【城名】
松前城(伊予)
【松前城(伊予)の説明】
松前城は愛媛県伊予郡松前町にあった平城である。築城年月は不明だが、南北朝時代には「大森彦七」や「合田弥四郎」が城主だったという記述が残る。

戦国時代には河野氏の支城の一つであり、栗上通宗・宗閑が城主をつとめた。天正13年(1585年)、豊臣秀吉の「四国征伐」が勃発すると伊予国へは「小早川隆景」の軍が侵攻し松前城は落城した。
湯築城の「河野通直」も敗れ、隆景へ降伏した。四国征伐が終わると伊予国は小早川隆景に与えられたがほどなくして筑前国へ移封となる。松前城は秀吉の直臣「粟野秀用」が7万石にて入城する。

しかし、粟野秀用は秀吉の甥である「豊臣秀次」の事件に連座して切腹(もしくは斬首)され、文禄4年(1595年)「加藤嘉明」が城主となった。慶長5年(1600年)に勃発した「関ヶ原の戦い」では、加藤嘉明は東軍の「徳川家康」に従った。
城主の嘉明が不在の留守を任された「佃十成」は、河野氏の残党や毛利氏に従う「村上水軍」などの松前城攻撃を受けるが見事に撃退している。(三津浜夜襲)

慶長8年(1603年)、嘉明は新たに「松山城」を築城し本城を移したため、松前城は廃城となった。現在、城の遺構はほとんど残されておらず、県道に「松前城跡」という石碑や看板があるのみである。
【松前城(伊予)・場所・アクセス】
〒791-3120 愛媛県伊予郡松前町筒井1440
【松前城(伊予)地図】
▶ 四国攻め ─ 秀長が総大将をつとめた戦い
解説
- 四国平定・九州平定 ─ 総大将・秀長が輝いた天下統一の総仕上げ
- 長宗我部元親はなぜ「姫若子」から「鬼若子」になったのか
- 豊臣秀長はなぜ四国攻めの総大将に選ばれたのか
- 第36回「姫若子と鬼若子」─ 四国攻めはなぜ二か月で終わったのか
- 十河存保とは何者か ─ 阿波と讃岐を失った三好最後の大将
秀長軍が攻めた城
- 湯築城跡(伊予)─ 石垣も天守もない河野氏の城
- 一宮城(阿波)─ 秀長の本隊が取りついた山城
- 勝瑞城跡(阿波)─ 土塁を持たなかった三好氏の館
- 仏殿城跡(川之江城・伊予)─ 四国の十字路
- 白地城跡(阿波)─ 元親が四国経営の根拠地とした城
- 来島城跡(伊予)─ 潮が守った村上水軍の島
長宗我部の城

