伴天連(バテレン)とは|意味はポルトガル語の「神父」 ─ キリシタン・伊留満・南蛮人との呼び分けと、追放令が対象にした人びと

港町の南蛮寺の前で宣教師と語らうキリシタン大名たちのイメージイラスト
この記事のポイント
  • 伴天連(バテレン)は、ポルトガル語で神父・司祭を意味する「パードレ」に漢字をあてた言葉です
  • 戦国時代の日本では、キリスト教の宣教師、とくに司祭の位にある神父を指しました。修道士は「伊留満(イルマン)」と呼んで区別しています
  • 「伴天連」「切支丹(吉利支丹)」「南蛮」と、当時の日本人はポルトガル語の音に漢字をあてて、新しい宗教と人びとを呼び分けていました
  • 秀吉の「バテレン追放令」は、キリスト教そのものよりも、まずこの「伴天連=宣教師」を国外へ出すよう命じた法令でした

「バテレン追放令」という言葉は教科書で覚えても、「バテレン」が何なのかを説明できる人は意外と少ないかもしれません。筆者も子どものころ、なんとなく「キリシタンのこと」だと思いこんでいました。じつは、バテレンとキリシタンは同じ意味ではありません。『豊臣兄弟!』第42回「北野大茶湯」では「キリシタン追放令に恨みを抱く者」が登場するようですが、そのもとになったのが天正15年(1587)のバテレン追放令です。この記事では、伴天連という言葉の正体から、戦国の日本人が南蛮の人びとをどう呼び分けていたのかまでをたどります。

港町の南蛮寺の前で宣教師と語らうキリシタン大名たちのイメージイラスト
港町の南蛮寺の前で宣教師と語らう人びとのイメージ(イラスト)
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伴天連の意味 ─ もとはポルトガル語の「神父」

伴天連は「ばてれん」と読みます。もとはポルトガル語の「パードレ」で、カトリックの神父、つまり司祭を意味する言葉です。英語の「ファーザー」と同じく、もともとは「父」を表す語から来ています。

日本にキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師たちは、多くがポルトガルの船に乗ってやって来ました。信者たちは神父を「パードレさま」と呼び、それを聞いた日本人が音に漢字をあてて「伴天連」と書いたのです。「天に連なる者を伴う」とも読める字面は、偶然とはいえよくできています。

伴天連・伊留満・切支丹 ─ 呼び分けられた人びと

当時の日本では、キリスト教にかかわる人を、立場によって細かく呼び分けていました。

呼び名 もとの言葉 意味
伴天連(バテレン) パードレ 司祭の位にある神父。ミサを行い、洗礼を授ける
伊留満(イルマン) イルマン 修道士。司祭の位はないが、説教や通訳、教育を担った。日本人のイルマンも多かった
同宿(どうじゅく) 日本語 宣教師に仕えて布教を手伝った日本人の信徒
切支丹・吉利支丹(キリシタン) クリスタン キリスト教の信者。大名から庶民までをふくむ
南蛮人 日本語 ポルトガル人やスペイン人。南から船で来たことからこう呼ばれた

表を見るとわかるように、伴天連は信者全体ではなく、教会を率いる聖職者だけを指す言葉でした。秀吉の追放令が「伴天連追放」とうたったのは、信者ではなく、まず宣教師を国外に出すことをねらったからです(秀吉はなぜバテレン追放令を出したのか)。

▽ よく語られる話
バテレン追放令は、日本からキリシタンを追い出す法令だった。
▼ 史実ではこうです
追放の対象は伴天連、つまり宣教師でした。追放令は、日本人の信者に信仰を捨てるよう命じたものではありません。前日付の覚書では、大名や身分の高い武士が入信するには秀吉の許しがいるとする一方、下々の者が信仰するのは本人しだいとしていました。
平戸の浜に集まり、沖の南蛮船を見つめる宣教師たちと見送る信者のイメージ(イラスト)
追放令のあと平戸に集まった宣教師たちのイメージ(イラスト)

日本にいた伴天連はどれくらいいたのか

フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したのは天文18年(1549)。それから40年ほどのあいだに、イエズス会の宣教師たちは九州から畿内まで教会を建て、信者を増やしていきました。追放令が出た天正15年ごろ、日本にいたイエズス会の宣教師は百人をこえ、信者は二十万人ほどとも推計されています。

なかでも有名なのが、のちに『日本史』を書いたルイス・フロイス、日本人の資質を高く評価した巡察師ヴァリニャーノ、そして日本の布教の責任者だったコエリョです。秀吉と直接向きあったのは、このコエリョでした。

冬の長崎の港を見おろす丘に十字架が並び、人びとが祈るイメージ(イラスト)
長崎の丘で祈る信者たちのイメージ(イラスト)

言葉に残る南蛮の記憶

伴天連のように、ポルトガル語に漢字をあてた言葉は、いまの日本語にもたくさん残っています。カステラ、天ぷら、合羽(カッパ)、襦袢(ジュバン)、煙草(タバコ)。どれも、南蛮の人びとが持ちこんだ物と一緒に入ってきた言葉です。

一方で、伴天連という言葉は、江戸時代の禁教のなかで「あやしい者」「妖術使い」といった悪い意味もまとうようになりました。もとは「父」をあらわす敬いの言葉だったことを思うと、少しさびしい変化です(慶長の禁教令とは)。

✎ 筆者の考え
「伴天連」という当て字を見ていると、当時の人びとが、聞きなれない音をなんとか自分たちの文字で書きとめようとした手ざわりが伝わってきます。秀吉の追放令も、この見慣れない聖職者たちをどう扱うかという、日本で初めての問いへの答えだったのでしょう。
▷ 大河ドラマではどう描かれるか(放送前の予想)
第42回「北野大茶湯」は11月1日(日)放送予定です。公式のあらすじでは、茶会の会場で「キリシタン追放令に恨みを抱く者」による刃傷沙汰が起きるようです。追放令が誰を対象にした法令だったのかを知っておくと、恨みを抱いた人物の立場が見えてくるはずです。放送後にこの枠を更新します。
▶ 第42回の背景をもっと知る

よくある質問

Q. 伴天連は何と読みますか?
A. 「ばてれん」と読みます。

Q. 伴天連とキリシタンはちがうのですか?
A. 伴天連は宣教師(神父)、キリシタンは信者のことです。

Q. 伊留満(イルマン)とは何ですか?
A. 司祭の位をもたない修道士のことです。

Q. バテレン追放令で信者も追放されたのですか?
A. 追放の対象は宣教師で、信者に棄教を命じたものではありませんでした。

まとめ

伴天連は、ポルトガル語の「パードレ」、つまり神父を漢字で書いた言葉です。信者を指すキリシタンとは区別され、秀吉のバテレン追放令も、まず宣教師を国外へ出すことを命じたものでした。言葉の意味を知るだけで、追放令のねらいがぐっとはっきりしてきます。

参考:松田毅一・川崎桃太訳『完訳フロイス日本史』中公文庫/五野井隆史『日本キリスト教史』吉川弘文館/安野眞幸『バテレン追放令』ちくま学芸文庫

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