北野大茶湯の「北野」とはどこ?|場所はいまの北野天満宮 ─ 地名の由来、当時の会場、碑と太閤井戸、行き方

北野天満宮の楼門と石灯籠
この記事のポイント
  • 北野大茶湯の「北野」は、京都の北西部、いまの北野天満宮(京都市上京区馬喰町)のあたりのことです
  • 平安京の北に広がる野だったので「北野」と呼ばれ、戦国時代には松原になっていました。秀吉はこの松原に茶席を並べさせました
  • 北野天満宮は、秀吉が住んだ聚楽第から北西へ1キロあまり。境内には「北野大茶湯之址」の碑や、秀吉が茶の水をくんだと伝わる太閤井戸が残っています
  • 嵐電の北野白梅町駅から歩いて約5分、市バスなら「北野天満宮前」で降りてすぐです

大河ドラマ『豊臣兄弟!』第42回のタイトルにもなった「北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」。天正15年(1587)10月1日、秀吉が身分を問わず人々を招いてひらいた大茶会です。では、その「北野」とはどこなのでしょうか。この記事では、北野の場所と地名の由来、当時の会場のようす、そしていま現地で見られる北野大茶湯のあとを、写真と地図で紹介します。茶会がなぜここで開かれたのかは北野大茶湯はなぜ開かれたのかでくわしく解説しています。

北野天満宮に立つ「北野大茶湯之址」の碑(京都市上京区)
北野天満宮に立つ「北野大茶湯之址」の碑(京都市上京区)。写真:写真AC
目次

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北野とはどこ? いまの北野天満宮のあたり

北野大茶湯の「北野」は、京都市の北西部、いまの北野天満宮とそのまわりの一帯をさします。北野天満宮は、学問の神さまとして知られる菅原道真をまつる神社で、全国の天満宮・天神社の総本社です。

会場 北野天満宮の境内と、そのまわりの松原
いまの住所 京都府京都市上京区馬喰町(北野天満宮)
聚楽第との距離 聚楽第から北西へ1キロあまり、歩いて15分ほど
開催日 天正15年(1587)10月1日。10日間の予定が1日で終わった
最寄り 嵐電(京福電鉄)北野線「北野白梅町」駅から徒歩約5分/市バス「北野天満宮前」すぐ

「北野」という名前の由来

北野という地名は、平安京の北に広がる野原だったことに由来します。平安時代、このあたりは天皇や貴族が狩りや遊びに出かける広い野でした。天暦元年(947)に菅原道真をまつる社が建てられてからは、北野天満宮の門前として人が集まる土地になっていきます。

戦国時代には、北野天満宮のまわりに松の木が茂る松原が広がっていました。秀吉が出した触書には、茶席を「松原」に設けるよう書かれていて、この松原こそが北野大茶湯の会場でした。

聚楽第と北野天満宮の位置関係(模式図)
聚楽第と北野天満宮の位置関係(模式図)。北野は聚楽第のすぐ北西にあった

当時の会場はどんなようすだったのか

北野大茶湯の会場は、北野天満宮の拝殿と、そのまわりの松原でした。拝殿は3つに区切られ、中央には秀吉自慢の黄金の茶室が置かれたと伝えられています(秀吉の黄金の茶室とは)。秀吉・千利休・津田宗及・今井宗久の4人が茶頭となって茶を点て、参加者はくじ引きで席に通されました。

松原には、京・大坂・堺・奈良などから集まった人々が、それぞれ畳2枚ほどの茶席をつくりました。茶席の数は800とも1500ともいわれます。朱塗りの大傘を立てて秀吉を感心させた丿貫(へちかん)の茶席も、この松原にありました(丿貫とは)。

北野の松原に町人や百姓の茶席が並ぶイメージ
北野の松原に町人や百姓の茶席が並ぶイメージ(イラスト)

庶民がどのように参加したのかは北野大茶湯に庶民はどう参加したのかで紹介しています。

いま北野天満宮で見られる北野大茶湯のあと

北野大茶湯之址の碑

北野天満宮の境内には、「北野大茶湯之址」と刻まれた石碑が立っています。木立に囲まれた静かな一角で、ここがかつて秀吉の大茶会の会場だったことを伝えています。碑には北野天満宮の宮司が書いた旨が刻まれています。

太閤井戸

境内には、北野大茶湯のときに秀吉がこの井戸の水で茶を点てたと伝わる「太閤井戸」も残っています。いまも境内で見ることができます。

楼門と本殿

北野天満宮の楼門(京都市上京区)
北野天満宮の楼門(京都市上京区)。写真:写真AC

参道を進むと、立派な楼門が迎えてくれます。その先の本殿は、秀吉の死後、慶長12年(1607)に子の秀頼が建てたもので、国宝に指定されています。父が大茶会を開いた神社を、子が建て直したことになります。

御土居

境内の西側には、天正19年(1591)に秀吉が京のまわりに築いた土の堤「御土居」の一部が、約250メートルにわたって残っています。春と秋には「もみじ苑」として公開され、紅葉の名所としても知られています。

12月1日の献茶祭

北野天満宮では、北野大茶湯にちなんで、毎年12月1日に献茶祭が行われます。茶道の家元・宗匠が持ちまわりで茶を献じ、境内や近くの上七軒にも茶席が設けられます。400年以上前の大茶会の記憶は、いまも年中行事として受けつがれています。

北野天満宮への行き方

  • 電車:嵐電(京福電鉄)北野線「北野白梅町」駅から北東へ徒歩約5分
  • バス:京都駅などから市バスで「北野天満宮前」下車すぐ
  • あわせて歩くなら:東へ1キロあまりの聚楽第跡(堀川通の西、上京区の住宅地に石碑が点在)、北東の大徳寺(千利休ゆかりの寺)

開門時間は時期によって変わるため、出かける前に北野天満宮の案内で確かめてください。聚楽第については聚楽第は城か館かで紹介しています。

よくある質問

Q. 北野大茶湯の「北野」はどこですか?
A. 京都市上京区の北野天満宮と、そのまわりの一帯です。当時は境内のまわりに松原が広がっていました。

Q. 北野大茶湯の跡はいまも見られますか?
A. 北野天満宮の境内に「北野大茶湯之址」の碑と、秀吉が茶の水をくんだと伝わる太閤井戸が残っています。

Q. 北野天満宮へはどう行けばよいですか?
A. 嵐電の北野白梅町駅から徒歩約5分、または市バス「北野天満宮前」で降りてすぐです。

Q. 北野大茶湯にちなむ行事はありますか?
A. 毎年12月1日に北野天満宮で献茶祭が行われます。

まとめ

北野大茶湯の「北野」は、京都の北西、いまの北野天満宮のあたりです。平安京の北の野だった土地は、戦国時代には松原となり、秀吉はそこに茶席を並べさせて大茶会をひらきました。北野天満宮の境内には、いまも「北野大茶湯之址」の碑や太閤井戸が残り、毎年12月1日には献茶祭が行われています。『豊臣兄弟!』第42回を見たあとに、現地を訪ねてみてはいかがでしょうか。

参考:京阪電車「豊臣ゆかりの地 北野・紫野エリア」/るるぶ「献茶祭」

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