特集 ─ もうひとつの兄弟大河NHK『長宗我部兄弟!』をもっと知る元親と親泰の外交、伊予の金子元宅との約束、天正の陣、ゆかりの城まで ▶
- 浦戸城は、長宗我部元親が晩年に本拠を移した城です。
- 天守がありました。山城の岡豊にはなかったものです。
- 天守跡と石垣が高知市の史跡に指定されています。
- 長宗我部が改易されたとき、一領具足たちがこの城の引き渡しを拒んで蜂起しました。
- 山内氏が高知城を築いたことで、浦戸城は廃城になります。
長宗我部元親は、四国を失ったあと本拠を岡豊城から浦戸へ移しました。桂浜のすぐそば、太平洋に面した高台です。この城には天守がありました。土の山城だった岡豊にはなかったものです。そして長宗我部が改易されたとき、この城の引き渡しを拒んで一領具足たちが蜂起しました。長宗我部の最初の天守は、長宗我部の最後の抵抗の場にもなりました。
天守跡と石垣が、市の史跡になっている

城跡に据えられた石碑。「高知市史跡 浦戸城 天守跡・石垣」と刻まれています。
城跡に大きな自然石の碑があり、こう刻まれています。
高知市史跡 浦戸城 天守跡・石垣
短い文字列ですが、重要なことが二つ入っています。この城に天守があったこと。そして石垣が残っていること。
元親が長く本拠とした岡豊城は、土でできた山城です。石垣も天守もありません。浦戸へ移ったとき、長宗我部の城は姿を変えました。
なぜ、岡豊から浦戸へ移ったのか
元親が本拠を移した時期については諸説ありますが、四国攻めで土佐一国に押し戻されたあとのことです。
秀吉に降りたあとの長宗我部が何を失い、何を残したのかは、こちらで扱いました。
長宗我部氏はどうなったのか:戸次川で嫡男を失い、浦戸で国を失い、六条河原で家が絶えるまで
浦戸一揆 ― この城を渡すまいとした人たち

城跡への案内標識。桂浜のすぐそばにあります。
関ヶ原のあと、長宗我部盛親は土佐を取り上げられました。新しい国主として山内一豊が入ることになります。
ところが、浦戸城の引き渡しを求めてきた使者に対し、旧長宗我部の家臣たちが拒みました。「盛親の家名が立つのでなければ渡さない」という言い分です。中心になったのは、田を耕しながら戦ってきた一領具足たちでした。
蜂起は鎮圧されます。斬られた者の首は二百七十余に及び、大坂へ送られたと伝わります。
主家がすでに改易されたあとで、なお城を渡すまいとした。長宗我部という家が、どういう兵に支えられていたのかが分かる出来事です。
一領具足とは:田の畦に具足を置いた兵と、土佐に二百六十年残った身分
山内一豊は、この城に入った。そして出た
一揆を鎮めたあと、山内一豊は浦戸城へ入りました。
ただし長くは使いません。浦戸は海に突き出た地形で、城下町を広げる余地がなかったからです。一豊は内陸の大高坂山に新しい城を築き、そちらへ移りました。それが高知城です。
浦戸城は廃城となり、石垣も多くが持ち去られたと伝わります。いま残っているのは、天守跡の一角と、わずかな石垣だけです。
桂浜の隣にある
この城跡は、桂浜のすぐ隣にあります。坂本龍馬の像が立つあの浜です。
観光で桂浜を訪れる人は多いのですが、すぐ上の高台が長宗我部の最後の本拠だったことを知る人は多くありません。
そして話はつながっています。浦戸で蜂起した一領具足の子孫は郷士とされ、二百六十年のあいだ土佐で下の身分に置かれました。その家々から、幕末に坂本龍馬が出ています。
浜に立つ像と、その上の城跡は、一本の線でつながっています。
土佐藩の上士と下士:板垣退助・後藤象二郎・吉田東洋と、武市半平太・岡田以蔵・坂本龍馬の家はどこから来たのか
- 四国平定・九州平定 ─ 総大将・秀長が輝いた天下統一の総仕上げ
- 長宗我部元親はなぜ「姫若子」から「鬼若子」になったのか
- 豊臣秀長はなぜ四国攻めの総大将に選ばれたのか
- 第36回「姫若子と鬼若子」─ 四国攻めはなぜ二か月で終わったのか
- 十河存保とは何者か ─ 阿波と讃岐を失った三好最後の大将
- 湯築城跡(伊予)─ 石垣も天守もない河野氏の城
- 一宮城(阿波)─ 秀長の本隊が取りついた山城
- 勝瑞城跡(阿波)─ 土塁を持たなかった三好氏の館
- 仏殿城跡(川之江城・伊予)─ 四国の十字路
- 白地城跡(阿波)─ 元親が四国経営の根拠地とした城
- 来島城跡(伊予)─ 潮が守った村上水軍の島
浦戸城のあと、山内一豊が新たに築いた土佐の本城については、高知城:天守と本丸御殿がともに残る唯一の城と、山内一豊が大高坂山に築いた土佐二十四万石の本拠をご覧ください。
浦戸城跡へのアクセス
高知県高知市浦戸。桂浜公園の一角にあたり、駐車場から歩いて上がれます。天守跡には石碑が据えられています。
- 長宗我部兄弟!(NHK)の内容と史実 ─ 金子元宅との約束
- 金子元宅とは ─ 長宗我部と運命をともにした伊予の国人
- 天正の陣とは ─ 二千で小早川の大軍に挑んだ伊予の戦い
- 金子城 ─ 金子氏が三百年守った新居浜の山城
- 長宗我部兄弟とは ─ 元親を支えた吉良親貞と香宗我部親泰
- 香宗我部親泰とは ─ 信長・家康と渡り合った外交役の弟
- 長宗我部と香宗我部は何が違うのか
- 長宗我部元親はなぜ「姫若子」から「鬼若子」になったのか
- 長宗我部元親の妻は誰だったのか ─ 明智光秀につながる縁組
- 豊臣兄弟と長宗我部兄弟 ─ 二組の兄弟の違い
- 長宗我部元親はどうやって土佐を統一したのか
- 三好康長とは ─ 信長が長宗我部から乗り換えた相手
- 十河存保とは ─ 阿波と讃岐を失った三好最後の大将
- なぜ長宗我部元親は海で秀吉を止められなかったのか
- 豊臣秀長はなぜ四国攻めの総大将に選ばれたのか
- 豊臣兄弟!第36回 ─ 四国攻めはなぜ二か月で終わったのか
- 四国国分とは ─ 長宗我部に残された土佐一国
- 戸次川の戦いとは ─ 長宗我部信親の戦死
- 長宗我部氏はどうなったのか ─ 盛親と家の終わり
- 谷忠澄とは ─ 元親に降伏を説き、信親の亡骸を迎えた家臣
- 岡豊城跡 ─ 長宗我部氏の本拠
- 本山城 ─ 土佐中央を争った本山氏の城
- 日和佐城 ─ 親泰に降った阿波の日和佐氏
- 白地城跡 ─ 四国統一の根拠地「四国の十字路」
- 一宮城(阿波)─ 秀長の本隊が攻め、谷忠澄が籠もった城
長宗我部の記事をまとめて読むなら 長宗我部氏特集 へ。

