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日本100名城
上田城はなぜ落ちなかったのか:真田昌幸が二度、徳川の大軍を退けた尼ヶ淵の崖と城下町の縄張
上田城は、徳川の軍勢を二度にわたって退けた城です。一度目は天正十三年、真田昌幸が二千ほどの兵で七千の徳川勢を相手にし、二度目は慶長五年、関ヶ原へ向かう徳川秀忠の大軍を城の前で足止めしました。よく語られるのは昌幸の知略ですが、それだけでは... -
関東・甲信
古河城:古河公方足利義氏の居城 古河城と本丸跡
【城の説明】 享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方「足利成氏」が鎌倉から古河に本拠を移し、初代古河公方となりました。その後も足利政氏・高基・晴氏・義氏へと約130年もの間、古河公方足利家は続いていく。その古河公方が代々拠点としてきた城が「古河城... -
東海
荒子城跡(名古屋市中川区):前田利家が生まれた小さな平城と、兄に代わって城主になった理由
荒子城(あらこじょう)は、前田利家が生まれ育った城です。尾張の西のはずれ、庄内川と新川にはさまれた低い土地にあり、柵と濠をめぐらせただけの小さな平城でした。利家は本来この城を継ぐ立場にありませんでしたが、織田信長の命によって兄に代わり城... -
四国
丸亀城:日本一高い四段の石垣と、現存十二天守でいちばん小さい天守
丸亀城は、石垣の高さが日本一といわれる城です。ただしこれは一枚の壁が六十メートルあるという意味ではなく、麓から本丸まで四段の石垣を積み重ね、その総高が六十メートル前後になるという意味。下から見上げると、扇の曲線を描いた石の壁が何段も重な... -
中国
岡山城:宇喜多秀家が旭川を付け替えて築いた烏城と、不等辺五角形の天守台
岡山城は旭川の流れを堀に見立てて築かれた城で、下見板を黒漆で塗った外観から烏城と呼ばれてきました。築いたのは宇喜多秀家。父の直家が小さな城を奪って足がかりにした場所を、秀家が川筋を付け替えてまで作り直し、五十七万石の城として完成させてい... -
関東・甲信
高島城(諏訪の浮城):日根野高吉が築いた瓦のない城と、干拓で遠ざかった諏訪湖
【城名】 高島城 【高島城の説明】 諏訪湖に面していたお城で、江戸時代前までは湖畔に突き出た水城でした。 しかし、江戸時代初期の干潟開拓により湖畔からは若干離れてしまいました。別名を「諏訪の浮城」などと呼ばれています。 元々は諏訪氏の居城でし... -
東海
那古野城跡:五歳の吉法師が城主になった館と、名古屋城のどこにあったのか
那古野城(なごやじょう)は、織田信長がはじめて城主となった城です。もとは今川氏の一族が構えた館で、これを信長の父・信秀が奪い、やがて幼い嫡男へ譲りました。天守も高石垣も持たない方形の館で、周囲を堀と土塁でかこんだ武家屋敷に近い姿だったと... -
関東・甲信
忍城:石田三成水攻め破れたり 成田氏が守る難攻不落の浮き城 忍城
【城名】 忍城 【城の説明】 数年前に映画で話題となった「のぼうの城」に登場する忍城。 豊臣秀吉率いる上方軍を相手に、本城である小田原城が落城してもなお籠城戦を続けていたことで天下に名を轟かせたお城です。 豊臣秀吉が小田原城を囲んでいる間、こ... -
東海
岡崎城:家康が生まれ、十年だけ本拠とした城と、「神君出生の城」という格
岡崎城(おかざきじょう)は、徳川家康が生まれた城です。松平氏が三河を押さえるなかで本拠とし、家康は桶狭間の戦いののちにこの城へ戻って独立を果たしました。ただし家康が岡崎を本拠としたのは十年ほどで、その後は浜松へ移ります。江戸時代には「神... -
東海
清洲城:信長が一族から奪った尾張の中心と、町ごと名古屋へ移された清洲越し
清洲城は尾張の政治の中心だった城で、織田信長が一族の争いを勝ち抜いて手に入れ、桶狭間へ出陣し、徳川家康と同盟を結んだ場所です。本能寺の変のあとに織田家の行く末を決めた清洲会議もここで開かれました。ただし、いま五条川のほとりに建つ天守は平... -
天空の城
竹田城跡(朝来市):赤松広秀が総石垣に変えた虎臥城と、「天空の城」と呼ばれるまで
竹田城跡は兵庫県朝来市、円山川を見下ろす標高三百五十メートルほどの山の上にあります。尾根の形に沿って石垣だけが残り、建物はひとつもありません。それでも日本100名城に選ばれ、多くの人が登るのは、総石垣で築かれた山城の縄張がこれほどきれいに残... -
北海道・東北
会津若松城:戊辰戦争最大の激戦地 一ヶ月にも及ぶ籠城戦 会津若松城
会津若松城(鶴ヶ城)とは 福島県会津若松市にそびえる会津若松城は、「鶴ヶ城(つるがじょう)」の雅名で親しまれる東北屈指の名城である。戦国末期に蒲生氏郷が近世城郭として大改修し、江戸時代を通じて会津松平家の居城となった。そして幕末、戊辰戦争...
