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東海
大河内城跡(松阪市):五十日の籠城と、養子縁組で終わった北畠氏
大河内城(おおかわちじょう)は、伊勢の国司・北畠氏の城です。織田信長の伊勢攻めにあたり、北畠具教・具房の父子がここに籠もり、五十日ほど持ちこたえました。決着は力攻めではなく、信長の次男を養子に迎えるという形の講和です。家を残したように見... -
東海
小牧山城跡:仮の城ではなかった ― 発掘で現れた石垣と直線の大手道
小牧山城(こまきやまじょう)は、織田信長が清洲から本拠を移して築いた城です。美濃攻めのための一時的な城と長く見られてきましたが、発掘調査によって、山上に石垣が築かれ、まっすぐな大手道が通され、麓に碁盤目の城下町が整えられていたことがわか... -
四国
能島城:村上源氏の末裔で村上水軍を率いた村上武吉の水軍城 能島城
【城名】 能島城 【城の説明】 能島城は村上源氏の当主「村上武吉」が率いる瀬戸内海の村上氏の居城である。もともとは伊予河野家との繋がりが深いが戦国時代に入ると半独立した形の存在であった。 毛利元就がまだ弱小で「陶晴賢」と厳島の戦いでは最後の... -
近畿
多聞山城跡(多門山城・奈良市):十七年で壊された城と、全国に残った「多聞櫓」という名
この記事のポイント 多聞山城(多門山城)は松永久秀が奈良に築いた城で、石垣・瓦・白壁を備えた当時としては先進的な城だった 石垣の上に長く連なる櫓を「多聞櫓」と呼ぶのは、この城の名から来ている 城が建っていたのは十七年ほど。信長の命で壊され、... -
近畿
信貴山城跡(平群町):山上に四階櫓が建っていた大和最大の山城と、松永久秀の最期
この記事のポイント 信貴山城は松永久秀が大和最大級に築き直した山城で、多聞山城と対になる拠点だった 四階建ての櫓が建っていたと伝わり、安土城の天主より早い高層建築の例とみる見方がある 久秀は二度目の離反のあと、この城で最期を迎えた いまは朝... -
東海
野田城:今川家や武田信玄に攻められ2度の降伏をした菅沼定盈の野田城
【城名】 野田城 【城の説明】 野田城は愛知県新城市にあり戦国時代初期に菅沼氏によって築かれた。 本丸、二の丸、三の丸があり、天然の要害として知られていた。 もともと今川氏に従っていた「菅沼定盈」は桶狭間の戦い後に離反するが、同時に今川軍に攻... -
日本100名城
篠山城跡:藤堂高虎が六か月で仕上げた三つの馬出と、ついに建たなかった天守
篠山城は、関ヶ原の戦いが終わったあとに徳川家康が命じて築かせた城です。目的ははっきりしていて、大坂城にまだ健在だった豊臣家と、西国の外様大名を押さえこむこと。縄張は築城の名手・藤堂高虎が引き、工事は西国二十家ほどの大名に自腹でやらせる天... -
近畿
茨木城:猛将中川清秀は賤ヶ岳の戦いで戦死 中川家が治めた茨木城
【城名】 茨木城 【城の説明】 茨木城はもともとは茨木氏の城であったが、摂津の国で和田惟政と荒木村重・中川清秀との間で戦が勃発した際に戦いに敗れ「茨木重朝」は討ちとられてしまう。 その後、荒木村重が摂津の国を治めると茨木城は「中川清秀」が城... -
関東・甲信
烏山城跡:那須氏が築いた五城三郭の山城と、土の城に残る石垣
栃木県那須烏山市にある烏山城跡は、那須氏が二百年近く本拠とした山城です。東西約三百七十メートル、南北約五百十メートル、範囲はおよそ四十六ヘクタール。五城三郭と呼ばれる曲輪群が山をまるごと覆っています。土を削って築いた中世の城でありながら... -
日本100名城
駿府城跡:家康が三度暮らした城と、隠居城と呼ばれながら江戸と並んだ大御所の政庁
静岡市の中心に残る駿府城跡は、今川氏の館に始まり、徳川家康が三度にわたって身を置いた城です。少年時代を人質として過ごし、武田氏の滅亡で駿河を手に入れて城主となり、さらに将軍職を息子に譲ったあと、大御所としてここへ戻ってきました。隠居の城... -
関東・甲信
葛尾城跡(坂城町):信玄を二度破った村上義清が、それでも城を捨てた理由
葛尾城は千曲川を見下ろす標高八百メートルの山上にあり、北信濃で最大の勢力を誇った村上義清の居城でした。義清は上田原と砥石で武田晴信を二度も打ち破っています。それでも最後には城を捨てて越後へ落ち、上杉謙信を頼りました。負けたのは戦ではなく... -
東海
加納城跡(岐阜市):岐阜城を壊して築かれた平城と、天守が建たなかった天守台
加納城(かのうじょう)は、関ヶ原の戦いの翌年、徳川家康の命で築かれた美濃の平城です。山上の岐阜城が廃され、その資材が運び下ろされて使われました。最初に城主となったのは家康の娘婿・奥平信昌です。本丸には天守台が築かれながら、天守は建てられ... -
中国
鹿野城跡(鳥取市):堀に桜が映る亀井茲矩の城と、関ヶ原より二十年早い入城
鹿野城(しかのじょう)は、因幡の西部、鳥取市鹿野町にあった平山城です。城主として知られるのは亀井茲矩で、尼子再興軍に身を投じた武将のひとりでした。城山の裾を二重の堀がめぐり、今もその水面が残ります。茲矩は城だけでなく町と用水を整え、鹿野... -
近畿
高槻城:キリシタン大名で有名な高山右近重友(ジュスト右近)
【城名】 高槻城 【城の説明】 高山右近(たかやま うこん)は、戦国時代の武将から大名にまでなった人物であり、キリシタン大名としてもその名を知られている。 洗礼名は「ジュスト」という名でポルトガル語では「正義の人」を意味する。右近は茶道も極め... -
九州・沖縄
琉球のグスク:今帰仁城・座喜味城・勝連城・中城城 ― 本土より百年早く積まれた曲線の石垣とアーチ門
沖縄には「城」と書いてグスクと読む石積みの遺構が、大小あわせて三百か所ほど残っています。今帰仁(なきじん)、座喜味(ざきみ)、勝連(かつれん)、中城(なかぐすく)。いずれも本土でいう戦国時代よりさらに前、室町のはじめごろにはもう高い石垣... -
関東・甲信
花輪城跡(流山市):小金城の高城氏が置いた支城と、北条の他国衆という立場
流山市の江戸川沿いに、花輪城址公園という小さな公園があります。戦国のころ、ここには小金城を本拠とする高城氏の支城が置かれていました。天守も石垣もなく、いまも見えるのは台地の縁と草地だけですが、発掘では空堀と犬走りの跡が確かめられ、陶磁器... -
日本100名城
安土城跡(近江八幡市):織田信長の天下布武の城 大手道と石垣、三年で焼けた天主
安土城とは 安土城は、織田信長が天下統一の拠点として築いた城である。琵琶湖に突き出た安土山(標高約199メートル)に、天正四年(1576)から築かれた。 信長が住んだのはわずか三年ほどで、天正十年(1582)の本能寺の変の直後に天主と本丸を焼失。天正... -
関東・甲信
千葉城跡(亥鼻城):頼朝を迎えた千葉常胤の地と、一族が分かれていくまで
千葉城(ちばじょう)は、亥鼻城(いのはなじょう)とも呼ばれる千葉氏の城館跡です。源頼朝の挙兵に応じた千葉常胤の本拠がこの亥鼻の丘にあったと伝えられ、千葉という地名と市の名の由来にもなりました。丘の上には天守を模した建物が建っていますが、... -
近畿
有岡城跡(伊丹市):小田原より早く町を囲った惣構と、官兵衛が入れられた土牢
有岡城は伊丹の市街地のただなかに石垣を残しています。荒木村重が織田信長に背いて一年を籠もり、説得に訪れた黒田官兵衛が土牢に閉じ込められた城として知られますが、城そのものの特徴はもうひとつ別のところにあります。城下町を丸ごと堀と土塁で囲む... -
戦国時代
井伊直政:彦根駅前 徳川四天王の一人 井伊直政像
【史跡名】 徳川四天王の一人 井伊直政像 【史跡の説明】 井伊直政は徳川四天王の一人に数えられ、旧武田家の家臣団を多く抱えた「井伊の赤備え」で有名な武将です。 関ヶ原の戦いの戦功で近江(滋賀県)佐和山城主となり、後に城を彦根に移し現在の彦根城...
