日本のお城– tag –
-
北海道・東北
山形城跡(霞城公園):最上義光が二万三千を迎え撃った城と、指揮棒に刻まれた十七文字
山形城とは 山形城は、出羽を統一した戦国大名最上義光の居城である。最上氏の本拠として築かれ、慶長出羽合戦を経て五十七万石の大大名の城となり、江戸期には鳥居忠政らが入った。日本100名城第10番、国指定史跡。 本丸・二の丸・三の丸を輪郭式に配した... -
北陸
春日山城跡:山ひとつが城だった上杉謙信の居城と、屋敷跡に残る普請の年輪
春日山城とは 春日山城は、上杉謙信の居城である。天守はない。石垣もほとんどない。山そのものが城だった。 標高約180メートルの春日山の尾根と斜面に、無数の曲輪と屋敷が刻まれている。本丸から毘沙門堂を経てお花畑に至る中心部を、案内板は「実城(み... -
歴史ブログ
墨俣城(墨俣一夜城):一夜で建ったのか、誰が建てたのか
この記事のポイント 信長公記に「洲股(すのまた)要害の修築命令」の記述はある。つまり砦そのものは実在したとみてよい ただし信長公記は、誰が築いたとは書いていない 「一夜で建てた」「藤吉郎が名乗り出た」の典拠は『武功夜話』で、この史料には偽書... -
関東・甲信
岩殿山城:織田・徳川連合軍の武田勝頼攻めに際し主君を裏切った小山田信茂の居城 岩殿山城
【城名】 岩殿山城 【岩殿山城の説明】 岩殿山城は山梨県大月市にあった岩殿山に建てられた山城である。 甲斐都留郡の国人衆小山田氏の本拠地とされ戦国時代屈指の堅城としても知られていた。 武田信玄が甲斐の守護大名になるとこれに従い、各地の戦で戦功... -
歴史ブログ
織田信長:相反する二つの顔を持つ織田信長の素顔
■ 日本の歴史ブログ 織田信長:相反する二つの顔を持つ織田信長の素顔 『冷酷残忍にして厚情寛大な二面性を持つ信長』 残忍で冷酷な暴君として描かれることが多い信長は、自ら「第六天魔王」と書状にしたためるなど、ダークなイメージがとても強い。だが、... -
歴史ブログ
高山右近:高槻城主キリシタン大名 高山右近(ジュスト右近)前編
■ 日本の歴史ブログ 高槻城主キリシタン大名 高山右近(ジュスト右近)前編 高山右近(たかやま うこん)は、戦国時代の武将から大名にまでなった人物である。高山右近はキリシタン大名としてその名を知られている。 洗礼名は「ジュスト」という名でポルト... -
歴史ブログ
堀尾吉晴:戦に明け暮れた生涯 豊臣政権では三中老の一人 松江城主堀尾吉晴
■ 日本の歴史ブログ 戦に明け暮れた生涯 豊臣政権では三中老の一人 松江城主堀尾吉晴 堀尾吉晴は、安土桃山時代から江戸時代前期の戦国武将であり、大名となる人物である。豊臣政権時代には三中老の一人となる。ちなみに三中老とは五奉行と五大老との間を... -
九州・沖縄
日向高岡城跡(天ヶ城):あの天守は後世の建物 ― 島津が国境に置いた城と、麓の町
日向高岡城(ひゅうがたかおかじょう)は、島津氏が日向と薩摩の境目を固めるために築いた城です。天ヶ城とも呼ばれ、大淀川を見おろす台地の先端にありました。関ヶ原の戦いのあと、国境の警備を強めるために築かれたと伝わります。今は天ヶ城公園として... -
東海
大河内城跡(松阪市):五十日の籠城と、養子縁組で終わった北畠氏
大河内城(おおかわちじょう)は、伊勢の国司・北畠氏の城です。織田信長の伊勢攻めにあたり、北畠具教・具房の父子がここに籠もり、五十日ほど持ちこたえました。決着は力攻めではなく、信長の次男を養子に迎えるという形の講和です。家を残したように見... -
東海
小牧山城跡:仮の城ではなかった ― 発掘で現れた石垣と直線の大手道
小牧山城(こまきやまじょう)は、織田信長が清洲から本拠を移して築いた城です。美濃攻めのための一時的な城と長く見られてきましたが、発掘調査によって、山上に石垣が築かれ、まっすぐな大手道が通され、麓に碁盤目の城下町が整えられていたことがわか... -
四国
能島城:村上源氏の末裔で村上水軍を率いた村上武吉の水軍城 能島城
【城名】 能島城 【城の説明】 能島城は村上源氏の当主「村上武吉」が率いる瀬戸内海の村上氏の居城である。もともとは伊予河野家との繋がりが深いが戦国時代に入ると半独立した形の存在であった。 毛利元就がまだ弱小で「陶晴賢」と厳島の戦いでは最後の... -
近畿
多聞山城跡(多門山城・奈良市):十七年で壊された城と、全国に残った「多聞櫓」という名
この記事のポイント 多聞山城(多門山城)は松永久秀が奈良に築いた城で、石垣・瓦・白壁を備えた当時としては先進的な城だった 石垣の上に長く連なる櫓を「多聞櫓」と呼ぶのは、この城の名から来ている 城が建っていたのは十七年ほど。信長の命で壊され、... -
近畿
信貴山城跡(平群町):山上に四階櫓が建っていた大和最大の山城と、松永久秀の最期
この記事のポイント 信貴山城は松永久秀が大和最大級に築き直した山城で、多聞山城と対になる拠点だった 四階建ての櫓が建っていたと伝わり、安土城の天主より早い高層建築の例とみる見方がある 久秀は二度目の離反のあと、この城で最期を迎えた いまは朝... -
東海
野田城:今川家や武田信玄に攻められ2度の降伏をした菅沼定盈の野田城
【城名】 野田城 【城の説明】 野田城は愛知県新城市にあり戦国時代初期に菅沼氏によって築かれた。 本丸、二の丸、三の丸があり、天然の要害として知られていた。 もともと今川氏に従っていた「菅沼定盈」は桶狭間の戦い後に離反するが、同時に今川軍に攻... -
日本100名城
篠山城跡:藤堂高虎が六か月で仕上げた三つの馬出と、ついに建たなかった天守
篠山城は、関ヶ原の戦いが終わったあとに徳川家康が命じて築かせた城です。目的ははっきりしていて、大坂城にまだ健在だった豊臣家と、西国の外様大名を押さえこむこと。縄張は築城の名手・藤堂高虎が引き、工事は西国二十家ほどの大名に自腹でやらせる天... -
関東・甲信
烏山城跡:那須氏が築いた五城三郭の山城と、土の城に残る石垣
栃木県那須烏山市にある烏山城跡は、那須氏が二百年近く本拠とした山城です。東西約三百七十メートル、南北約五百十メートル、範囲はおよそ四十六ヘクタール。五城三郭と呼ばれる曲輪群が山をまるごと覆っています。土を削って築いた中世の城でありながら... -
日本100名城
駿府城跡:家康が三度暮らした城と、隠居城と呼ばれながら江戸と並んだ大御所の政庁
静岡市の中心に残る駿府城跡は、今川氏の館に始まり、徳川家康が三度にわたって身を置いた城です。少年時代を人質として過ごし、武田氏の滅亡で駿河を手に入れて城主となり、さらに将軍職を息子に譲ったあと、大御所としてここへ戻ってきました。隠居の城... -
九州・沖縄
琉球のグスク:今帰仁城・座喜味城・勝連城・中城城 ― 本土より百年早く積まれた曲線の石垣とアーチ門
沖縄には「城」と書いてグスクと読む石積みの遺構が、大小あわせて三百か所ほど残っています。今帰仁(なきじん)、座喜味(ざきみ)、勝連(かつれん)、中城(なかぐすく)。いずれも本土でいう戦国時代よりさらに前、室町のはじめごろにはもう高い石垣... -
関東・甲信
花輪城跡(流山市):小金城の高城氏が置いた支城と、北条の他国衆という立場
流山市の江戸川沿いに、花輪城址公園という小さな公園があります。戦国のころ、ここには小金城を本拠とする高城氏の支城が置かれていました。天守も石垣もなく、いまも見えるのは台地の縁と草地だけですが、発掘では空堀と犬走りの跡が確かめられ、陶磁器... -
歴史ブログ
戦国武将の人情(武田信玄 編)
■ 日本の歴史ブログ 戦国武将の人情(武田信玄 編)【日本の歴史ブログ】 武田信玄には人の使い方についての温かい話が残っています。岩間という部下は臆病もので、合戦の度に泣きわめいて、「俺は死にたくない!戦には行きたくない!」というのでした。 ...
