- 10月11日(日)放送の『豊臣兄弟!』第39回「茶々の本心」で、こうなったらおもしろい、という場面を筆者が勝手に七つ予想しました
- 石川数正(迫田孝也)は秀吉に何を見せられるのか? 茶々(井上和)の「本心」とは何か? 寧々(浜辺美波)はどう動くのか? などを、史実と照らし合わせています
- 予想は外れるかもしれません。そのぶん、それぞれの予想に「史実ではどうだったのか」を添えたので、放送前の予習にも使ってください
- 放送後、各予想の下にある「答え合わせ」の欄に、当たり外れを追記します
第39回「茶々の本心」は、二つの場面で進む回です。伝えられているあらすじでは、大坂城に呼ばれた徳川の重臣・石川数正が豊臣の財力と勢いに圧倒される一方、家康は和睦をはっきりと拒みます。そして大坂城の奥では、秀長が秀吉に、信長の血を引く茶々を妻に迎えるよう勧めます。ここでは、ドラマの筋を当てにいくというより、「こうなったら歴史好きとしてはうれしい」という場面を七つ選び、それぞれ史実ではどうだったのかを添えました。外れたらごめんなさい、のつもりで読んでください。あらすじと史実の全体像は第39回「茶々の本心」あらすじ予想と史実にまとめています。

予想1:秀吉が数正に黄金の茶室か、大坂城の天守を見せる
史実の黄金の茶室は、天正14年(1586)正月に宮中で披露されたのが最初の記録とされ、数正が大坂に来たころにはまだお目見えしていなかった可能性があります。大坂城の天守は天正13年(1585)ごろに完成したと考えられ、数正が見ていてもおかしくありません。秀吉が数正を厚遇したことは確かで、出奔のあと数正は河内に所領を与えられています(石川数正はなぜ家康を裏切ったのか)。
予想2:家康が和睦を拒む理由として「真田」と「人質」の二つがセリフに出る
史実では、天正13年閏8月に家康は上田城で真田昌幸に大敗し、10月28日には浜松で秀吉への新たな人質を出さないと決めています(第一次・第二次上田合戦/石川数正が去っても、家康はなぜ秀吉と戦おうとしたのか)。真田昌幸については真田昌幸とはで紹介しています。
予想3:秀長が茶々を勧める理由として、秀次の名前が出る
史実では、秀吉には天正13年の時点で実の子がおらず、養子の秀勝(於次)がこの年の暮れに亡くなります。甥の秀次は跡継ぎ候補の一人でした。秀長が茶々を勧めたという記録はありません(秀長は本当に秀吉に茶々を勧めたのか/秀吉に実子はいたのか)。
予想4:寧々が最後に「茶々を迎えなさい」と背中を押す
史実で寧々が茶々を迎えるよう勧めたという記録はありません。ただ、正室の寧々が側室たちを含めた「奥」を取り仕切り、秀吉の側室と良い関係を保っていたことは知られています(寧々(ねね・北政所)とは/秀吉の側室は何人いたのか)。
予想5:茶々の「本心」は「浅井の血を天下に残したい」
茶々がなぜ仇の秀吉の側室になったのかは、史料からははっきりしません。結果として茶々の子・秀頼は豊臣家の当主に、妹・江の子の家光は三代将軍になり、浅井の血は天下の頂点に届きました(茶々はなぜ仇・秀吉の側室になったのか/浅井井頼とは)。
予想6:茶々が弓を引く場面がある
茶々が弓を得意としたという話は、確かな史料では確かめられません(茶々は弓が得意だったのか)。ただ、武家の女性が薙刀や弓の心得を持っていたことは珍しくありませんでした。
予想7:回の最後、数正が岡崎を出る後ろ姿で終わる
史実の数正の出奔は、天正13年11月13日のことです。妻子や家臣、そして小笠原貞慶の人質を連れて岡崎を出たとされます(小笠原貞慶とは)。出奔が第39回の最後に来るのか、第40回の冒頭に来るのかで、この予想の当たり外れが決まります。
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まとめ
第39回は、徳川との外交と、豊臣家の跡継ぎという、外と内の二つの宿題が同時に動く回になりそうです。七つの予想のうちいくつ当たるかはわかりませんが、放送後に答え合わせをします。あわせて、第40回、筆者が勝手に予想する見どころ7つもどうぞ。
