特集 ─ もうひとつの兄弟大河NHK『長宗我部兄弟!』をもっと知る元親と親泰の外交、伊予の金子元宅との約束、天正の陣、ゆかりの城まで ▶
仏殿城(ぶつでんじょう)は、瀬戸内海にのぞむ鷲尾山に築かれた城です。川之江城とも呼ばれます。伊予・讃岐・阿波の三国の境が集まり、土佐から北へ抜ける道も通じる、四国の十字路にあたる場所でした。そのため主がくり返し替わり、長宗我部元親にも豊臣方にも攻められています。今は山上に天守を模した建物と門が建ち、燧灘を見わたせます。
- 伊予・讃岐・阿波の境が集まる、四国の交通の要にあった城
- 南北朝期に河野氏の配下が築き、以後は勢力が動くたびに主が替わった
- 長宗我部元親の伊予侵攻で落城し、四国攻めでは小早川隆景に攻められた
- 山上の天守と門は後年に建てられたもので、当時の姿ではない

石垣の上に建てられた櫓門。白壁と黒い下見板を組み合わせた造りで、後年に建てられたもの。
四国の十字路
川之江は、瀬戸内海に面した細長い平地です。すぐ背後に四国山地が迫り、海と山にはさまれています。ここから東へ行けば讃岐、南へ山を越えれば阿波、そして土佐へ通じる道もあります。西は伊予の平野。四国の東半分の道が、この一点に集まっています。
城が置かれた鷲尾山は、その平地に突き出した独立した丘です。海にも街道にも近く、山上からは瀬戸内が一望できます。守るための地形というより、押さえるための位置でした。
南北朝から戦国へ
築城は建武四年(一三三七)と伝えられます。伊予を治めていた河野氏の配下、土肥義昌によるものとされ、南北朝の動乱のなかで築かれました。仏殿城という名も、この時期に由来するとされます。
戦国期には妻鳥友春が城主となりますが、土佐の長宗我部元親に内通したことが露見し、河野氏の手勢に攻められて城は落ちます。境目の城では、こうした内通と討伐がくり返されました。どちらにつくかを決めかねる立場に、常に置かれていたからです。

門を斜めから見上げる。石垣の積み方や門の意匠は、城跡の景観を整えるために新しく造られたもの。
なぜ何度も主が替わったのか
天正十年(一五八二)、四国統一を目指す長宗我部元親が伊予へ侵攻し、この城を攻めました。守将の河上安勝は自刃し、城は長宗我部方のものとなります。岡豊城から北へ伸びた勢力が、瀬戸内の岸まで届いた瞬間でした。
四国攻めと、その後
天正十三年(一五八五)の四国攻めでは、伊予方面を担った小早川隆景の軍がこの城を攻め、落としています。長宗我部の勢力が四国の北岸から押し戻された形です。
戦後、城主は小早川隆景、福島正則、池田輝政と替わりました。加藤嘉明が伊予に入ると本拠は松前城に置かれ、仏殿城は役目を終えます。のちに一柳氏が川之江に領地を得ますが、城としての再興はされませんでした。

山上に建つ白壁の建物。三層で最上階に高欄をめぐらせているが、当時の天守を復元したものではない。
山上からの眺め
建物のなかは展示施設になっており、最上階からは燧灘と川之江の町が見わたせます。海のすぐそばに山があり、その山が道を見おろす—この城が置かれた理由は、登って外を見ればすぐにわかります。
建物そのものは城の姿を伝えていません。ただ、この位置に立つことには意味があります。城跡の価値は建物ではなく、そこから何が見えるかにある—境目の城ではとくにそうです。

最上階から北を見る。眼下に町と港が広がり、その先に燧灘、対岸の陸地がかすんで見える。
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仏殿城跡の訪ね方
城跡はJR川之江駅から歩いて十五分ほど、四国中央市の市街地に接した鷲尾山にあります。山上まで車道と歩道が通じており、公園として整備されています。桜の名所でもあります。
四国の城をめぐるなら、一宮城、岡豊城、湯築城、来島城と結ぶと、四国攻めで何がどう動いたかが地図の上でつながります。
所在地:〒799-0111 愛媛県四国中央市川之江町
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伊予の守護・河野氏が二百五十年を過ごした中世の城。道後温泉のすぐ隣です。
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