家康が見た大坂城|天正14年、大坂城はどこまでできていたのか ─ 大友宗麟が驚いた天守と黄金の茶室、工事中の二の丸

大坂城の石垣普請のイメージイラスト:修羅に載せた巨石を大勢の人夫が曳く場面
この記事のポイント
  • 天正14年(1586)10月に家康が上洛したとき、大坂城は築城開始から3年ほどで、天守を中心とする本丸はできあがっていましたが、まわりの二の丸はまだ工事の最中でした
  • この年の春に大坂城を訪ねた大友宗麟は、天守の内部や黄金の茶室を見せられ、その豪華さに驚いたことを書き残しています
  • 秀吉は大名たちに城や財宝を見せることで、天下人の力を示しました。家康が臣従の礼をとったのも、この大坂城でした
  • 城の周りでは城下町づくりも進み、大坂は京・堺と並ぶ大都市へと育ちつつありました

『豊臣兄弟!』第41回「家康の野望」で、上洛した家康が秀吉と向き合うのは大坂城です。では、天正14年(1586)の大坂城は、どんな姿だったのでしょうか。結論からいうと、天守のそびえる本丸は完成していましたが、城全体はまだ工事の途中でした。家康が目にしたであろう大坂城を、同じ年に訪れた大友宗麟の記録などからたどります(大友宗麟の大坂城訪問)。

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大坂城はいつ、どこまでできたのか

大坂城の築城の流れを表にまとめます。秀長は石や材木の手配で、この築城を支えました(大坂城築城と豊臣秀長)。

時期 できごと
天正11年(1583)9月 石山本願寺の跡地で築城が始まる
天正13年(1585)ごろ 天守を中心とする本丸がほぼ完成
天正14年(1586) 二の丸の工事が始まる。4月に大友宗麟、10月に家康が訪れる
文禄3年(1594)ごろ 町を囲む惣構えの工事が始まる
慶長3年(1598) 秀吉が亡くなる。秀頼が大坂城に入る

大友宗麟が見た大坂城

天正14年の春、九州の大友宗麟が島津への援軍を頼むために大坂城を訪れました。秀吉は宗麟を自ら案内し、天守の各階や、金銀の財宝、そして黄金の茶室を見せたといいます。宗麟は国元への手紙で、その豪華さを驚きをもって書き残しています。宗麟が「内々のことは利休に、公儀のことは宰相(秀長)に」と聞かされたのも、このときのことです(大友宗麟の大坂城訪問)。

金の柱と壁、赤い障子と畳の黄金の茶室(イメージイラスト)
秀吉が大坂城や御所で披露した黄金の茶室のイメージ(イメージイラスト)

家康が見た大坂城

その半年後の10月、家康が大坂に着きます。家康は秀長の屋敷に泊まり、翌27日に大坂城で秀吉に対面しました。このときの大坂城は、天守のそびえる本丸ができあがり、そのまわりで二の丸の石垣や堀の工事が進められていたころです。工事の槌音のなかで、家康は諸大名の前で秀吉に臣従の礼をとったのです(家康はなぜ秀長の屋敷に泊まったのか)。

家康が大坂城をどう見たのかを書き残した記録はありません。ただ、小牧・長久手のころから2年あまりで、秀吉がこれほどの城と富を手にしていたことは、家康にとって力の差を思い知らされるものだったでしょう(臣従したころ、家康と秀吉の国力はどれくらい差があったのか)。

▽ よく語られる話
いま大阪城公園に建つ天守は、秀吉の大坂城の天守を再現したものだ。
▼ 史実ではこうです
いまの天守は昭和に再建されたもので、秀吉の時代の天守とは位置も形も異なります。そもそも豊臣時代の大坂城は、大坂の陣のあと徳川家によって埋められ、その上に新しい城が築かれました。現在見られる石垣の多くは、徳川時代のものです。

秀吉はなぜ城と財宝を見せたのか

秀吉は、訪れた大名や使者に、城の内部や財宝をくり返し見せました。百姓の出から天下人になった秀吉には、古い家柄や譜代の家臣団という後ろ盾がありません。そのかわりに、巨大な城と黄金の輝きで、目に見える形で力を示したのです。黄金の茶室もその一つで、天正14年の正月には御所にまで運びこまれています(秀吉の黄金の茶室とは、豊臣家はなぜあれほど金銀を持てたのか)。

城下町・大坂のにぎわい

城の工事と並んで、城下町づくりも進みました。秀吉は大名たちに屋敷を構えさせ、商人や職人を各地から集めます。大坂は、京や堺と並ぶ大都市へと育っていきました。翌天正15年には京に聚楽第が完成し、秀吉の政治の舞台は京へも広がっていきます(秀吉はなぜ城をいくつも建てたのか、聚楽第とは)。

▷ 大河ドラマではどう描かれるか(放送前の予想)
第41回「家康の野望」は10月25日(日)放送予定です。上洛した家康が大坂城でどんな表情を見せるのか、秀吉が城や黄金で家康を圧倒しようとする場面があるかに注目です。放送後にこの枠を更新します。

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よくある質問

Q. 大坂城はいつ完成しましたか?
A. 天正11年に築城が始まり、天正13年ごろに本丸がほぼ完成しました。その後も二の丸や惣構えの工事が続きました。

Q. 家康が上洛したとき、大坂城はどこまでできていましたか?
A. 天守のある本丸は完成していましたが、二の丸は工事の最中でした。

Q. 大友宗麟は大坂城で何を見ましたか?
A. 天守の内部や金銀の財宝、黄金の茶室を見せられたと伝わります。

Q. いまの大阪城の天守は秀吉のものですか?
A. いいえ。昭和に再建されたもので、豊臣時代の天守とは位置も形も違います。

まとめ

天正14年、家康が上洛したときの大坂城は、天守のある本丸はできあがっていたものの、二の丸はまだ工事の最中でした。同じ年の春には大友宗麟が天守や黄金の茶室を見せられて驚いています。秀吉は城と財宝を見せることで天下人の力を示し、家康はその城で臣従の礼をとりました。第41回の大坂城は、築城の槌音が響く、伸び盛りの豊臣政権の象徴だったのです。

参考:『大友家文書録』/『家忠日記』/中村博司『大坂城全史』ちくま新書

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