丸岡城:石の瓦を戴く現存天守と、「現存最古」が見直されたいきさつ

丸岡城:日本100名城の一つで丹羽長秀の家臣青山宗勝が配領 国の重要文化財 丸岡城

丸岡城は現存十二天守のひとつで、屋根が石で葺かれている全国唯一の天守です。笏谷石という越前の石を瓦の形に削って並べてあり、雪の重みと凍てつく寒さに耐えるための工夫でした。長らく現存最古の天守と紹介されてきましたが、近年の調査によってその見方は改められています。柴田勝豊が城を構えたのは確かに戦国の終わりですが、いま建つ天守はそれより後の時代のものでした。

この記事のポイント
  • 屋根を石の瓦で葺いた、全国でただひとつの現存天守
  • 柴田勝家の甥、勝豊が築いた城が始まり
  • 「現存最古」という説明は近年の調査で見直された
  • 日本一短い手紙として知られる一筆啓上の文の縁の地
目次

丸岡城とは:石の瓦を載せた天守

丸岡城は福井県坂井市丸岡町、平野のなかの小さな丘の上に建っています。天守は外から見れば二重、内部は三階の望楼型で、下に大きな入母屋屋根を置き、その上に見張り台のような望楼を載せた古い形式です。壁は白漆喰でなく、下見板と柱がむき出しになった素朴な姿で、これが丸岡城の印象を決めています。

丸岡城の現存天守と野面積みの天守台

野面積みの天守台に建つ丸岡城天守(写真AC)

もっとも目を引くのが屋根です。土を焼いた瓦ではなく、笏谷石を薄く削って瓦の形にしたものが一枚ずつ葺かれています。北陸の冬は雪が積もり、水を含んだ瓦が凍って割れるため、石を使ったと考えられます。福井城址の石垣や一乗谷朝倉氏遺跡の石造物にも同じ笏谷石が使われており、越前ではこの石が暮らしの素材でした。

丸岡城の天守と石垣

松の間から見る天守。野面積みの石垣の上に、下見板がむき出しの素朴な姿で建つ。

「現存最古の天守」という説明について

丸岡城は長いあいだ、日本でいちばん古い天守として紹介されてきました。この説明は、いま見直されています。

▽ よく語られる話

丸岡城の天守は天正4年(1576年)に柴田勝豊が建てたもので、現存する天守のなかで最も古い。

▼ 史実ではこうです

柴田勝豊がこの地に城を構えたことは動きませんが、いま建つ天守そのものの年代は別の問題です。柱や梁の木材を科学的に調べた近年の調査では、伐採の時期が江戸時代の初め、寛永のころを指す結果が出ました。天守は勝豊の城をそのまま受け継いだのではなく、本多氏が城主だった時代に建てられたと考えられています。最古の座は譲ることになりましたが、望楼型の古い形式を保ち、石の瓦を戴く唯一の天守であることに変わりはありません。

柴田勝豊から本多、有馬へ

越前に入った柴田勝家は、北ノ庄城を本拠として一向一揆の平定にあたりました。その北の守りとして、甥の勝豊に築かせたのが丸岡の城です。勝家が賤ヶ岳で敗れると越前の主は替わり、丹羽長秀の家臣の青山氏、次いで結城秀康の家臣の今村氏が城を預かります。

丸岡城天守から見た丸岡の町並み

丸岡城天守から見た丸岡の町並み(写真AC)

その後に入ったのが本多成重でした。父は徳川家康の家臣、本多重次。以後、本多氏が四代、そして有馬氏が八代にわたって幕末まで丸岡を治めます。石高は四万石から五万石ほどで、福井城址の越前松平家の下に置かれた小さな藩でしたが、城と天守は手放さずに守り続けました。

丸岡城天守の内部

天守の内部。太い柱と梁がそのまま見え、板張りの床と板戸が続く。装飾はほとんどない。

日本一短い手紙と、お仙

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」。戦場から妻へ送ったこの短い手紙で知られるのが本多重次です。用件だけを並べた文面ですが、家の火の始末、幼い子のこと、馬の世話と、留守を預かる者への気遣いが過不足なく収まっています。

ここに出てくる「お仙」が、のちの丸岡城主・本多成重にあたります。そうした縁から、丸岡は短い手紙の町として知られるようになり、日本一短い手紙を全国から募る取り組みが続いてきました。城の足もとには手紙をテーマにした館もあり、天守を見に来た人がついでに立ち寄っていきます。

霞ヶ城の伝説と、人柱の話

丸岡城は霞ヶ城とも呼ばれます。敵が攻め寄せると城のまわりに霞が立ちこめ、城の姿を隠したという言い伝えからきた名です。城が建つ丘の低さを思うと、平野に立ちこめる朝霧が城を包む光景は実際によく見られたのでしょう。

もうひとつ、天守台の石垣にまつわる話も残っています。石垣が何度積んでも崩れるため、お静という女性が人柱となり、代わりに我が子を侍に取り立ててほしいと願ったという伝説です。約束は果たされず、堀に春の雨が降るころ、お静の涙だと語り伝えられてきました。城跡には慰霊の碑が建てられています。こうした人柱の話は各地の城に伝わるもので、史実として確かめられたものではありませんが、石垣を築くことがどれほどの難事だったかを今に伝えています。

丸岡城天守の板の間

天守の板の間。中央を貫く柱が屋根を支え、壁沿いに窓が並ぶ。階段は急で、手すりを頼りに上る。

倒れた天守を、もとの材で組み直す

丸岡城の天守は、一度倒れています。昭和二十三年の福井地震で建物は崩れ落ちました。ふつうならそこで失われてしまうところですが、崩れた部材が丁寧に拾い集められ、七年後に元の材を使って組み直されています。傷んで使えない部分だけを新しい材に替え、残せるものはすべて残すという方針でした。

青空の下の丸岡城天守

青空の下の丸岡城天守(写真AC)

このため丸岡城は、倒壊を経ていながら現存天守として扱われています。柱に触れると、地震をくぐり抜けた木がそこにあることになります。天守の階段は角度がきつく、上の階へ上がるにはロープを頼るほどですが、その急さも江戸時代のままです。

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丸岡城・場所とアクセス

福井県坂井市丸岡町霞町1-59。JR福井駅から京福バスで丸岡城まで五十分ほど、車なら北陸自動車道の丸岡インターから十分足らずです。天守は有料で、日本100名城のスタンプは券売所に置かれています。春は城山が桜に包まれ、夜には堀のまわりにぼんぼりが灯ります。福井城址や一乗谷朝倉氏遺跡、越前大野城とあわせれば、越前の城を一日で回れます。

見上げた丸岡城の天守

見上げた天守。屋根に葺かれているのは土の瓦ではなく、笏谷石を削って作られた石の瓦である。

越前・北陸の城と現存天守
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