夏生大湖が演じる本多忠勝とは|徳川四天王、生涯無傷の伝説と蜻蛉切 ─ 一言坂、小牧・長久手で秀吉を感心させた武将

桑名城 本多忠勝公の像
この記事のポイント
  • 本多忠勝は、徳川家康に仕えた三河の武将で、酒井忠次・榊原康政・井伊直政とともに「徳川四天王」に数えられます。『豊臣兄弟!』では夏生大湖さんが演じています
  • 天文17年(1548)に生まれ、13歳の初陣から生涯に57回の合戦に出て、一度も傷を負わなかったと伝わります。愛用の槍は「蜻蛉切(とんぼぎり)」です
  • 小牧・長久手の戦いでは、わずかな兵で秀吉の大軍の前に立ちはだかり、秀吉に「東国一の勇士」とほめられたという逸話が残ります
  • 家康が関東に移ると上総の大多喜で10万石、関ヶ原のあとは伊勢の桑名で10万石の大名となり、慶長15年(1610)に63歳で亡くなりました

本多忠勝(ほんだ ただかつ)は、徳川家康を生涯支えた三河の武将で、徳川四天王の一人です。戦場で一度も傷を負わなかったという伝説と、名槍「蜻蛉切」で知られます。『豊臣兄弟!』では夏生大湖さんが演じ、家康が秀吉に臣従していく第41回前後の場面にも、四天王の一人として登場しそうです。この記事では、忠勝の生涯と、秀吉との意外なかかわりを紹介します(家康の上洛に従った家臣、岡崎に残った家臣)。

目次

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本多忠勝の生涯を年表で

忠勝は天文17年(1548)、三河の本多忠高の子として生まれました。家康より6歳年下で、少年のころから家康のそばに仕えています。おもな出来事を年表にまとめます(徳川家康は秀吉・秀長と何歳ちがうのか)。

年 年齢 できごと
天文17年(1548) 1歳 三河に生まれる
永禄3年(1560) 13歳 桶狭間の戦いの前哨戦、大高城の兵糧入れで初陣
元亀3年(1572) 25歳 一言坂の戦いで殿(しんがり)を務める
天正10年(1582) 35歳 本能寺の変のあと、家康の伊賀越えに従う
天正12年(1584) 37歳 小牧・長久手の戦いで秀吉の大軍を牽制する
天正18年(1590) 43歳 家康の関東移封にともない、上総大多喜10万石
慶長5年(1600) 53歳 関ヶ原の戦いに出陣
慶長6年(1601) 54歳 伊勢桑名10万石に移る
慶長15年(1610) 63歳 桑名で亡くなる

「家康に過ぎたるもの」と呼ばれた理由

元亀3年(1572)、武田信玄の大軍が遠江に攻めこんだとき、偵察に出た徳川勢は一言坂で武田軍に追いつかれます。このとき殿を務めて味方を無事に退かせたのが忠勝でした。武田方からは「家康に過ぎたるもの二つあり、唐の頭に本多平八」とうたわれたと伝わります。「唐の頭」は家康の兜の飾り、「本多平八」は平八郎と呼ばれた忠勝のことです。この直後、徳川軍は三方ヶ原で大敗します(三方ヶ原の戦いとは)。

▽ よく語られる話
本多忠勝は生涯57回の戦いに出て、かすり傷ひとつ負わなかった。
▼ 史実ではこうです
「生涯無傷」は江戸時代になってから広まった話で、確かめる方法はありません。ただ、桶狭間のころから関ヶ原まで、家康の主な合戦のほとんどに加わったことは確かで、それだけ長く前線に立ち続けた武将だったことが、伝説の土台になっています。

小牧・長久手で秀吉を感心させた男

天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いで、長久手で池田恒興らが討たれたあと、秀吉は大軍を率いて救援に向かいます。このとき忠勝は、わずかな手勢で秀吉の軍勢の前に出て川をはさんで対峙し、悠々と馬に水を飲ませて秀吉の進軍を遅らせたと伝わります。秀吉はその姿に感心し、「東国一の勇士」とほめたといいます(小牧・長久手の戦いはどっちが勝った?)。

同じ戦いで、秀吉を激しく非難する檄文を書いて秀吉の怒りを買ったのが榊原康政でした。四天王のうち二人が、それぞれ違う形で秀吉に強い印象を残したことになります(榊原康政はなぜ秀吉に首を狙われたのか)。

家康の臣従と、四天王のその後

天正14年(1586)、家康は上洛して秀吉に臣従します。上洛に従った家臣と、岡崎に残った家臣の顔ぶれは家康の上洛に従った家臣、岡崎に残った家臣で紹介しています。秀吉に気に入られた忠勝は、のちに豊臣政権のもとで従五位下・中務大輔に任じられました。

天正18年(1590)、家康が関東に移ると、忠勝は上総の大多喜で10万石を与えられます。四天王のうち井伊直政が12万石、忠勝と榊原康政が10万石と、徳川家臣の中で最も大きな領地を任された三人でした。関ヶ原のあとは伊勢の桑名へ移り、城下町の整備にあたります(桑名城)。忠勝の娘・小松姫は家康の養女として真田信之に嫁いでいます(真田家とは)。

▷ 大河ドラマではどう描かれるか(放送前の予想)
『豊臣兄弟!』では、夏生大湖さんが本多忠勝を演じています。第41回「家康の野望」(10月25日放送予定)では、家康の上洛をめぐって徳川の家臣たちがどう動くかが描かれそうです。放送後にこの枠を更新します。

徳川四天王・榊原康政の生涯と、伏見で家康の危機に駆けつけた逸話は、榊原康政とはで紹介しています。

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よくある質問

Q. 本多忠勝はどんな人ですか?
A. 徳川家康に仕えた三河の武将で、徳川四天王の一人です。生涯無傷の伝説と名槍「蜻蛉切」で知られます。

Q. 『豊臣兄弟!』で本多忠勝を演じるのはだれですか?
A. 夏生大湖さんです。

Q. 本多忠勝の石高はどれくらいですか?
A. 上総大多喜で10万石、のちに伊勢桑名で10万石を与えられました。

Q. 本多忠勝はいつ亡くなりましたか?
A. 慶長15年(1610)、桑名で63歳で亡くなりました。

まとめ

本多忠勝は、少年のころから家康に仕え、一言坂の殿や小牧・長久手での秀吉への牽制など、数々の場面で家康を支えた武将でした。「生涯無傷」は伝説としても、半世紀にわたって前線に立ち続けたことは確かです。敵である秀吉からも認められたその武勇は、家康が秀吉に臣従したあとも徳川家の大きな支えになりました。

参考:『寛政重修諸家譜』/『徳川実紀』/『常山紀談』

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