多門山城:松永久秀が築城 画期的な多門櫓が有名な多門山城【日本の歴史 お城特集】

多門山城/アクセス・場所・地図 松永久秀が築城 画期的な多門櫓が有名な多門山城【日本の歴史 お城特集】

【城名】
多門山城

【城の説明】
多門山城は奈良県奈良市法蓮町にあった平山城である。
三好長慶の重臣「松永秀久」によって築城された。

久秀は多門山城を大和の国を治める拠点としており、ここから信長の命により各地へ転戦した。なんといっても久秀は築城の名手であり、多門櫓という近代的城郭を作り出し一回目の信長離反の時にはこの城を差し出すことで許された。

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多門山城には明智光秀・柴田勝家により接取され、その後武田信玄が上洛するとの噂が流れると久秀は摂津の本願寺攻めから勝手に離脱し信貴山城に立てこもった。

結局、武田信玄は上洛戦の途中で死去してしまい久秀は孤立、織田軍に囲まれて討ち死にする。この後、大和の国を任されたのが筒井順慶で奇しくも久秀の宿敵であった。

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順慶は多門山城の破却し、自身の筒井城の拡大に利用した。現在は多門山城の形跡はあまり残されていない。

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【多門山城・場所・アクセス】
〒630-8113 奈良県奈良市法蓮町1416−1






【多門山城地図】



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