お城・城跡– category –
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お城・城跡
淀城:茶々が鶴松を産んだ「淀殿」の名の由来 ─ 秀長が改修した淀古城と、徳川の淀城跡の見どころ・アクセス
淀城は二つある。秀吉の命で豊臣秀長が改修し、茶々が鶴松を産んだ戦国の淀古城(伏見区納所)と、松平定綱が築き稲葉氏が治めた徳川の淀城(淀本町)。「淀殿」の由来、天守台の石垣、アクセスまで。 -
お城・城跡
名胡桃城:北条滅亡の引き金になった真田の城 ─ 名胡桃城事件の舞台と、一列に並ぶ曲輪の見どころ・アクセス
名胡桃城(群馬県みなかみ町)は真田昌幸が沼田攻めのために築いた城。秀吉の沼田裁定で真田に残され、北条方の猪俣邦憲に奪われた名胡桃城事件が小田原攻めの引き金に。続日本100名城の縄張り・見どころ・アクセス。 -
お城・城跡
松代城(長野市):武田信玄の海津城から真田十代の松代藩へ ─ 真田信之が上田から移った城と、太鼓門・本丸石垣の見どころ
この記事のポイント松代城(長野県長野市)は、武田信玄が川中島の戦いの拠点として築いた「海津城」がはじまりです。築城は永禄2年(1559)から翌年にかけてとされ、山本勘助が縄張りをしたと伝わります武田家の滅亡後は城主が次々に替わり、元和8年(162... -
近畿
慈光院(大和郡山市):片桐石州が建てた茶の寺 ─ 秀長の家老・桑山重晴の子から受け継いだ利休の茶と、片桐且元の茨木城の門
この記事のポイント慈光院(奈良県大和郡山市小泉町)は、小泉藩の二代藩主・片桐石州(貞昌)が寛文3年(1663)、父・片桐貞隆の菩提を弔うために建てた臨済宗の寺です石州に茶を教えた桑山宗仙は、『豊臣兄弟!』で住田隆さんが演じる秀長の筆頭家老・桑... -
お城・城跡
小泉城(大和郡山市):平埜生成が演じる羽田正親が守った郡山の西の城と、片桐石州の小泉藩陣屋
この記事のポイント小泉城(奈良県大和郡山市小泉町)は、室町時代に興福寺の衆徒・小泉氏が築いた平城です秀長が大和に入った天正13年(1585)、三家老のひとり羽田正親が四万八千石で城主となり、本城・郡山城を西から守る城として改修しました江戸時代... -
お城・城跡
高知城:天守と本丸御殿がともに残る唯一の城と、山内一豊が大高坂山に築いた土佐二十四万石の本拠
高知城は、関ヶ原の戦いのあと土佐を与えられた山内一豊が大高坂山に築いた城。長宗我部元親の大高坂山城、河中山から高知への改名、享保の大火と再建、天守と本丸御殿がともに残る唯一の城の見どころを解説します。 -
お城・城跡
金子城:武蔵から来た金子氏が三百年守った新居浜の山城と、金子元宅の天正の陣
特集 ─ もうひとつの兄弟大河NHK『長宗我部兄弟!』をもっと知る元親と親泰の外交、伊予の金子元宅との約束、天正の陣、ゆかりの城まで ▶ 金子城(かねこじょう)は、愛媛県新居浜市の金子山にあった山城です。鎌倉時代に武蔵国から移ってきた金子氏が築き... -
お城・城跡
宇陀松山城:秀長の家臣が守った大和の山城と、小堀遠州が壊した総石垣の城、城下町に残る黒門
この記事のポイント宇陀松山城(奈良県宇陀市)は、南北朝時代に秋山氏が築いた「秋山城」がはじまりの山城で、国の史跡・続日本100名城です秀長が大和に入ると、伊藤義之・加藤光泰・羽田正親・多賀秀種と、豊臣方の武将が次々に城主を務めました関ヶ原の... -
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備中松山城:天守が残る唯一の山城と、標高430メートルの日本三大山城
現存十二天守でいちばん高い場所にある城。七百年の歴史と、なぜ天守が残ったのか、雲海の狙い方まで解説します。 -
近畿
壺阪寺(南法華寺):眼病に効くと伝わる観音と、高取城と同じ山にある西国六番札所
眼病に効くと伝わる観音の寺。『壺坂霊験記』の成立と、高取城と同じ山にある位置関係を解説します。 -
近畿
八坂神社(祇園社):牛頭天王と蘇民将来の護符、武将が疫病除けの札を重んじた理由
祇園社の札とは何だったのか。牛頭天王と蘇民将来、祇園祭の起源、武将が疫病除けを重んじた理由を解説します。 -
近畿
東大寺:大仏はなぜ二度焼けたのか、松永久秀の「大仏焼き討ち」と江戸に縮んだ大仏殿
大仏殿が二度焼けた経緯と、松永久秀が本当に焼いたのかという話。江戸の再建で横幅が縮んだ理由も解説します。 -
お城・城跡
高取城跡(高取町):日本三大山城のひとつ、標高583メートルに残る総石垣の城
標高583メートル、高低差390メートル。日本三大山城のひとつ高取城の歴史と、石垣が残る山上のめぐり方。 -
近畿
春日大社:藤原氏の氏神と、興福寺と一体で大和を動かした仕組み
鹿島から迎えられた武甕槌命、神使の鹿、そして興福寺と一体になって大和を支配した権門。神木を担いで都へ押しかけた話から、拝観と見学順までまとめました。 -
近畿
談山神社(多武峰):秀長が郡山へ移させた寺と、世界唯一の木造十三重塔
神仏分離までは多武峰妙楽寺という寺でした。興福寺と争い続けた武装勢力に、秀長は武器を出させ、山ごと郡山の城下へ移させます。たたりと噂されたその顛末と、世界唯一の木造十三重塔をまとめました。 -
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福井城跡:結城秀康が北ノ庄城の上に築いた越前六十八万石の城と、天守台の「福の井」
※この記事の写真は筆者が現地で撮影したものです。 福井城は、徳川家康の次男・結城秀康が関ヶ原の戦いのあとに築いた、越前六十八万石の城です。柴田勝家の北ノ庄城のすぐ隣に築かれ、いまは本丸の跡に福井県庁が建っています。天守は江戸時代の前半に焼... -
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佐和山城跡(彦根市):「三成に過ぎたるもの」と呼ばれた石田三成の城と、跡形もなく壊された理由
※この記事の写真は筆者が現地で撮影したものです。 「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」。石田三成の居城として知られる佐和山城は、滋賀県彦根市の佐和山(標高約230メートル)にあった山城です。関ヶ原の戦いの三日後に落城し、その... -
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松尾山城(関ケ原町):小早川秀秋が陣を敷いたのは、城だった
関ヶ原の布陣図に「小早川秀秋」とだけ書かれる松尾山。そこには浅井氏の時代から城がありました。三成が改修させ、秀秋が押し入った山城の遺構と、登り方をまとめました。 -
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館山城(城山公園):里見氏最後の居城と、八犬伝のモデルとされた八人の家臣
安房里見氏が最後に本拠とした館山城。天正十九年の移転から、大久保忠隣に連座した改易までのわずか二十四年と、倉吉で殉死した八人、そして城山公園の歩き方をまとめました。 -
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今治城:藤堂高虎が築いた日本屈指の海城と、海の魚が泳ぐ堀
この記事は新しい記事にまとめました内容を加筆して一本にまとめています。最新版はこちらをご覧ください。今治城:堀に海水を引きこんだ日本三大水城と、藤堂高虎が砂地に築くために考えた犬走り 今治城(いまばりじょう)は、愛媛県今治市にある藤堂高虎... -
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和歌山城:豊臣秀長が虎伏山に築いた紀州の城と、三つの時代が層になった石垣
和歌山城を築いたのは、豊臣秀長である。天正十三年、兄の秀吉が紀伊を平定したあと、秀長は自分で城地を選び、自分で縄張りを引いた。普請奉行をつとめたのは藤堂高虎で、およそ一年で城が立ち上がっている。この城の値打ちは、天守よりも石垣にある。秀...
