幕末・維新– category –
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幕末・維新
相馬中村城跡(馬陵城):伊達と戦い抜いた相馬氏が、関ヶ原のあとに築いた土の城
福島県相馬市。ここに、戦国時代を最後まで独力で戦い抜き、そして生き残った家の城がある。相馬中村城跡である。 この城が完成したのは慶長十六年(1611)。関ヶ原の戦いから十一年後、戦国はとうに終わっている。それなのにこの城は、石垣をほとんど積ま... -
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水戸城跡:石垣も天守もない御三家の城と、弘道館が動かした幕末
水戸城とは 水戸城は、御三家のひとつ水戸徳川家三十五万石の居城である。 だがこの城には天守がない。石垣もない。那珂川と千波湖に挟まれた台地を、巨大な空堀で三つに断ち切っただけの——中世以来の造りをそのまま使い続けた土の城である。日本100名城第... -
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飯山城跡(長野県史跡):謙信が縄張りした越後への要地と、面ごとに変わる本丸の守り
飯山城とは 飯山城は、信濃の最北端、越後との境に築かれた城である。現地の案内板は立地をこう説明する。東は千曲川に沿い、西は関田・斑尾の山地に囲まれ、越後への軍事交通の要地であった——と。 上杉謙信にとってこの城は、信濃へ出るための拠点であり... -
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福島城跡(杉目城・大仏城):県庁が建つ城跡と、秀吉に壊され百年後に戻った城
福島城とは 福島城は、現在の福島県庁の敷地そのものにあった城である。戦国時代までは杉目城、あるいは大仏城と呼ばれていた。 三度名前が変わり、一度は秀吉の命で取り壊され、百年以上のあいだ城のない藩として過ごし、元禄になって再び城として整えら... -
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棚倉城跡(亀ヶ城公園):丹羽長重が神社を移して築いた城と、六百年立つ大ケヤキ
棚倉城とは 棚倉城は、二代将軍・徳川秀忠の命によって築かれた奥州の抑えの城である。築いたのは丹羽長重。安土城の普請総奉行を務めた丹羽長秀の子にあたる。 寛永二年(1625)の着工から、慶応四年(1868)の戊辰戦争で落城するまで、およそ二百五十年... -
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堀田佐野城跡(植下町):文政十一年に築かれ四十一年で終わった城と西村茂樹の碑文
もうひとつの佐野城 栃木県佐野市には、「佐野城」と呼ばれる城跡が二つある。 ひとつは佐野駅の北にある佐野城(春日岡城)。慶長七年(1602)に佐野信吉が築き、七年で廃された城である。もうひとつがこの堀田佐野城で、築かれたのは文政十一年(1828)... -
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館林城跡(尾曳城):沼が要害だった城と、徳川綱吉を将軍に送り出した館林藩
館林城とは 館林城は、上野国邑楽郡の低湿地帯に築かれた平城である。別名を尾曳城という。天守や高石垣はない。この城の要害は、城のすぐ北に広がる城沼そのものだった。 戦国期は赤井・長尾・後北条と支配が移り、江戸期には榊原康政や徳川綱吉といった... -
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栃木城跡(栃木市):皆川広照が築き十八年で消えた城と連歌の巻物
栃木城とは 栃木城は、天正十九年(1591)に皆川広照が築いた城である。現在の栃木市中心部、栃木城址公園のあたりにあった。 ところがこの城は、わずか十八年で取り壊されている。戦で落ちたのではない。城主が徳川家康の怒りに触れたためである。 栃木城... -
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壬生城址公園(壬生町):天守も櫓もなく将軍が泊まった城と精忠神社の鳥居元忠
壬生城とは 壬生城は栃木県壬生町にあった城で、戦国期は壬生氏の本拠、江戸期は壬生藩の藩庁だった。現在は本丸の土塁と水堀を残して城址公園として整備されている。 この城には天守がない。櫓もない。そのかわり本丸には広大な御殿があり、将軍が泊まっ... -
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福井城址:結城秀康が築いた越前六十八万石の城と名井「福の井」
福井城とは 福井県福井市大手にある福井城は、慶長六年から十一年(1601〜06)にかけて、徳川家康の次男・結城秀康が築いた平城である。柴田勝家の北ノ庄城があった地を大きく造り替えたもので、本丸の北西隅には高さ約三十メートルの天守がそびえていた。... -
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桑名城(扇城):本多忠勝が築いた伊勢の玄関口 七里の渡しと慶長の町割り
桑名城(扇城)とは 三重県桑名市吉之丸にある桑名城は、揖斐川の河口、伊勢湾に面して築かれた水城である。海に向かって開いたその姿から「扇城(おうぎじょう)」と呼ばれた。東海道で唯一の海路「七里の渡し」の船着き場を抱え、伊勢国の玄関口を押さえ... -
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天童城跡(舞鶴山):最上義光に落とされた天童氏の山城と将棋駒を生んだ吉田大八
天童城(天童古城・舞鶴山城)とは 山形県天童市の舞鶴山に築かれた天童城は、中世の典型的な山城で、「天童古城」「舞鶴山城」とも呼ばれる。足利一門・奥州斯波兼頼の孫とされる天童頼直が開いた城で、以後およそ二百九年、天童氏十代がここを本拠として... -
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新庄城跡(最上公園):戸沢氏十一代の居城と、少年の記憶から描かれた城の絵図
新庄城(沼田城)とは 新庄城は、寛永二年(1625)に新庄藩初代藩主戸沢政盛が築いた城である。別名を沼田城という。最上郡一円と村山郡の一部、六万石(のちに六万八千二百石)を領した新庄藩の藩庁だった。 戸沢氏は元和八年(1622)から明治初年まで、... -
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鶴ヶ岡城跡(鶴岡公園):庄内藩酒井家十四万石の居城と藩校致道館
鶴ヶ岡城とは 山形県鶴岡市馬場町にある鶴ヶ岡城(つるがおかじょう)は、庄内平野の中央に築かれた平城で、江戸時代を通じて庄内藩酒井家十四万石の居城となった城である。高くそびえる天守はもたず、本丸・二の丸・三の丸を幾重もの水堀で囲み、御殿と隅... -
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龍岡城五稜郭:日本に二つしかない星形城郭 松平乗謨が幕末信州に築いた洋式の城
【城名】 龍岡城(龍岡城五稜郭) 【龍岡城の説明】 龍岡城(たつおかじょう)は、長野県佐久市田口にある幕末に築かれた星形(稜堡式)の城で、「龍岡城五稜郭(ごりょうかく)」の名で知られています。北海道の函館五稜郭と並び、日本に二つしかない西洋... -
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池田屋事件のすべて──新選組はなぜ三条小橋で斬り込んだのか(跡地は今「はなの舞」)
この記事のポイント 元治元年(1864)6月5日、新選組が三条小橋の旅館「池田屋」で尊王攘夷派の志士を襲撃した幕末最大級の斬り合い。 発端は、新選組が捕らえた古高俊太郎への拷問で判明した“京都焼き討ち計画”だった。 近藤勇・沖田総司・永倉新八らが斬... -
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大村益次郎「木屋町の遭難」──“日本陸軍の父”はなぜ同郷の刃に斃れたのか
この記事のポイント 大村益次郎は周防(現・山口県)の村医者から身を起こし、「日本陸軍の父」と呼ばれた天才兵学者。 戊辰戦争では新政府軍の事実上の総参謀として上野の彰義隊を一日で平定した。 明治2年(1869)9月、京都・三条木屋町の旅館で不平士族... -
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佐久間象山「三条木屋町の遭難」──幕末最大の先覚者はなぜ京で斬られたのか
この記事のポイント 佐久間象山は信州松代藩の出身。「和魂洋才」を掲げ、西洋の科学・砲術を貪欲に取り入れた幕末最大級の先覚者。 勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬ら、時代を動かす人材を数多く育てた“師の中の師”。 元治元年(1864)7月11日、京都・三条木... -
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坂本龍馬・中岡慎太郎「近江屋事件」──維新の立役者はなぜ京の醤油商の二階で斃れたのか
この記事のポイント 慶応3年(1867)11月15日、坂本龍馬と中岡慎太郎は京都・河原町の醤油商「近江屋」の二階で襲われた。 龍馬はほぼ即死、中岡は約2日間生き延びたのち絶命。享年は龍馬33歳・中岡30歳(数え)。 実行犯は京都見廻組が有力とされるが、新... -
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二条城:徳川家康が築き大政奉還の舞台となった世界遺産の名城
二条城とは 京都市の中心部にある二条城は、徳川家康が京都における拠点として築いた城で、江戸幕府の始まりと終わりを見届けた歴史の舞台である。国宝の二の丸御殿をはじめ、豪壮な櫓や石垣、名庭が今も良好に残り、「古都京都の文化財」の一つとして世界...
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