秀吉・秀長の故郷、尾張中村はどんな村だったのか|あさひが恋しがった田んぼ ─ 中村公園・常泉寺・妙行寺に残る足跡

中村公園の豊公誕生之地の石碑
この記事のポイント
  • 秀吉・秀長・あさひのきょうだいは、尾張国愛知郡の中村(いまの名古屋市中村区)で生まれ育ったと伝わります
  • 中村は、庄内川の西に広がる平らな農村でした。きょうだいの家は田畑を耕す百姓で、父の弥右衛門は織田家に仕えた足軽だったともいわれます
  • いまの中村公園には「豊公誕生之地」の碑があり、となりの常泉寺には秀吉の産湯の井戸が伝わります。近くの妙行寺は加藤清正の生まれた地とされます
  • 『豊臣兄弟!』第46回では、病のあさひのために家族が庭に田んぼを作るようです。あさひが恋しがった故郷とは、どんな村だったのでしょうか

『豊臣兄弟!』第46回では、病に伏せるあさひのために、母のなかが田んぼを作ろうと言い出し、秀吉と秀長たちが泥にまみれて田植えをする場面があると伝えられています。天下人の兄を持ちながら、あさひが最後に思い出したのは、子どものころに見た故郷の田んぼでした。秀吉・秀長・あさひのきょうだいが生まれ育った尾張の中村とは、どんな村だったのでしょうか。この記事では、伝わる話といまに残る史跡から、きょうだいの故郷をたどります。

中村公園の豊公誕生之地の石碑
中村公園に立つ「豊公誕生之地」の碑(名古屋市中村区)
目次

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中村はどこにあったのか

中村は、尾張国愛知郡にあった村で、いまの名古屋市中村区のあたりです。名古屋城から西へおよそ5キロ、庄内川の東側の平らな土地に、中中村・上中村・下中村といった集落が並んでいました。秀吉の生まれた地とされるのは中中村で、いまの中村公園の周辺にあたります。

このあたりは、川がはこんだ土が積もった低い土地で、田んぼが広がる典型的な尾張の農村でした。織田信長の居城だった清須城からも、南西に10キロほどの距離です(大政所(なか)とは)。

きょうだいの家族

きょうだいの母は、のちの大政所となる「なか」です。秀吉の父は木下弥右衛門といい、江戸時代初めに書かれた『太閤素生記』は、弥右衛門を織田家に仕えた足軽で、けがのために村にもどって百姓をしたと伝えます。弥右衛門は秀吉が幼いころに亡くなり、なかは竹阿弥と再婚したとされます。

秀長とあさひについては、弥右衛門の子とする説と、竹阿弥の子とする説があり、はっきりしません。秀吉と秀長が父の同じ兄弟だったのか、父のちがう兄弟だったのかは、いまも議論が続いています。いずれにしても、姉のとも、秀吉、秀長、あさひの四人は、中村の同じ家で、なかに育てられました(旭姫と朝日姫はどっちが正しい?)。

きょうだい 生まれ年 のちの名・立場
とも(姉) 天文3年(1534)ごろ 三好吉房の妻。秀次・秀勝・秀保の母
秀吉 天文6年(1537)とされる 関白・太閤
秀長 天文9年(1540) 大納言。大和・紀伊・和泉を治める
あさひ(妹) 天文12年(1543) 徳川家康の正室。駿河御前

中村の暮らしと田植え

きょうだいの家は、田畑を耕して暮らす百姓でした。尾張の農村では、春に田に水を引いて土をならす代かきをし、梅雨のころに苗を植えます。田植えは村の人びとが力を合わせて行う大仕事で、歌を歌って調子をそろえながら、一列になって苗を植えていきました(なぜ村は苗を詰めて植えたのか)。

秀吉が少年のころに家を出たのに対し、秀長は兄に誘われるまで村で田畑を耕していたと伝わります。秀長がのちに大和で検地を行い、百姓の暮らしに目を配った背景には、中村での経験があったのかもしれません(豊臣秀長とは)。

▽ よく語られる話
秀吉は貧しい百姓の家に生まれ、家族は食べるものにも困っていた。
▼ 史実ではこうです
秀吉の家が裕福ではなかったことは確かですが、父の弥右衛門は織田家の足軽だったとも伝わり、まったくの貧農だったかどうかはわかりません。秀吉の出自については、のちに秀吉自身が出生を飾った話も多く、確かなことは少ないのが実際です。

いまの中村に残る史跡

いまの名古屋市中村区には、きょうだいゆかりの地がいくつも残っています。中心となるのが中村公園で、明治18年(1885)に秀吉をまつる豊国神社が建てられ、そのまわりが公園として整えられました。公園の中には「豊公誕生之地」の碑が立ち、名古屋市秀吉清正記念館もあります。

中村公園の子どもたちの銅像とツツジ
中村公園の子どもたちの銅像

公園のとなりの常泉寺は、秀吉が生まれた屋敷の跡と伝わる寺で、秀吉が産湯をつかったという井戸が残ります。また近くの妙行寺は、加藤清正の生まれた地とされます。秀吉と清正は、同じ中村の出身だったのです。

史跡 内容
中村公園 豊国神社を中心にした公園。「豊公誕生之地」の碑、秀吉清正記念館がある
豊国神社 明治18年に建てられた、秀吉をまつる神社。参道に大鳥居が立つ
常泉寺 秀吉の生誕地と伝わる寺。産湯の井戸、秀吉お手植えと伝わる柊
妙行寺 加藤清正の生誕地とされる寺

中村の史跡は、地下鉄東山線の中村公園駅から歩いてめぐることができます。

▷ 大河ドラマではどう描かれるか(放送前の予想)
第46回は11月29日(日)放送予定です。伝えられているあらすじでは、病のあさひのために、なかの提案で家族が庭に田んぼを作り、秀吉が田植え歌を歌い出して、みなで田植えをするようです。天下人となった兄弟が百姓にもどる場面は、中村の暮らしを知ると、いっそう胸にせまるはずです。放送後にこの枠を更新します。

よくある質問

Q. 秀吉と秀長はどこで生まれましたか?
A. 尾張国愛知郡の中村、いまの名古屋市中村区とされます。

Q. 秀吉の生誕地はどこで見られますか?
A. 中村公園に「豊公誕生之地」の碑があり、となりの常泉寺が生誕地と伝わります。

Q. 秀長とあさひは秀吉と父が同じですか?
A. 父が同じとする説とちがうとする説があり、はっきりしていません。

Q. 加藤清正も中村の出身ですか?
A. 中村の妙行寺が清正の生誕地とされています。

まとめ

秀吉・秀長・あさひのきょうだいは、尾張の中村で百姓の家に生まれ、田畑の広がる村で育ちました。天下人の一族となったあとも、故郷の田んぼの記憶は、きょうだいの中に残っていたことでしょう。第46回の田植えの場面を見る前に、中村の風景を思いうかべてみてください。

参考:土屋知貞『太閤素生記』/黒田基樹『羽柴秀長の生涯』平凡社新書/名古屋市「中村公園」案内

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