小牧山城跡:仮の城ではなかった ― 発掘で現れた石垣と直線の大手道

小牧山城:美濃の斎藤龍興攻略のため織田信長が拠点とした小牧山城

小牧山城(こまきやまじょう)は、織田信長が清洲から本拠を移して築いた城です。美濃攻めのための一時的な城と長く見られてきましたが、発掘調査によって、山上に石垣が築かれ、まっすぐな大手道が通され、麓に碁盤目の城下町が整えられていたことがわかりました。信長が四年ほどで岐阜へ移ったのち廃されますが、小牧・長久手の戦いでは徳川家康が本陣を置き、ふたたび手が加えられています。

この記事のポイント
  • 濃尾平野にぽつんと残る独立丘に築かれた城
  • 発掘で石垣と直線の大手道、碁盤目の城下町が確認された
  • 臨時の陣城ではなく、信長が新しい城の形を試した最初の城とされる
  • のちの小牧・長久手の戦いで家康が本陣とし、土塁が加えられた

空から見た小牧山と市街地

空から見おろす濃尾平野。市街地のなかに、こんもりとした緑の丘がひとつだけ残っている。これが小牧山。

目次

平野にひとつだけ残る山

小牧山は、標高八十メートルほどの独立した丘です。濃尾平野は見わたすかぎり平らで、その真ん中にこの山だけが残っています。まわりに高い場所がないので、山上からは尾張の平野が一望でき、北へ目をやれば美濃の山並みが見えます。

信長がここへ本拠を移したのは、美濃を攻めるためでした。清洲城から北へ十数キロ、木曽川を越えれば美濃です。前線に本拠を近づけ、いつでも兵を出せるようにする—その目的からすれば、この山は理想的な位置にありました。

引っ越しにあたっては、有名な逸話があります。信長ははじめ、もっと不便な二の宮山へ移ると言い出し、家臣が難色を示したところで小牧山に変更したという話です。反発をやわらげるための駆け引きだったとされますが、この話が載るのは後世に整えられた記録で、そのまま史実として扱うことはできません。

発掘が変えた評価

▽ よく語られる話
小牧山城は美濃攻めのあいだだけ使われた仮の城で、簡素な砦のようなものだった。
▼ 史実ではこうです
発掘調査によって、この評価は大きく変わりました。山頂の周囲には石垣が幾段にもわたって築かれ、大きな石を使って正面を飾っていたことがわかっています。麓からは幅の広い道がまっすぐ山上へ向かい、その両側に家臣の屋敷が配されていました。山麓には堀と土塁でかこまれた城下町があり、区画は碁盤目に整えられています。石で山を飾り、直線の道で登らせ、町ごと設計する—のちの安土城に見られる要素が、すでにここに現れています。臨時の城どころか、信長が新しい城の形をはじめて試した場所だったと考えられるようになりました。

石段の上に建つ建物

石段と石垣の上に建つ建物を見上げる。山上には現在、歴史館が置かれている。

山上の石垣に使われた石は、周囲から運ばれたものです。当時の尾張では、城に石を積む習慣がまだ広まっていません。信長はそれをあえて行いました。守りのためというより、見せるための石垣です。城が権威を示す装置になっていく流れの、出発点にあたります。

四年で去った城

永禄十年(一五六七)、美濃三人衆の寝返りによって稲葉山城が落ち、信長は美濃を手に入れました。本拠はただちに稲葉山へ移され、城は岐阜城と改められます。小牧山城が使われたのは四年ほどでした。城下町の住人も岐阜へ移され、町は元の田畑に戻っていきます。

短い期間でしたが、この城で試されたことは次に引き継がれました。岐阜では山上の城と麓の居館を分け、安土では石垣の上に天主を建てる。小牧山はその第一歩です。

家康が本陣を置いた山

信長の死から二年後、羽柴秀吉と、織田信雄・徳川家康が対立します。天正十二年(一五八四)の小牧・長久手の戦いです。家康は小牧山に本陣を構え、山のまわりに土塁と堀を築いて陣地を固めました。今、城跡に残る土塁の一部は、このときの改修によるものと考えられています。

小牧山の山頂に建つ小牧市歴史館

小牧山の山頂に建つ小牧市歴史館

両軍はにらみ合いを続け、決戦には至りませんでした。動きがあったのは別の場所で、池田恒興らの別働隊が三河へ向かおうとして家康に討たれています。戦いそのものは引き分けに近い形で終わり、信雄が秀吉と単独で和睦したことで決着しました。

ひとつの山に、信長の城づくりの出発点と、家康の陣地が重なっている。小牧山が特別なのは、この二つの時代が同じ地面に残っている点です。

遠くから見る小牧山

木立に覆われた山の上に建物の屋根がのぞく。平野のどこからでも、この山と建物が目印になる。

小牧山城跡の訪ね方

小牧山は市街地のなかにあり、名鉄小牧駅から歩いて二十分ほどです。山全体が史跡公園として整備され、大手道の跡をたどって山上まで登れます。復元された石垣を間近で見られる区間もあり、山頂の歴史館では発掘の成果が展示されています。登りは十五分ほど、散策の感覚でまわれます。

小牧山の「史跡小牧山(小牧山城)」の案内板

「史跡小牧山(小牧山城)」の案内板

信長の城をたどるなら、清洲城から小牧山、岐阜城、そして安土城という順路になります。四つの城を見比べると、城が何のためのものへ変わっていったかが、はっきり見えてきます。

所在地:〒485-0046 愛知県小牧市堀の内1丁目小牧山

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