郡山城の石垣には、地蔵が逆さまに積まれています。五輪塔も、寺の礎石も入っています。罰当たりに見えますが、これは大和という土地の事情から来たことでした。この国には、城を築くだけの石を切り出せる山がなかったのです。石仏や石塔を石垣に使うことを転用石といいます。郡山城はその代表格です。
- 転用石とは、石仏・五輪塔・墓石・礎石などを石垣の石材に使ったものです
- 大和には城に使える石を大量に切り出せる山がありませんでした
- 近世の城は短期間に大量の石を必要とします。運ぶ手間が最大の壁でした
- 郡山城の逆さ地蔵は、その不足がそのまま形になったものです
- 転用石は郡山城だけの話ではなく、各地の城で見つかります
転用石とは何か
城の石垣を近くで見ると、ときどき形の揃いすぎた石が混じっています。四角く削られた礎石、丸みのある五輪塔の一部、そして顔の彫られた石仏。もとは別の用途でつくられた石が、石垣の材料として使われているものを転用石と呼びます。
石垣は、割ったばかりの自然石だけで組むものではありません。野面積みであれ刻紋の残る石垣であれ、手に入る石は何でも使います。形が整っているぶん、加工済みの石は据えやすくもありました。
地蔵を逆さに積んだ城|秀長の百万石・大和郡山城
大和には、石山がなかった
城の石垣に向くのは、硬く、割れば面が出る石です。花崗岩や安山岩がよく使われました。ところが大和盆地の周囲には、そうした石を大量に切り出せる山がありません。
石材の問題は、実は「石があるか」より「運べるか」です。大坂城の築城で秀長がやったのは、瀬戸内の島から船で石を運ばせることでした。海と川があれば、遠くからでも運べます。大和は内陸で、大きな川も限られます。海路が使えない土地で、何万という石を集めるのは容易ではありませんでした。
そこで目を向けたのが、すでにそこにある加工済みの石です。寺の礎石、墓地の五輪塔、路傍の石仏、春日社の近くの川原石。地蔵まで石垣に積んだという話は誇張ではなく、実際に郡山城の石垣には逆さまに据えられた地蔵が残っています。根来寺の大門を運んできて城門にしたという話も伝わります。
罰当たりではなかったのか
おもしろいのは、積み方です。逆さ地蔵はその名のとおり逆さに据えられていますが、それを隠していません。石垣の表に出ています。隠して積んだのではなく、石として使い切ったという感覚に近いのでしょう。
いっぽうで、取り壊した寺社をきちんと別の場所に建て直す動きもありました。多武峰を郡山の城下へ移したのがその例です。壊して終わりではなく、移して面倒を見る。力ずくで押しながら、信仰そのものは否定しない。この使い分けが、この時期の大名のやり方でした。
ほかの城にもある
転用石は郡山城だけのものではありません。福知山城の石垣には、五輪塔や宝篋印塔が多数積み込まれており、近くで見ると石仏の形がはっきり分かります。一乗谷のように、館や寺の礎石がそのまま残る遺跡もあります。
戦国末から近世初頭にかけて、城は急に大きくなりました。石垣の高さも面積も、それまでとは桁が違います。必要な石の量が跳ね上がったのに、切り出しと運搬の技術は追いついていない。その差を埋めたのが転用石でした。全国に見られるのは、同じ問題が全国で起きていたからです。
どんな石が積まれているのか
- 五輪塔 … 下から方形・円形・三角・半月・宝珠と積み上がる供養塔。石垣では輪切りの一段だけが顔を出していることが多いです
- 宝篋印塔 … 角ばった塔身と、四隅が突き出た笠が目印。笠の部分が横向きに挟まっていると見つけやすい
- 石仏・地蔵 … 彫られた顔や衣の線が見えます。向きを気にせず積まれているものがあります
- 石臼・石鉢 … 中央に丸い穴やくぼみ。生活道具がそのまま転用されたもの
- 礎石・板碑 … 平らで厚みがそろっているため、石工にとっては使いやすい材でした
どれも共通しているのは、すでに人の手で加工されているという点です。郡山城の石垣で目立つのも、この加工ずみの石でした。
なぜ石塔は石垣に向いていたのか
自然の石を石垣に使うには、まず割って面をつくる手間がかかります。高取山のように石が得やすい土地でも、割る人手は要ります。
その点、石塔や礎石ははじめから平らな面を持っています。大きさもそろっていて、ひとりかふたりで運べる。積み手にとっては、これ以上ない材料です。石を「奪った」というより、「そこにある使える材を使った」というほうが実情に近いでしょう。
ただし、それが通るには仏罰への恐れを越えなければなりません。村の側は神仏の力で自分たちの契約を保っていましたから、この恐れは迷信ではなく、生活の土台でした。越えるには理屈が要ります。
有名な転用石を見に行くなら
- 大和郡山城(奈良県大和郡山市) … 天守台の石垣に、逆さまに積まれた地蔵があります。「さかさ地蔵」と呼ばれ、囲いの下からのぞけます
- 福知山城(京都府福知山市) … 五輪塔や宝篋印塔が大量に積まれ、天守台の石垣で数多く確認できます
- 姫路城(兵庫県姫路市) … 石臼が積まれた「姥が石」の伝承が残ります
- 坂本城跡・大津城跡ほか(滋賀県) … 湖岸の城では、石塔を使った石垣の跡が各地で見つかっています
いずれも、石が足りない土地というより、石塔が身近にたくさんあった土地です。寺社の多い場所ほど転用石が多くなる、という関係があります。大和はその典型でした。
現地での探し方
転用石を探すコツは、石垣を横から見ることです。正面から眺めると壁にしか見えませんが、斜めの光が当たると、彫られた線や整った面が浮かび上がります。夕方の斜光がいちばん見つけやすい時間です。
郡山城では、天守台の北側に逆さ地蔵の案内があります。案内がなければ見落とすような位置ですが、一度見つけると、周りの石にも加工の跡が見えてきます。福知山城は天守のすぐ足元なので、こちらはもっと分かりやすいでしょう。
石垣を「積み方」で見るのが基本ですが、もう一段進んで「どこから来た石か」を見ると、城の裏にある事情まで読めます。石が足りなかったという一点から、その国が置かれていた状況が見えてきます。
石を集めるのと並行して町割りも進んでいました。箱本十三町とは:秀長が郡山につくった自治のまちもあわせてどうぞ。
城の石垣に城以前の石が混じる例は高取城跡:日本三大山城のひとつ、標高583メートルの総石垣の猿石にもみられます。
石を運び、普請に駆り出された村の側の仕組みは惣村とは:戦国の村がつくった自治と、乙名・村掟・自検断・地下請の仕組みにまとめています。
まとめ
郡山城の逆さ地蔵は、奇行でも冒涜でもありません。石山のない国で、短期間に城を築かねばならなかったという事情の結果です。
石垣の前に立ったとき、積み方だけでなく石そのものを見てください。どこから来たのかを考えると、その城が抱えていた問題が見えてきます。

