人物か

生まれ 天文2年(1533)。毛利元就の三男
家 安芸の小早川家を継ぐ
居城 新高山城 → 三原城 → 筑前の名島城
豊臣政権での領地 伊予 → 筑前・筑後などあわせて30万石あまり
養子 秀吉の正室・寧々の甥、小早川秀秋
没年 慶長2年(1597)、65歳

毛利両川 ─ 父・元就の「三本の矢」

隆景は、毛利元就の三男として生まれ、安芸の名門・小早川家を継ぎました。兄の元春は吉川家を継ぎ、二人は本家の毛利家を両側から支える「毛利両川」と呼ばれます。元就が三人の息子に結束を説いた話は「三本の矢」の逸話として知られています(逸話そのものは後世の創作とされます)。長兄・隆元の死後は、甥の輝元を支える役目を担いました(毛利輝元とは)。

瀬戸内の海城・三原城

隆景は小早川水軍を率いて瀬戸内海ににらみをきかせ、永禄年間に海に面した三原城を築きました。満潮になると城が海に浮かんで見えたことから「浮城」とも呼ばれます。いまもJR三原駅のすぐそばに、天主台の石垣が残っています(三原城)。

三原城跡の石碑(広島県三原市)
三原城跡の石碑(広島県三原市)

秀吉に認められた知将

天正10年(1582)の備中高松城の和睦ののち、本能寺の変を知った毛利家中には、退く秀吉を追撃すべきだという声もありました。これを押しとどめ、約束を守るよう説いたのが隆景だったと伝えられます。秀吉はこれを深く徳とし、以後、隆景をとりわけ重く用いました。

四国攻めのあとには伊予一国を、九州攻めのあとには筑前・筑後などを与えられ、毛利本家とは別に大名となりました。筑前では博多湾に面した名島城を本拠としています(名島城)。

天正16年、郡山城でのもてなし

天正16年の夏、隆景は甥の輝元とともに上洛しました。秀長は二人を京でもてなしたうえ、9月5日・6日には吉川広家もあわせて大和郡山城に招き、能と茶の湯で歓待しています。ドラマで隆景が郡山城に集まる大名の一人とされるのは、この史実をふまえたものとみられます(秀長は家康ら諸大名を郡山城に招いたのか)。

このころ隆景は、刀狩令が確実に届いた大名の一人でもありました(家康は刀狩りに従わなかったのか)。

秀秋を養子に ─ 毛利家を守るための決断

文禄3年(1594)、隆景は秀吉の正室・寧々の甥である秀秋を養子に迎えます。もともと秀吉は、子のいない輝元の養子に秀秋を送りこもうとしていました。それでは毛利本家が豊臣の血筋に替わってしまうと考えた隆景が、自分の小早川家で引き受けたといわれます。この秀秋が、のちに関ヶ原で東軍に寝返り、西軍の敗北を決定づけることになります。

文禄2年(1593)の朝鮮出兵では、碧蹄館の戦いで明の大軍を破る活躍を見せました。晩年は家督を秀秋に譲って三原に隠居し、慶長2年(1597)に65歳で亡くなりました。秀吉の死の前年のことです。

よくある質問

Q. 小早川隆景は毛利元就の何番目の子ですか?
A. 三男です。兄に毛利隆元・吉川元春がいます。

Q. 毛利両川とは何ですか?
A. 吉川元春の吉川家と小早川隆景の小早川家が、毛利本家を両側から支えた体制のことです。

Q. 小早川秀秋とはどういう関係ですか?
A. 秀吉の正室・寧々の甥である秀秋を、隆景が養子に迎えました。

まとめ

小早川隆景は、毛利元就の三男として小早川家を継ぎ、兄の吉川元春とともに毛利本家を支えた知将です。備中高松城の和睦のあとの振る舞いで秀吉の信頼を得て、伊予・筑前の大名となり、天正16年には秀長に郡山城へ招かれました。秀秋を養子に迎えた決断が、のちの関ヶ原につながったことを思うと、豊臣と毛利のあいだで隆景が果たした役割の大きさが見えてきます。

参考:Wikipedia「小早川隆景」

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