『豊臣兄弟!』第41回のタイトル「家康の野望」。家康が秀吉に頭を下げる回なのに、なぜ「野望」なのか。筆者は、この「野望」の正体はいずれ豊臣家を除いて、徳川の世をつかむことだと考えています。回の中では秀長を除こうとする企てとして見せ、家康が思いとどまって頭を下げたあと、最後にその大きな野望をのぞかせる形になると予想しています。この記事では、考えられる4つの読み方を史実と照らしながら比べます。
- 第41回は家康が臣従する回。それなのにタイトルは「野望」という逆の言葉
- 候補は「天下を狙う」「家を守る」「秀長を除く」「豊臣政権の中で一番になる」の4つ
- 史実では、家康がこのころ天下を狙っていたと示す同時代の記録はない
- 筆者の本命は、将来豊臣家を除いて徳川の世をつかむという野望。回の中では秀長暗殺の企てとして表に出ると予想
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臣従の回なのに、なぜ「野望」なのか
天正14年10月、家康は大坂城で秀吉に対面し、臣従しました。小牧・長久手で戦った相手に頭を下げる、家康にとっては我慢の回です。その回に「野望」という攻めの言葉を付けたところに、制作側のねらいがありそうです。回の流れは第41回あらすじ予想と史実に、場面ごとの予想は第41回、筆者が勝手に予想する見どころ7つにまとめています。
「野望」は戦国ものではおなじみの言葉です。歴史ゲームの題名にも使われ、天下を取りにいく戦国大名の姿と結びついています。視聴者の多くは「家康の野望」と聞けば、のちに天下を取る家康を思い浮かべるでしょう。ドラマはその思い込みを利用して、別の中身を見せてくる可能性もあります。

候補1:臣従しながら、いずれ豊臣家を除いて徳川の世をつかむ
一番わかりやすい読み方です。頭を下げるのは今だけで、いつか秀吉に代わって天下を取る。視聴者が知っている「のちの家康」を、この回で先取りして見せる形です。
ただ史実では、家康がこのころから天下を狙っていたと示す同時代の記録はありません。家康はこのあと12年間、豊臣政権の重鎮として秀吉に逆らわずに仕えました。目に見える形で動き出すのは秀吉の死後です。くわしくは家康の野望とは?いつから天下を狙っていたのかで段階を追って書いています。
ドラマが候補1だけで押すなら、主人公の秀長は「家康の本心を見抜く人」として描かれるはずです。ただ、それだと秀長が家康を信じて屋敷に泊める流れと合いにくく、候補1は最後の一場面で匂わせる程度と予想します。
候補2:徳川家と家臣を守り抜くこと
家康はこの2年ほどのあいだに、小牧・長久手で秀吉と戦い、人質を出せという要求を拒み、筆頭家老の石川数正に去られました。家臣団の中には上洛に反対する声も強くありました(秀吉の人質要求と浜松評定、石川数正のその後)。
大名として生き残り、5か国と家臣団を一つも欠けさせずに次の時代へ渡すこと。それ自体が、この時期の家康にとって最大の望みだったともいえます。家康の我慢強さについては家康の我慢強さはどこから来たのかで、秀吉との国力の差については家康と秀吉の国力差で書いています。

候補2は、主人公の秀長と重ねやすい読み方です。兄を支えて家を守る秀長と、家臣を守るために頭を下げる家康。「守るための野望」として二人を並べて描くなら、終盤の秀長と家康の関係にもつながります。
候補3:秀長を除いて、豊臣の要を崩すこと
家康は大坂に着いた夜、秀長の屋敷に泊まりました。秀吉が自ら訪ねてきて、酒を酌み交わしたとも伝わります。秀吉の弟で、豊臣家の取りまとめ役だった秀長が倒れれば、豊臣家は大きく揺らぎます。
ただし、家康が秀長の命を狙ったと示す確かな史料はありません。むしろ当時の記録で命の危険を心配されていたのは、上洛する家康の側でした。この点は家康は本当に秀長を暗殺しようとしたのかでくわしく書いています。上洛の日程や同行した家臣は家康の上洛に従った家臣、岡崎に残った家臣にまとめています。
事前の情報からは、家康が秀長を狙うかのような筋が取りざたされています。筆者は、これがこの回の「野望」の表の顔になると見ています。秀長の屋敷の夜が最大の山場になり、家康が刀に手をかけるかどうかの緊張の場面が描かれるのではないでしょうか。
候補4:豊臣政権の中で一番の大名になること
家康は臣従すると同時に、秀吉の妹の旭姫を正室に迎え、秀吉の義弟になりました。翌月には正三位に叙され、豊臣政権の中で別格の大名として扱われます。のちに五大老の筆頭となる道は、ここから始まっています。
「頭を下げて、内側から一番になる」。戦わずに地位を上げるこのやり方は、家康の現実的な性格に合っています。和睦と臣従の違いは「和睦」と「臣従」はどう違うのかで、家康が見た大坂城の大きさは家康が見た大坂城で書いています。
候補4は、ドラマの中では秀吉との対面の場面で出てくると予想します。陣羽織の逸話のように、諸大名の前で秀吉を立ててみせることで、かえって自分の格を上げる家康の計算として描かれるかもしれません(家康の陣羽織の逸話は史実?)。
4つの候補を比べる
史実との合い方と、ドラマで描かれそうかどうかを並べました。評価は筆者の見立てです。史実の家康の歩みは家康の本拠の変遷も参考になります。
| 候補 | 中身 | 史実との合い方 | ドラマでの描かれやすさ |
|---|---|---|---|
| 1 | 天下を狙う | このころの記録には出てこない | 本命。最後に必ずのぞかせると予想 |
| 2 | 徳川家と家臣を守る | 当時の家康の行動とよく合う | 家臣団の場面で描かれそう |
| 3 | 秀長を除く | 確かな史料はない | 回の山場になりそう(本命の表の顔) |
| 4 | 豊臣政権の中で一番になる | 臣従後の扱いとよく合う | 秀吉との対面で描かれそう |
筆者の本命 ─ 野望の正体は「徳川の世」
筆者の予想をまとめます。この予想が当たったかどうかは、放送後にこの記事へ書き足します。秀長と家康の関係は家康はなぜ秀吉に臣従したのかも合わせてどうぞ。
筆者は、タイトルの「家康の野望」が本当に指しているのは、いずれ豊臣家を除いて徳川の世をつかむことだと考えています。
このころの家康がそれを口にした記録はありません。しかし家康は、臣従してからの十二年、秀吉に逆らわずに力をたくわえ、秀吉が亡くなると動き出しました。関ヶ原で天下の実権を握り、大坂の陣で豊臣家を滅ぼします。頭を下げた天正14年の大坂城は、その長い道のりの出発点だったと筆者は見ています。秀長が生きているあいだは動けなかった家康が、秀長と秀吉を見送ったあとにどう動いたかは家康の野望とは?いつから天下を狙っていたのかで段階を追って書いています。
ドラマでも、秀長を狙う企ても、頭を下げる決断も、すべてはこの大きな野望のための一歩として描かれるのではないでしょうか。
回の中では、候補3の「秀長を除く企て」を家康の野望として見せると予想します。秀長の屋敷の夜、家康は秀長と向き合い、その人柄にふれて思いとどまる。そして翌日、大坂城で秀吉に頭を下げます。
ところが最後に、家康がひとり遠くを見つめる場面などで、候補1の「いずれ豊臣を除き、徳川の世をつかむ」という本当の野望をのぞかせて終わる。主人公の秀長は、家康の野望をいったん止めた人として描かれる。秀長が生きているあいだは家康も動けなかった、という終盤への伏線にもなるはずです。
答え合わせ:放送後に追記します。
よくある質問
Q. 家康はこのころから天下を狙っていたのですか?
A. そう示す同時代の記録はありません。家康は臣従後12年間、豊臣政権の重鎮として秀吉に仕え、目に見えて動き出すのは秀吉の死後です。
Q. 家康は秀長の命を狙ったのですか?
A. 確かな史料はありません。当時の記録で命の危険を心配されていたのは、上洛した家康の側でした。
Q. 第41回のタイトルの「野望」は何を指すのですか?
A. 放送前の時点では分かりません。この記事では4つの候補を挙げ、筆者の予想を示しています。
まとめ
「家康の野望」は、天下を狙う野望、家を守る野望、秀長を除く野望、豊臣政権の中で一番になる野望と、いくつにも読めるタイトルです。臣従したころの家康の行動に一番合うのは、家を守り、政権の内側で地位を上げる道でした。それでも筆者は、その先にあった本当の野望は、豊臣家を除いて徳川の世をつかむことだったと考えています。ドラマがどの「野望」を選ぶのか、そしてそれを秀長がどう受け止めるのか。放送後に答え合わせをします。特集ページ大河ドラマ『豊臣兄弟!』からほかの回の記事も読めます。
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参考:『家忠日記』、『徳川実紀』、NHK『豊臣兄弟!』公式サイトの番組情報

