あさひと副田吉成の離縁、ドラマと史実はどう違う?|夫の「優しい嘘」、密告、木陰の見送り ─ 史料に残る前夫の二つの姿

東海道を進む旭姫の花嫁行列のイメージイラスト
この記事のポイント
  • 『豊臣兄弟!』第40回では、あさひの夫・副田吉成(前原瑞樹)が自分で密告し、わざと悪態をついてあさひを突き放す「優しい嘘」が描かれました。この場面はドラマの創作です
  • 史実では、旭(あさひ)の前夫がだれだったのかもはっきりせず、副田甚兵衛吉成とする説と、佐治日向守とする説があります
  • 副田吉成説では、秀吉から「五万石を加増するから離縁せよ」と迫られ、加増を断って出家し、尾張に隠棲したと江戸時代の随筆『塩尻』に伝わります。佐治日向守説では、離縁を承知したあと自害したとされます
  • 旭が天正14年(1586)5月に44歳で家康に嫁いだこと、天正18年(1590)1月に京で48歳で亡くなったことは史実です

第40回「あさひの輿入れ」で、多くの視聴者の涙を誘ったのが、あさひの夫・副田吉成の「優しい嘘」でした。妻が未練を残さないよう、自分で密告して悪態をつき、見送りにも出ずに木陰から背中を見送る。では史実では、旭の前夫はどうしたのでしょうか。この記事では、ドラマで描かれた場面と、史料から言えることを一つずつ比べます。前夫の人物像については甚助(副田吉成)とはで詳しく書いています。

目次

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ドラマと史実を一覧で比べる

第40回のおもな場面と、史実で確かめられることを表にまとめます(第40回「あさひの輿入れ」あらすじ予想と史実)。

場面 ドラマ(第40回) 史実
縁組の始まり 和睦の条件として、家康が秀吉の身内を妻に求める 家康が求めたのか、秀吉が申し出たのかは説が分かれる
離縁の命令 秀吉が関白として離縁を命じる 秀吉の命で離縁させられたことは諸書が伝える
夫の誘い 夫が夜逃げを持ちかけ、あさひが断る 史料には見えない(創作)
密告と悪態 夫が自分で密告し、わざと悪態をついて突き放す 史料には見えない(創作)
見送り 夫は木陰に隠れて妻の背中を見送る 史料には見えない(創作)
夫のその後 描かれず 加増を断って出家した説と、自害した説がある
輿入れ あさひが笑顔で嫁ぐ 天正14年5月、44歳で浜松の家康に嫁ぐ

縁組を求めたのはどちらか

ドラマでは、家康が和睦の条件として秀吉の身内を妻に求めたことになっています。史実では、家康が求めたのか、秀吉の側から申し出たのかは、はっきりしません。どちらにしても、天正地震で家康攻めが難しくなった秀吉が、武力ではなく縁組で家康を取りこもうとしたことは確かです(旭姫の縁組は家康が求めたのか、秀吉が申し出たのか、天正地震は歴史をどう変えたのか)。

「優しい嘘」は創作 ─ 史料に残る前夫の姿

夫が自ら密告し、悪態をついて妻を突き放すという場面は、史料には見えません。そもそも旭の前夫がだれだったのかも、実はよくわかっていません。江戸時代の書物には、副田甚兵衛吉成とする説と、佐治日向守とする説の二つが出てきます。ドラマは副田吉成説をとっています。

副田吉成は尾張の出身で、秀吉の直臣として秀長の与力となり、但馬攻めなどに加わったと伝わります。江戸時代の随筆『塩尻』には、秀吉から「五万石を加増するから離縁せよ」と迫られた吉成が、加増を断って出家し、尾張に隠棲したという話が残ります。妻を差し出す代わりに出世することを拒んだ、という話です(秀吉はあさひの夫に「但馬一国」を約束したのか)。

▽ よく語られる話
旭姫の夫は、離縁を命じられたことを恨んで自害した。
▼ 史実ではこうです
自害したという話は、前夫を佐治日向守とする書物に見えるものです。副田吉成とする書物では、加増を断って出家したとされます。どちらが本当なのかは、確かな史料がなく決められません。ドラマの「優しい嘘」は、加増を断って身を引いたという副田吉成の伝承に、妻への思いを重ねて描いたものといえそうです。

旭のその後 ─ 4年後の死

天正14年5月、旭は44歳で浜松の家康のもとへ嫁ぎました。家康はこのとき45歳です。その年の10月には、母の大政所が旭に会うという名目で岡崎に入り、母と娘は再会しました。家康の正室となった旭は、やがて駿府に移り、「駿河御前」と呼ばれたと伝わります(旭姫(朝日姫)の生涯、井伊直政と大政所)。

天正16年ごろ、旭は母の病を見舞うために京へのぼり、そのまま京にとどまりました。そして天正18年(1590)1月、聚楽第で48歳の生涯を閉じます。輿入れからわずか4年足らずでした。SNSで「4年後に」と悲しむ声が多かったのは、この短さのためでしょう。

▷ 大河ドラマではこう描かれました
第40回「あさひの輿入れ」(10月18日放送)では、秀吉が関白としてあさひ(倉沢杏菜)に離縁を命じ、夫の副田吉成(前原瑞樹)は夜逃げを持ちかけますが、あさひは断ります。秀長らが「密告があった」と告げると、吉成はあさひを疑うふりをして離縁を突きつけますが、密告したのは吉成自身でした。あさひは慶たちに夫への感謝を託し、木陰から見送る夫に気づきながら、笑顔で家康のもとへ嫁いでいきました。

旭が駿府ではなく京で亡くなった理由は、旭姫はなぜ駿府ではなく京都で亡くなったのかで詳しく考えています。

よくある質問

Q. 第40回の夫の「優しい嘘」は史実ですか?
A. 史料には見えず、ドラマの創作と考えられます。

Q. 旭姫の前夫はだれですか?
A. 副田甚兵衛吉成とする説と、佐治日向守とする説があります。ドラマは副田吉成説をとっています。

Q. 旭姫の前夫は離縁のあとどうなりましたか?
A. 副田吉成説では加増を断って出家し、尾張に隠棲したとされます。佐治日向守説では自害したとされます。

Q. 旭姫はいつ亡くなりましたか?
A. 天正18年(1590)1月、京の聚楽第で48歳で亡くなりました。

まとめ

第40回で描かれた夫の「優しい嘘」、自らの密告、木陰からの見送りは、ドラマの創作です。史実では旭の前夫がだれかもはっきりせず、副田吉成とする説では加増を断って出家し、佐治日向守とする説では自害したと伝わります。確かなのは、旭が44歳で家康に嫁ぎ、4年後に京で亡くなったことです。史料の空白を、妻を思う夫の姿で埋めたのが、第40回のドラマだったといえるでしょう。

参考:天野信景『塩尻』/『武家事紀』/『武徳編年集成』/黒田基樹『羽柴秀吉とその一族』KADOKAWA

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