NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の放送内容にあわせて書いている解説記事をまとめています。各回で「なぜあの人はあんな行動をとったのか」と気になった場面から読めるように並べました。
いま読まれている記事
豊臣秀長と秀吉の出自:異父弟説の真相と、なぜ弟だけが最後まで裏切らなかったのか主人公・豊臣秀長とは何者か。異父弟説の真相から
前田利家はなぜ賤ヶ岳で退いたのか:裏切りか生き残りか 加賀百万石への分岐点裏切りか、生き残りか。あの撤退を与力という立場から
末森城の戦い:前田利家はなぜ六倍の兵に勝てたのか 加賀百万石が決まった三日間一万五千対二千五百。加賀百万石が決まった三日間
佐々成政はなぜ真冬の北アルプスを越えたのか:さらさら越えの真相と、越中の終わり末森で敗れた男が次に選んだのは真冬の北アルプスだった
まつ(芳春院)はなぜ自ら人質になったのか:前田家を救った十四年と、参勤交代の原型前田家を救った十四年と、参勤交代の原型になった判断
賤ヶ岳の七本槍とは:七人のその後と、秀吉が英雄を作らなければならなかった理由感状は戦果の記録ではなく、人事の宣言だった
柴田勝家とは:瓶割り柴田の実像と、北ノ庄城で迎えた最期 賤ヶ岳の敗因瓶割り柴田の実像と、敗因は性格ではなく配置だった話
秀吉はなぜ関白になったのか:征夷大将軍を選ばなかった理由と豊臣姓の創出征夷大将軍を選ばなかった理由と、豊臣姓という発明
藤堂高虎はなぜ築城の名手になったのか:豊臣秀長に仕えた二十年と、七度替えた主君築城の名手は天賦の才ではなく、秀長のもとでの二十年で放送回から探す ― 各回の史実解説
ドラマの各回で実際に何が起きたのか、45分では描ききれなかった部分を史実から補う連載です。放送回ごとに追加していきます。
- 第1〜8回「尾張時代」 … 墨俣一夜城は本当にあったのか。兄弟の出自はどこまでわかるのか
- 第9〜12回「美濃攻略と上洛」 … 竹中半兵衛はなぜ城を奪い、なぜ返したのか
- 第13〜17回「浅井との三年」 … 姉川・比叡山・小谷落城、通説はどこまで正しいのか
- 第18〜21回「羽柴誕生」 … 「羽柴」という姓はどう作られたのか
- 第22〜26回「播磨と官兵衛」 … 三木の干殺しと、二人の軍師が入れ替わった年
- 第27〜29回「本能寺と中国大返し」 … 二百キロを十日で戻った十一日間
- 第30〜31回「清須会議」 … 「勝家が三法師に反対した」は本当か
- 第32回「賤ヶ岳の決闘」 … 勝敗を分けたのは槍ではなく脚だった
- 第33回「北庄城の別れ」 … お市はなぜ二度目の落城で城に残ったのか
- 第34〜35回「最強のライバル」「秀長誕生」 … 小牧・長久手はなぜ痛み分けに終わったのか
- 豊臣秀長はなぜ「長秀」から「秀長」に改めたのか … 丹羽長秀と同じ名を持っていた男
- 三好信吉(豊臣秀次)はなぜ白山林で大敗したのか … 十七歳の総大将に何が起きたか
- 長宗我部元親はなぜ「姫若子」から「鬼若子」になったのか … 二十二歳の初陣と、一領具足という仕掛け
- 榊原康政はなぜ秀吉に首を狙われたのか … 「野人の子」と書いた檄文と、白山林の朝
- 秀吉はなぜお市の方を助けなかったのか … 娘は城を出た。なぜ母だけが残ったのか
- 浅井三姉妹のその後 … 茶々・初・江はなぜ敵味方に分かれたのか
- 柴田勝家とお市の辞世の句 … ほととぎすに託された、名と別れ
- 北ノ庄城の天守は本当に九層だったのか … フロイスの記録と、地表に残る石垣
- お市の方はなぜ柴田勝家と再婚したのか … 信長はもういなかった
- 豊臣秀長は賤ヶ岳で何をしていたのか … 秀吉が戦場を離れられた理由
- 西光寺:勝家とお市の墓には遺骨がない … 誰が、なぜ建てたのか
- 秀頼は本当に秀吉の子だったのか … 四百年消えなかった疑惑の正体
- 織田信雄はなぜ家康に断りもなく和睦したのか … 第34回「最強のライバル」
- 池田恒興の「中入り」はなぜ失敗したのか … 賤ヶ岳と同じ型の失敗
- 森長可とは:森蘭丸の兄「鬼武蔵」 … 長久手で討死した猛将
- 太閤検地と刀狩とは … 兵農分離が戦国を終わらせた
- 聚楽第とは:秀吉が自分で消した城 … 八年で跡形もなく
- 豊臣鶴松はなぜ三歳で死んだのか … 豊臣家崩壊の起点
この四本は、続けて読むと面白い
前田利家・佐々成政・まつの三人は、同じ時期に同じ北陸で、まったく違う選択をしました。順に読むと「家を残す家」と「筋を通して滅びる家」の違いが見えてきます。
- 前田利家はなぜ賤ヶ岳で退いたのか
動かなかった男。ではなぜ翌年は自分から突っ込んだのか? - 末森城の戦い:なぜ六倍の兵に勝てたのか
敗れた佐々成政は、なぜあそこまで無茶をしたのか? - 佐々成政はなぜ真冬の北アルプスを越えたのか
同じ立場だった前田は、なぜ生き残ったのか? - まつ(芳春院)はなぜ自ら人質になったのか
その原理が最初に現れたのが、1の賤ヶ岳でした
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豊臣秀長 ── 主人公を知る
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- 前田利家はなぜ賤ヶ岳で退いたのか:裏切りか生き残りか 加賀百万石への分岐点
- 賤ヶ岳の七本槍とは:七人のその後と、秀吉が英雄を作らなければならなかった理由
- お市の方と浅井三姉妹:二度の落城を生きた信長の妹 北ノ庄で娘を送り出した夜
北陸の三人 ── 残った家と、滅びた家
- 末森城の戦い:前田利家はなぜ六倍の兵に勝てたのか 加賀百万石が決まった三日間
- 佐々成政はなぜ真冬の北アルプスを越えたのか:さらさら越えの真相と、越中の終わり
- まつ(芳春院)はなぜ自ら人質になったのか:前田家を救った十四年と、参勤交代の原型
天下統一への道
- 小牧・長久手の戦いはどっちが勝った?秀吉と家康 唯一の直接対決をわかりやすく解説
- 忍城はなぜ落ちなかったのか:二十八キロの石田堤と、切れた夜
- なぜ秀吉は備中高松城を水攻めにしたのか:十二日で築いた堤と、発掘でわかった本当の大きさ
- なぜ秀長は大和郡山に百万石を与えられたのか:地蔵まで石垣に積んだ、豊臣の弟の頂点
- 根来衆とは何者だったのか:鉄砲を最初に持った僧たちと、弾痕の残る国宝大塔
- なぜ秀吉は太田城を水攻めにしたのか:総延長五〜六キロの堤と、紀州征伐の一ヶ月
- 秀吉はなぜ関白になったのか:征夷大将軍を選ばなかった理由と豊臣姓の創出
- 旭姫と大政所:秀吉はなぜ妹と母を差し出したのか 家康を臣従させた人質外交
- 天正大地震とは:帰雲城が消えた夜と、秀吉が家康攻めを断念した理由
- 小田原征伐で北条氏政はなぜ降伏しなかったのか?「小田原評定」の意味も解説
- 朝鮮出兵(文禄・慶長の役)をわかりやすく解説!秀吉はなぜ海を渡ったのか
豊臣政権の人びと
- 北政所ねね(高台院)とは〜天下人・秀吉を支えた糟糠の妻の実像と、子飼い武将たちに慕われた政治力
- 茶々(淀殿)はなぜ仇・豊臣秀吉の側室になったのか?年の差32歳の真相を解説
- 石田三成:なぜ嫌われ、なぜ敗れたのか〜豊臣政権を支えた天才官僚の実像と関ヶ原の真実
- 黒田官兵衛(如水):秀吉が最も恐れた天才軍師〜有岡城の幽閉から関ヶ原の九州切り取りまで
- 真田幸村(信繁)とは何者か〜「日本一の兵」の実像と、家康を追い詰めた大坂の陣の真実
- 藤堂高虎はなぜ築城の名手になったのか:豊臣秀長に仕えた二十年と、七度替えた主君
豊臣家の終わり
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その前史
ゆかりの城をめぐる
記事に登場する城は、それぞれ現地写真つきの個別ページがあります。豊臣秀吉・秀長ゆかりの城めぐり完全ガイドから、大坂城・長浜城・大和郡山城などをたどれます。
歩いて確かめたくなったら
この特集で読んだ城は、いまも歩けます。お市の方が生きた三つの城——安土・小谷・北ノ庄を、実際に車でたどった記録が姉妹サイトにあります。
当サイトの各城の解説 … 安土城/彦根城/長浜城/小谷城/一乗谷城/北ノ庄城
※ 記事は放送の進行にあわせて追加していきます。
