豊臣兄弟!第40回、筆者が勝手に予想する見どころ7つ ─ 家康が軍法を変える? 甚助が身を引く? 輿入れに浅野長政

天正地震で崩れた城と城下町のイメージイラスト
この記事のポイント
  • 10月18日(日)放送の『豊臣兄弟!』第40回「あさひの輿入れ」で、こうなったらおもしろい、という場面を筆者が勝手に七つ予想しました
  • 家康(松下洸平)は数正の出奔にどう動くのか? 大地震はどう描かれるのか? あさひ(倉沢杏菜)と夫の甚助(前原瑞樹)はどうなるのか? などを、史実と照らし合わせています
  • 予想は外れるかもしれません。そのぶん、それぞれの予想に「史実ではどうだったのか」を添えたので、放送前の予習にも使ってください
  • 放送後、各予想の下にある「答え合わせ」の欄に、当たり外れを追記します

第40回「あさひの輿入れ」は、伝えられているあらすじによると、重臣の出奔に揺れる徳川家、大坂と浜松を襲う大地震、そして和睦の条件として家康が秀吉の身内を妻に求め、差し出せるのはすでに夫のいる妹・あさひだけ ─ という流れで進みます。ここでは、ドラマの筋を当てにいくというより、「こうなったら歴史好きとしてはうれしい」という場面を七つ選び、それぞれ史実ではどうだったのかを添えました。あらすじと史実の全体像は第40回「あさひの輿入れ」あらすじ予想と史実にまとめています。

天正地震で崩れた城と城下町のイメージイラスト
天正地震のイメージ(イメージイラスト)
▷ 答え合わせの結果(10月18日放送後)
放送後に、七つの予想の当たり外れをここにまとめます。
目次

予想1:家康が「軍法を変えよ」と命じる

▷ 筆者の予想(放送前)
数正の出奔を知った家康が、家臣たちを前に「数正に知られた軍法はもう使えぬ。武田の法に改めよ」と命じる場面があるのではないか。井伊直政(阿久津仁愛)ら旧武田家臣を抱える徳川家ならではの展開を予想します。
▷ 答え合わせ(10月18日放送後)
放送後に追記します。

史実では、数正の出奔のあと、家康は旧武田家臣から武田流の軍法を取り入れて軍制を改めたと伝わります(石川数正の出奔で徳川家はどう変わったのか)。

予想2:酒井忠次が「戦うべし」と家康の背中を押す

▷ 筆者の予想(放送前)
数正がいなくなった徳川家で、最古参の重臣・酒井忠次(天野ひろゆき)が「ここで頭を下げてはなりませぬ」と家康を励ます場面を予想します。数正と並ぶ二本柱だった忠次の存在感が増す回になるのでは。
▷ 答え合わせ(10月18日放送後)
放送後に追記します。

史実の忠次と数正は、東三河と西三河の旗頭として徳川家臣団を支えた二人でした。数正の出奔後、忠次は徳川家に残った最古参の重臣となります(酒井忠次とは)。

予想3:地震の場面で、長浜城の山内一豊の娘の悲劇が語られる

▷ 筆者の予想(放送前)
大地震の被害を伝える場面で、「長浜の城が崩れ、山内殿の姫が亡くなった」という知らせが届くのではないか。秀吉にとって長浜は初めての城で、思い入れのある土地です。
▷ 答え合わせ(10月18日放送後)
放送後に追記します。

史実の天正地震では、長浜城が全壊し、城主・山内一豊の6歳の娘・与祢が亡くなりました(山内一豊の娘・与祢と天正地震/天正地震で壊れた城一覧)。

予想4:家康が身内を求める理由に「正室の座が空いている」が語られる

▷ 筆者の予想(放送前)
家康が「秀吉の身内を妻に」と求める場面で、「わしには正室がおらぬ」というセリフが出るのではないか。築山殿を失って7年、家康の過去がちらりと語られる場面を予想します。
▷ 答え合わせ(10月18日放送後)
放送後に追記します。

史実の家康は、天正7年(1579)に正室の築山殿を失ってから、旭姫を迎えるまで正室を置いていませんでした(徳川家康の妻たち一覧)。ただし史実では、縁組を申し出たのは秀吉の側とされます(旭姫の縁組は家康が求めたのか、秀吉が申し出たのか)。

予想5:甚助が自ら身を引き、あさひの背中を押す

▷ 筆者の予想(放送前)
あさひの夫・甚助(前原瑞樹)は、秀吉に離縁を迫られて抵抗するのではなく、自分から「行ってこい」とあさひを送り出すのではないか。夫婦の別れが、この回いちばんの泣かせどころになると予想します。
▷ 答え合わせ(10月18日放送後)
放送後に追記します。

旭姫の前夫については、副田甚兵衛とする説と佐治日向守とする説があり、佐治日向守には離縁のあと自害したという話も伝わります(甚助(副田吉成)とは)。

予想6:なか(大政所)が「わたしが行く」と言い出す

▷ 筆者の予想(放送前)
娘を差し出すことに心を痛めた母のなか(坂井真紀)が、「あさひ一人を行かせるくらいなら、わたしも行く」と言い出す ─ のちの岡崎下向の伏線になる場面を予想します。
▷ 答え合わせ(10月18日放送後)
放送後に追記します。

史実では、旭姫が嫁いでも家康は上洛せず、天正14年10月、秀吉は母の大政所を岡崎へ送りました。大政所の宿所のまわりには、本多作左衛門重次が薪を積んだと伝わります(大政所(なか)とは/本多作左衛門重次とは)。

予想7:輿入れの行列に浅野長政が付き従う

▷ 筆者の予想(放送前)
回の最後、浜松へ向かうあさひの輿の脇に、浅野長政(大地伸永)の姿があるのではないか。寧々の妹婿で秀吉の身内の長政が付き従うことで、豊臣家をあげての輿入れであることが示されると予想します。
▷ 答え合わせ(10月18日放送後)
放送後に追記します。

史実の旭姫の輿入れには、浅野長政・富田知信らが付き従い、織田信雄の側から織田長益や滝川雄利も加わって、150人余りの行列だったと伝わります(浅野長政とは/旭姫(朝日姫)の生涯)。

まとめ

第40回は、徳川と豊臣の関係が「戦」から「縁組」へ切り替わる回になりそうです。数正の出奔、大地震、そしてあさひの輿入れ ─ 七つの予想のうちいくつ当たるか、放送後に答え合わせをします。前の回の予想は第39回、筆者が勝手に予想する見どころ7つです。

  • URLをコピーしました!
目次