- 11月1日(日)放送の『豊臣兄弟!』第42回「北野大茶湯」で、こうなったらおもしろい、という場面を筆者が勝手に七つ予想しました
- 聚楽第の完成、だれでも参加できた大茶会、高山右近の決断、肥後の一揆。盛りだくさんの回になりそうな第42回を、史実と照らし合わせています
- 予想は外れるかもしれません。そのぶん、それぞれの予想に「史実ではどうだったのか」を添えたので、放送前の予習にも使ってください
- 放送後、各予想の下にある「答え合わせ」の欄に、当たり外れを追記します
第42回「北野大茶湯」は、伝えられているあらすじによると、聚楽第の完成を祝う大茶会を秀次が提案し、秀長が「まだ早い」といさめながらも、秀吉の勢いに押し切られる回です。ここでは、ドラマの筋を当てにいくというより、「こうなったら歴史好きとしてはうれしい」という場面を七つ選び、それぞれ史実ではどうだったのかを添えました。あらすじと史実の全体像は第42回「北野大茶湯」あらすじ予想と史実にまとめています。

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予想1:秀長が「まだ早い」と言う理由は、肥後の一揆
史実では、肥後国人一揆は天正15年7月に起きています。北野大茶湯の高札が立てられたのは7月28日なので、茶会の準備と一揆は同じころに進んでいました(肥後国人一揆と佐々成政の切腹)。
予想2:高札の「来ない者は茶の湯禁止」に、秀長が眉をひそめる
史実の高札には、たしかに参加しない者への茶の湯禁止が書かれていました。身分を問わず開かれた茶会であると同時に、天下人の命令でもあったのです(北野大茶湯に庶民はどう参加したのか)。
予想3:松原の朱塗りの大傘で、秀吉が足を止める
史実では、京の侘び茶人ノ貫が一間半の朱傘を立てた茶席を構え、秀吉が感心して諸役を免除したと伝わります(北野大茶湯に庶民はどう参加したのか)。
予想4:黄金の茶室で、秀吉みずから茶を点てる
史実の北野大茶湯では、拝殿を区切って秀吉と三人の茶頭の茶席が設けられ、中央に黄金の茶室が置かれました(秀吉の黄金の茶室とは)。
予想5:宗及と宗久が、利休に一歩ゆずる
史実では、信長の時代は今井宗久が茶頭の先頭でしたが、秀吉の時代には利休が筆頭になり、宗久は三番手に下がりました(天下三宗匠とは)。
予想6:高山右近の決断は、聚楽第ではなく九州で
史実でバテレン追放令が出されたのは天正15年6月19日、九州攻めの帰りに立ち寄った筑前の筥崎でした。右近が信仰を選んで領地を失ったのもこのときです(秀吉はなぜバテレン追放令を出したのか)。
予想7:利休が秀長にかける言葉は、四年後の伏線
史実では、豊臣秀長は天正19年(1591)1月に亡くなり、千利休は翌2月に切腹しました。秀吉に直言できた二人が、ひと月のうちに相次いでいなくなったのです(天正十九年に何が起きたのか)。
まとめ
第42回「北野大茶湯」は、黄金の茶室とわび茶、天下人の気前のよさと命令、そして華やかな京と不穏な九州が同時に描かれそうな回です。七つの予想がいくつ当たるかはわかりませんが、史実を知っておくと、ドラマがどこを変え、どこを生かしたのかがよく見えてきます。放送後には答え合わせを追記します。

