毛利輝元とは|『豊臣兄弟!』で濱正悟が演じる毛利家の当主 ─ 元就の孫、天正16年の上洛と郡山城、広島城、関ヶ原の西軍総大将

広島城:西国の雄毛利輝元が築き福島正則 浅野長晟と続きその後は浅野家の居城 広島城
この記事のポイント
  • 毛利輝元は、中国地方を治めた毛利家の当主で、毛利元就の孫です。『豊臣兄弟!』では濱正悟さんが演じています
  • 11歳で父・隆元を亡くし、祖父・元就と、叔父の吉川元春・小早川隆景(毛利両川)に支えられて育ちました
  • 信長・秀吉と戦ったのち秀吉に従い、天正16年(1588)にはじめて上洛。秀長から手厚いもてなしを受け、郡山城にも招かれています
  • 広島城を築き、五大老の一人となりましたが、関ヶ原では西軍の総大将となり、戦後は周防・長門の2か国に減らされました

大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、毛利輝元を演じているのは濱正悟さんです。第43回の予告では、秀長が諸大名を集めた広間に、前田利家らとともに輝元の姿が映っていました。史実の輝元は、この天正16年(1588)の夏にはじめて上洛し、秀長から京と大和で手厚いもてなしを受けています。この記事では、中国の大大名・毛利輝元の生涯を紹介します。

毛利輝元が築いた広島城の天守(広島市)
毛利輝元が築いた広島城の天守(広島市)
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毛利輝元とはどんな人物か

生まれ 天文22年(1553)。毛利元就の長男・隆元の子
家督 永禄6年(1563)、父の急死で11歳で継ぐ
領地 中国地方8か国ほど、約120万石
居城 吉田郡山城 → 広島城
豊臣政権での立場 五大老の一人
関ヶ原のあと 周防・長門の2か国(約37万石)に減らされる
没年 寛永2年(1625)、73歳
演じる人 濱正悟(『豊臣兄弟!』)

祖父・元就と「毛利両川」

輝元は、一代で中国地方の覇者となった毛利元就の孫です。父の隆元が若くして急死したため、11歳で毛利家を継ぎました。若い輝元を支えたのが、祖父の元就と、二人の叔父、吉川元春と小早川隆景でした。毛利本家を吉川・小早川の両家が支える体制は「毛利両川」と呼ばれます(小早川隆景とは)。

信長・秀吉との戦い

元就の死後、輝元は京を追われた将軍・足利義昭を備後の鞆に迎え、信長と対立しました。天正10年(1582)、秀吉の中国攻めで備中高松城が水攻めにされると、毛利家は安国寺恵瓊を交渉役として秀吉と和睦します。和睦の直後に本能寺の変の知らせを知りながら、毛利家は秀吉を追わず、約束を守りました(安国寺恵瓊とは)。

天正16年、はじめての上洛

秀吉に従ったのちも、輝元はなかなか上洛しませんでした。ようやく京にのぼったのは天正16年7月のことです。秀長は家臣の藤堂高虎を兵庫まで遣わして輝元を出迎え、聚楽第での秀吉との対面ののちも、京見物や茶の湯でもてなしました。9月には、輝元と小早川隆景・吉川広家を大和郡山城に招き、能と茶の湯で歓待しています(秀長は家康ら諸大名を郡山城に招いたのか)。

このもてなしで、毛利家は豊臣政権のなかにしっかりと組みこまれました。ドラマで輝元が秀長の広間に座っているのは、こうした史実を下敷きにしたものとみられます。

広島城を築く

上洛して秀吉の大坂城や聚楽第を見た輝元は、山の上の吉田郡山城から、太田川の河口の平地へ居城を移すことを決めます。天正17年(1589)に築城を始めたのが広島城です。広島という地名も、このとき生まれたといわれます(広島城)。

広島城跡の石碑と石垣(広島市)
広島城跡の石碑と石垣(広島市)

五大老から、関ヶ原の西軍総大将へ

秀吉の晩年、輝元は家康・前田利家・宇喜多秀家・上杉景勝とともに五大老に選ばれました(宇喜多秀家とは)。秀吉の死後、石田三成らにかつがれて西軍の総大将となり、大坂城に入ります。しかし、関ヶ原の本戦には出陣せず、一族の吉川広家が家康とひそかに通じていたこともあって、毛利勢はほとんど戦わないまま西軍は敗れました(関ヶ原の戦いをわかりやすく解説)。

戦後、毛利家は中国8か国から周防・長門の2か国に減らされ、輝元は萩に城を築きました。この減封の恨みが、260年後の幕末に長州藩が倒幕へ向かう原点になった、と語られることもあります。輝元は寛永2年(1625)に73歳で亡くなりました。

よくある質問

Q. 『豊臣兄弟!』で毛利輝元を演じているのは誰ですか?
A. 濱正悟さんです。

Q. 毛利輝元が上洛したのはいつですか?
A. 天正16年(1588)7月です。秀長が出迎えと接待をつとめました。

Q. 毛利輝元は関ヶ原で戦ったのですか?
A. 西軍の総大将でしたが大坂城にとどまり、本戦には出陣していません。

まとめ

毛利輝元は、祖父・元就と叔父たちに支えられて毛利家を継ぎ、信長・秀吉と戦ったのちに豊臣政権の大老となった中国の大大名です。天正16年の上洛では秀長の手厚いもてなしを受け、郡山城にも招かれました。関ヶ原では西軍の総大将にかつがれながら戦わずに敗れ、領地を大きく減らします。濱正悟さんが演じる輝元が、秀長の広間でどんな表情を見せるのかに注目です。

参考:Wikipedia「毛利輝元」/歴史ウォーク「豊臣秀長 諸大名への取次と領国運営で多忙をきわめる」

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