大河ドラマ特集– category –
NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の放送内容にあわせた解説記事をまとめています。
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大河ドラマ特集
まつ(芳春院)はなぜ自ら人質になったのか:前田家を救った十四年と、参勤交代の原型
この記事のポイント 慶長五年(1600)、前田家は徳川家康から謀反の嫌疑をかけられた。当主の利長は交戦する構えだった それを止めたのが利家の妻・まつ(芳春院)。自分が人質になると申し出て、江戸へ下った 滞在は十四年。この間に前田家は関ヶ原で東軍... -
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佐々成政はなぜ真冬の北アルプスを越えたのか:さらさら越えの真相と、越中の終わり
この記事のポイント 天正十二年(1584)の暮れ、佐々成政は真冬の北アルプスを越えて浜松の徳川家康を訪ねたと伝わる。これがさらさら越え 目的は援軍ではない。秀吉と和睦してしまった家康に、もう一度立ってくれと直訴するためだった 家康は動かなかった... -
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末森城の戦い:前田利家はなぜ六倍の兵に勝てたのか 加賀百万石が決まった三日間
この記事のポイント 天正十二年(1584)九月、佐々成政が約一万五千で能登の末森城を攻めた。城兵はわずか三百 救援に向かった前田利家の兵は二千五百。六倍の敵に対して、利家は正面から当たらず海岸沿いを抜けて背後を突いた 案内したのは地元の農民だっ... -
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藤堂高虎はなぜ築城の名手になったのか:豊臣秀長に仕えた二十年と、七度替えた主君
この記事のポイント藤堂高虎は主君を七度替えたと言われるが、豊臣秀長の家にだけは家が絶えるまで仕えた秀長のもとで過ごした約二十年が、彼の人生で最も長い奉公だった築城の技術は設計の才ではなく、石と材木と人夫を動かす秀長の実務の現場で身につい... -
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賤ヶ岳の七本槍とは:七人のその後と、秀吉が英雄を作らなければならなかった理由
この記事のポイント賤ヶ岳の七本槍は、天正十一年(1583)の合戦で秀吉から感状を受けた七人の若武者福島正則・加藤清正・加藤嘉明・脇坂安治・平野長泰・糟屋武則・片桐且元同じ日に同じ功を認められながら、その後は五十二万石から五千石まで分かれた秀... -
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天正大地震とは:帰雲城が消えた夜と、秀吉が家康攻めを断念した理由
この記事のポイント天正十三年十一月二十九日(1586年1月18日)の夜、飛騨から近江にかけて巨大地震が起きた飛騨の帰雲城は山崩れに呑まれ、城主・内ヶ島氏理の一族もろとも地上から消えた長浜城は倒壊し、山内一豊は六歳の一人娘を失っている秀吉は大垣に... -
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旭姫と大政所:秀吉はなぜ妹と母を差し出したのか 家康を臣従させた人質外交
この記事のポイント小牧・長久手のあと、秀吉は家康を武力では従わせられなかった天正十四年(1586)五月、四十四歳の妹・旭姫を離縁させて家康の正室に送ったそれでも家康が動かないため、同年十月には七十歳を超える生母・大政所まで岡崎へ送った領地で... -
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秀吉はなぜ関白になったのか:征夷大将軍を選ばなかった理由と豊臣姓の創出
この記事のポイント秀吉が関白に就いたのは天正十三年(1585)七月十一日。四国平定と同じ年であるきっかけは公家社会の内紛「関白相論」で、秀吉はその調停者として割って入った「将軍になれなかったから関白になった」という通説の根拠は、後世の編纂物... -
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大坂城築城と豊臣秀長:石と材木をどう集めたか 天下普請の原型と弟の実務
この記事のポイント大坂城の着工は天正十一年(1583)九月。賤ヶ岳の勝利からわずか四か月後だった天下人の城づくりは「築く」より「集める」仕事で、石・材木・人夫の割り当てが本体だった秀長は但馬の銀山、大和・紀伊の材木、堺と和泉の水運という、資... -
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前田利家はなぜ賤ヶ岳で退いたのか:裏切りか生き残りか 加賀百万石への分岐点
この記事のポイント前田利家は柴田勝家の家臣ではなく、信長が勝家に付けた与力(寄騎)だった賤ヶ岳では茂山に布陣しながら戦わずに府中へ退き、勝家軍の崩壊を決定づけた利家は秀吉方に加わったわけでもなく、いったん戦場から降りるという第三の道を選... -
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柴田勝家とは:瓶割り柴田の実像と、北ノ庄城で迎えた最期 賤ヶ岳の敗因
この記事のポイント柴田勝家はもともと信長の弟・信行に付けられた家老で、信長とは一度戦って負けた側だった「瓶割り柴田」の逸話は後世の武辺話に由来するが、勝家の人物像を決定づけた越前北ノ庄では刀狩や用水開削など、武辺一辺倒では説明できない領... -
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豊臣秀長と秀吉の出自:異父弟説の真相と、なぜ弟だけが最後まで裏切らなかったのか
この記事のポイント秀吉と秀長は母・なか(のちの大政所)を同じくする兄弟。父が違う「異父弟」とする説が有力だが、同じ木下弥右衛門の子とする見方も消えていない生年は秀吉が天文六年(1537)、秀長が天文九年(1540)とされ、その差は三歳。幼名は小... -
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お市の方と浅井三姉妹:二度の落城を生きた信長の妹 北ノ庄で娘を送り出した夜
この記事のポイントお市の方は生涯に二度、城が落ちる夜を経験している。小谷と北ノ庄である一度目は娘たちと生き延び、二度目は自ら残ることを選んだ。その差は何だったのか三姉妹を城から出したのは、勝家ではなくお市の意思だったと考えられる茶々・初... -
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北政所ねね(高台院)とは〜天下人・秀吉を支えた糟糠の妻の実像と、子飼い武将たちに慕われた政治力
この記事のポイント(先に結論) 北政所ねね(おね・高台院)は、秀吉が身分の低い時代に結ばれた「恋愛結婚」の妻。天下人の糟糠の妻として、豊臣政権を家庭の側から支え続けた。 加藤清正・福島正則ら「秀吉子飼い」の武将たちにとって、ねねは実の母の... -
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豊臣秀吉・秀長ゆかりの城めぐり完全ガイド〜大河『豊臣兄弟!』の舞台を五つのテーマでたどる
この記事のポイント(先に結論) 大河ドラマ『豊臣兄弟!』をより深く楽しむために、豊臣秀吉・秀長兄弟ゆかりの城を、物語の流れに沿って一気にめぐるガイド。 「出世の城」「天下人の城」「弟・秀長の城」「四国・九州平定の城」「豊臣家終焉の城」の五... -
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石田三成:なぜ嫌われ、なぜ敗れたのか〜豊臣政権を支えた天才官僚の実像と関ヶ原の真実
この記事のポイント(先に結論) 石田三成は「戦下手の嫌われ者」というイメージで語られがちだが、実像は豊臣政権を実務で支えた稀代の行政官だった。 三成が関ヶ原で敗れた最大の要因は、軍事力の差ではなく「人望のネットワーク」の差にあった。ここに... -
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真田幸村(信繁)とは何者か〜「日本一の兵」の実像と、家康を追い詰めた大坂の陣の真実
この記事のポイント(先に結論) 「真田幸村」は後世の呼び名で、本人が名乗った実名は「真田信繁」。英雄像の多くは江戸時代の講談が育てた虚像を含んでいる。 幸村が愛されるのは、勝ったからではなく「負けると分かっていた戦いで、家康をあと一歩まで... -
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黒田官兵衛(如水):秀吉が最も恐れた天才軍師〜有岡城の幽閉から関ヶ原の九州切り取りまで
この記事のポイント(先に結論) 黒田官兵衛(孝高・如水)は、豊臣秀吉の天下取りを軍略で支えた稀代の軍師。だが有能すぎたがゆえに、主君・秀吉から警戒される宿命を負った。 本能寺の変の直後、動揺する秀吉に「天下取りの好機」と囁いたのは官兵衛だ... -
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本能寺の変:なぜ明智光秀は天下を取れなかったのか〜信長最期の11日間と秀吉の中国大返しを読み解く
この記事のポイント(先に結論) 本能寺の変は「怨恨」だけでは説明できない。明智光秀が動いた背景には、織田政権の統治構造そのものが抱えた無理があった。 光秀の誤算は「信長を討てば天下が転がり込む」と考えた点にある。彼には秀吉・秀長兄弟のよう... -
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大坂の陣(冬・夏)をわかりやすく解説!真田幸村の奮戦と豊臣家の滅亡
この記事のポイント(先に結論) 大坂の陣(1614年 冬の陣/1615年 夏の陣)は、徳川家康が豊臣家を完全に滅ぼした最後の戦い。 冬の陣では、真田幸村(信繁)が「真田丸」で徳川軍を撃退。難攻不落の大坂城は落ちなかった。 しかし家康は和睦の名目で堀を...
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