清洲城:信長が一族から奪った尾張の中心と、町ごと名古屋へ移された清洲越し

清洲城/アクセス・場所・地図 織田信長 躍進の城 美しい清洲城

清洲城は尾張の政治の中心だった城で、織田信長が一族の争いを勝ち抜いて手に入れ、桶狭間へ出陣し、徳川家康と同盟を結んだ場所です。本能寺の変のあとに織田家の行く末を決めた清洲会議もここで開かれました。ただし、いま五条川のほとりに建つ天守は平成に建てられた模擬天守で、本来の城跡は川の対岸にあり、鉄道によって分断されています。

この記事のポイント
  • 尾張守護の拠点で、信長が一族から奪って本拠とした城
  • 桶狭間の出陣も、家康との同盟も、この城で決まった
  • 名古屋城の築城にともない、町ごと移されて廃城になった
  • いまの天守は平成の模擬天守で、本来の城跡は川の対岸にある
目次

清洲城とは:尾張の中心にあった城

清洲城があったのは愛知県清須市、五条川が流れる濃尾平野のただなかです。高い山も深い谷もない土地で、守りは川と堀に頼りました。応永のころに尾張守護の斯波氏が築いたのが始まりとされ、のちに守護所がこの城へ移されて、尾張の政治の中心になります。

街道の面でも要所でした。東海道と美濃路が近くを通り、五条川から庄内川を経て伊勢湾へ出られます。人と物が集まる場所に城と町が一体でつくられ、戦国の終わりには城下に数万の人が暮らしていたと伝えられます。

五条川と清洲城の天守

五条川に架かる朱塗りの大手橋と、対岸に建つ天守。城はこの川を守りに使っていた。

信長が一族から奪った城

織田信長は那古野城で育ちました。父の信秀が没したあと家督を継ぎますが、当時の織田家は分裂していて、尾張一国をまとめている状態ではありません。守護代の家は二つに割れ、清洲城には織田信友が拠っていました。

弘治元年(一五五五年)、信長は信友を討って清洲城を手に入れ、本拠をここへ移します。弟の信行との争いも末森城をめぐって決着し、尾張の統一が進みました。城には大きく手が入れられ、堀が広げられ、城下町が整えられています。

大手橋から見る清洲城

朱塗りの大手橋の上から天守を望む。橋も櫓門も、平成の整備で新しく設けられたもの。

桶狭間へ、そして同盟へ

永禄三年(一五六〇年)、今川義元の大軍が尾張へ入ったとき、信長が幸若舞を舞って飛び出したと伝えられるのがこの城です。大高城や鷲津砦、丸根砦をめぐる前哨戦を経て、沓掛城から出た義元は桶狭間で討たれました。

その二年後、清洲城で信長と松平元康、のちの徳川家康が同盟を結びます。清洲同盟と呼ばれるこの結びつきは、信長が本能寺で倒れるまで破られませんでした。東を家康に任せられたからこそ、信長は西へ兵を向けられたわけです。ただ、清洲が信長の本拠だった期間は長くありません。美濃を狙うために小牧山城へ、そして稲葉山城へと、本拠は北へ移っていきます。

清洲城跡の石碑

城跡に立つ石碑。本来の城の中心は五条川の対岸にあり、鉄道の線路によって分断されている。

清洲会議と、町ごと消えた城

本能寺の変のあと、織田家の跡目と領地の配分を決める話し合いがこの城で開かれました。いわゆる清洲会議です。誰が主導し、何が決まったのかについては後世の脚色も多く、清須会議の史実解説で整理しています。

その後、城主は織田信雄、豊臣秀次、福島正則と替わり、関ヶ原ののちには徳川家の城となりました。しかし清洲は低地にあり、水害に弱いという弱点を抱えています。徳川家康は尾張の中心を高台へ移すことを決め、名古屋城の築城を命じました。

このとき行われたのが清洲越しです。武家も寺社も町人も、家ごと名古屋へ移されました。城の建物と資材も運ばれ、清洲の町はほとんど無人になります。名古屋城に残る御深井丸の隅櫓が清洲櫓と呼ばれるのは、清洲城の部材が使われたと伝えられるためです。ひとつの城下町がまるごと引っ越すという、他に例の少ない出来事でした。

清洲城の天守から見下ろす五条川

天守の最上階から見下ろす庭園と大手橋。かつての城域は、この川の向こう側に広がっていた。

いまの天守について

訪れる人がまず目にするのは、黒い下見板に朱の高欄という華やかな天守です。この建物の位置づけを押さえておくと、城跡の見え方が変わります。

▽ よく語られる話

清洲城の天守は、信長が本拠とした城を復元したものである。

▼ 史実ではこうです

いまの天守は平成のはじめに建てられた模擬天守で、絵図にもとづく復元ではありません。しかも建っている場所は本来の城域ではなく、五条川をはさんだ反対側です。本当の城跡は対岸にあり、東海道本線と新幹線の線路が通ったことで大きく削られ、いまは清洲古城跡の碑が立つ一角が残るだけになっています。信長の時代の清洲城に天守があったかどうかも定かではありません。天守を見たあとで川を渡り、碑の立つ静かな一角に立つと、この城の歩んだ道筋が見えてきます。

青空の下の清洲城

白壁の塀と天守。館と展示は城の歴史や信長の時代をたどる構成になっている。

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清洲城・場所とアクセス

愛知県清須市朝日城屋敷1-1。JR東海道本線の清洲駅から歩いて十五分ほど、名鉄名古屋本線の新清洲駅からも同じくらいです。天守は有料で、最上階から濃尾平野を見渡せます。川を渡った対岸の清洲公園には信長の銅像が立ち、その先に清洲古城跡の碑があります。名古屋城とは電車で二十分ほどで、清洲越しの前と後を一日でたどれます。

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