関白が実の母を人質に出すのは異例だったのか|戦国の人質は弱い側が出すもの ─ 於義伊・旭姫・大政所で見る天正14年の逆転

金地の襖の奥御殿で、上座に並んで座る老女と中年の女性、かしこまる女房たち(イメージイラスト)

戦国の人質は、弱い側が強い側に出すものでした。従いますという約束の担保だからです。ところが天正14年、関白になっていた秀吉は、妹の旭を家康の正室として送り、さらに実の母である大政所を三河の岡崎へ送りました。強い側が、しかも70歳を過ぎた母を差し出したことになります。天下人が一大名のもとへ実母を送った例は、ほかに見当たりません。これは戦国の作法からはっきり外れた一手でした。

※この記事の絵は、いずれも当時の様子を描いたイメージ(イラスト)です。

この記事のポイント
  • 戦国の人質は、従属する側が上位の側に差し出すものでした。出すのは多くの場合、子・弟・妻です
  • 徳川はその原則どおりに出していました。小牧・長久手の和睦で、家康は次男の於義伊(のちの結城秀康)を秀吉のもとへ送っています
  • ところが天正14年、秀吉は逆向きに出します。5月に妹の旭を家康の正室として、10月には実の母の大政所を岡崎へ
  • 大政所はこのとき70歳を過ぎていました。母を出すのは人質としては最上級で、しかも強い側が出す例そのものが異例です
  • 岡崎では本多作左衛門が宿所のまわりに薪を積み、家康に万一あれば火をかける構えを見せたと伝わります
  • 秀吉はこの扱いを知って激怒し、作左は出世どころか、のちに蟄居させられました
  • それでも秀吉はこの手を打ちました。家康に「屈服した」ではなく「誠意に応えた」という形を用意するためです
冬の岡崎城で普請を急ぐ人々のイメージイラスト
冬の岡崎城のイメージ(イメージイラスト)。大政所はこの城下へ送られました
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戦国の人質とは ─ だれが、だれに出すものだったのか

戦国の人質は、恨みや脅しの道具である前に、約束を保証する仕組みでした。従いますと口で言うだけでは信じてもらえないので、血のつながった者を相手方に置く。裏切れば、その者の命が失われる。だから人質は、従属する側が上位の側に差し出すのが原則です。出されるのは多くの場合、子か弟か妻でした。

対等な同盟なら、たがいに人質を交わすこともあります。家康自身も少年期に今川家へ人質として送られた人です。人質を取られた側が離反したときどうなったかは、石川数正はなぜ家族を連れて出奔できたのかで、木曽義昌や穴山梅雪の例とあわせて見ています。つまり人質は、上から下へ出すものではありませんでした。ここを押さえておくと、天正14年に秀吉がやったことの異様さが見えてきます。

徳川は原則どおりに出していた ─ 於義伊のこと

小牧・長久手の戦いのあと、徳川と豊臣は和睦します。そのとき家康は、次男の於義伊を秀吉のもとへ送りました。名目は養子ですが、中身は人質です。従う側が子を出す。作法どおりの一手でした。この子はのちに結城秀康となり、越前67万石の大名になります(結城秀康(於義丸)とは)。

そしてこの一手が、2年後に効いてきます。家康は秀吉に身内を求めるとき、「こちらは於義伊を出しているのだから、豊臣からも身内を出せ」という言い方をしました。作法どおりに出した側が、作法を盾にして逆向きの要求を通したわけです。和睦と臣従がどう違うのかは「和睦」と「臣従」はどう違うのかにまとめています。

逆向きに出された二人 ─ 妹の旭、そして母の大政所

農家の土間で母なかを囲む、とも・藤吉郎・小一郎・旭の四人きょうだいのイメージ(イラスト)
母のなかと、とも・藤吉郎・小一郎・旭の4人きょうだいのイメージ(イメージイラスト)

秀吉が差し出せる身内は、ごく限られていました。この時点で実子がおらず、送れる子がいません。弟の秀長は大和・紀伊・和泉を預かる政権の柱で動かせない。姉のともの家は跡継ぎ候補の秀次を抱えています。残っていたのは、妹の旭と母のなかでした。

そこで天正14年5月、44歳の旭が前夫と離縁させられて浜松へ嫁ぎます(旭姫(朝日姫)の生涯)。ところが家康は、妹が来ても上洛しませんでした。そこで10月、秀吉は母の大政所を岡崎へ送ります。妹で足りなければ母を出す。身内の少なさがそのまま差し出す順番になっていました(秀吉はなぜ44歳の妹・旭姫を嫁に出すしかなかったのか)。

70歳を過ぎた母を、冬に向かう三河へ

大政所はこのとき70歳を過ぎていました。亡くなるのは天正20年、77歳のときです。尾張の農民の家に生まれ、息子が天下人になったことで関白の母と呼ばれるようになった人が、10月の三河へ、敵地と言ってよい土地へ送られました。人質として出せる身内のうち、母はいちばん重い札です。子でも弟でも妻でもなく母を出したということは、これ以上出すものがないという表明でもありました(大政所(なか)とは)。

本人がどう受け止めていたのかを示す言葉は残っていません。人質と知っていたのか、浜松に嫁いだ娘に会えるからと思っていたのか。ただ70歳を過ぎた母が東国へ向かう意味を、まったく知らずにいたとは考えにくいところです。岡崎で娘との再会があったのかどうかもふくめて、26388で考えています。

異例さは、薪になって目の前に積まれた

岡崎で大政所の警固にあたったのは、本多作左衛門重次でした。作左は宿所のまわりに薪を積み上げ、大坂へ向かった家康に万一のことがあれば火をかける構えを見せたと伝わります。侍女たちは日に日に積み上がる薪を見て震え上がったといいます。関白の母が、薪に囲まれて東国の冬を待つ。これが人質という言葉の中身でした(本多作左衛門はなぜ大政所の宿所に薪を積んだのか)。

いっぽうで井伊直政は、丁重にもてなす側に回っています。威す者と、もてなす者を分けて置く。徳川の側も相手が関白の母であることを承知していたわけです(阿久津仁愛が演じる井伊直政と大政所)。そして家康が無事に大坂から戻ったあと、大政所は大坂へ帰りました。帰ってからこの扱いを知った秀吉は激怒し、作左はその後出世するどころか、関東移封のあと秀吉の意向で上総に蟄居させられ、表舞台から遠ざけられます。母を人質に出した当人が、その扱いに怒った。異例の一手であったことが、この怒りからも伝わってきます。

なぜここまでしたのか

▷ 二つの見方をくらべる
  • 打つ手がなかったという見方……天正地震で家康攻めが潰れ、戦という手段を失った。差し出せる身内も妹と母しか残っていなかった。やむを得ず母を出した、という読み方です
  • 面目を用意したという見方……小牧で勝った家康は、頭を下げれば負けを認めることになる。関白が母まで差し出せば、家康は「屈服した」ではなく「誠意に応えた」という形で上洛できる。その道をあえて作った、という読み方です

筆者は後者に寄ります。秀吉という人は、必要なら相手がだれであろうと頭を下げられる人でした。頭を下げられない家康を動かすのに、自分の面目を削るのがいちばん速いと見抜いていたのでしょう。実際これで家康は上洛します。家康が最後に決断した要因は家康はなぜ最後に秀吉への臣従を決断したのかで、領地・財力・情勢・天運・秀吉の誠意の5つに分けて考えました。

よくある疑問

Q. 戦国の人質は、だれがだれに出すものでしたか。
A. 従属する側が上位の側に出すのが原則です。出すのは子・弟・妻が多く、対等な同盟ではたがいに交わすこともありました。

Q. 天下人が母を人質に出した例は、ほかにありますか。
A. 筆者の知る範囲では見当たりません。母を出すのは人質として最上級で、しかも上位の側が出す例そのものが異例です。

Q. 大政所は岡崎に何日いたのですか。
A. 天正14年10月18日に岡崎へ入り、家康が大坂から無事に戻ったあと大坂へ帰りました。日数をはっきり示す記録は伝わっていません。

Q. 薪の話は史実ですか。
A. 江戸時代の記録に見える逸話です。くわしい検討は本多作左衛門はなぜ大政所の宿所に薪を積んだのかをご覧ください。

まとめ

天正14年に秀吉がやったことは、戦国の作法の逆です。人質は弱い側が出すもので、出すのは子か弟か妻でした。その原則どおりに次男の於義伊を出していたのは家康のほうです。にもかかわらず、強い側の秀吉が妹を嫁がせ、それでも足りずに70歳を過ぎた母を岡崎へ送りました。天下人が一大名のもとへ実母を送った例は、ほかに見当たりません。

そしてこの異例の一手は効きました。家康は面目を保ったまま上洛し、大坂城で臣従の礼をとります。差し出すものを持たない家が、差し出せるものを全部出して、戦をせずに天下を固めた。豊臣家の身内の少なさと、その使い方がよく見える一件です。上洛そのものの意味は戦国の「上洛」とは何をすることだったのか、臣従で家康が得たものは臣従した家康は何を得たのかにまとめています。

▷ 大河ドラマ『豊臣兄弟!』では
大政所(なか)は坂井真紀さんが演じています。第40回「あさひの輿入れ」では、差し出す身内を一族で相談する場で「せめて2人一緒に行かせては」とあさひのために口を出す場面がありました。母が岡崎へ下るのは第41回「家康の野望」で描かれる見込みです。放送前の見通しと史実は第41回「家康の野望」あらすじ予想と史実にまとめています。
▶ 第41回「家康の野望」をもっと知る
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