
伊呂波丸(いろは丸) |
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藩名 | 大洲藩 | ||
藩主 | 加藤挙幹 | ||
船種 | スクリュー汽船 | ||
機関 | 蒸気内車 | ||
備砲 | 0門 | ||
材質 | 鉄製 | ||
馬力 | 不明 | ||
写真 | 無(イラスト) |
原名は「サーラ」で、鉄製スクリュー汽船としてイギリスのバーミンガムで建造された。
元々は薩摩藩がイギリス商人「グラバー」より購入し「安行丸」と命名して所有していたが、程なくボードインに売却した。大洲藩が蒸気船を所有する意思があったため「坂本龍馬」の仲介で購入し、伊呂波丸と命名した。
伊呂波丸は蒸気機関のほかマスト3本を持ち帆走も可能だった。1867年4月、大洲藩は、「坂本龍馬」の海援隊の海運業務のため、一航海15日につき500両の使用契約をした。5月22日、龍馬は大坂に物資を運ぶために長崎を出航したが、5月26日、紀州藩船「明光丸」と衝突し積荷もろとも沈没した。(いろは丸沈没事件)
その後、龍馬は後藤象二郎と共に、紀州藩と交渉を重ね賠償金を支払わせることに成功している。
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