安国寺恵瓊とは|『豊臣兄弟!』で立川談春が演じる毛利の外交僧 ─ 「高ころびにあおのけに」の予言、備中高松城の和睦、六条河原の最期

水に囲まれた城をのぞむ陣幕のなかで、武将たちと向かい合う外交僧
この記事のポイント
  • 安国寺恵瓊は、毛利家の外交を一手に担った禅僧です。『豊臣兄弟!』では立川談春さんが演じています
  • 天正元年(1573)、信長の行く末を「高ころびにあおのけにころばれ候」と予言し、秀吉を「さりとてはの者」と評した手紙で知られます
  • 天正10年(1582)、備中高松城の水攻めのさなかに秀吉との和睦をまとめ、その後は秀吉に重く用いられて伊予に領地を持つ大名にもなりました
  • 関ヶ原の戦いでは西軍につき、慶長5年(1600)、石田三成・小西行長とともに京の六条河原で処刑されました

大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、毛利家の外交僧・安国寺恵瓊を演じているのは落語家の立川談春さんです。第43回では、秀長が毛利輝元ら諸大名を郡山城に招く場面が描かれるようで、毛利の一行とともに恵瓊が映る可能性があります。史実の天正16年(1588)にも、恵瓊は輝元の上洛に従い、郡山城でのもてなしにも同行していました。この記事では、僧でありながら大名にまでなった安国寺恵瓊の生涯を紹介します。

一面の水に囲まれた備中高松城を山の上から見下ろすイメージ
一面の水に囲まれた備中高松城を山の上から見下ろすイメージ(イラスト)。恵瓊はこの水攻めのさなかに秀吉との和睦をまとめた
目次

■ 豊臣秀吉・秀長 オリジナルグッズ ■

当サイトがデザインした秀吉・秀長グッズ。Tシャツ・マグカップ・トートバッグに加え、スマホケース・フェイスタオル・タンブラーなどもあります

秀吉・秀長グッズを見る ▶

※当サイト「日本の歴史ガイド」のオリジナル商品です。NHK・大河ドラマの公式グッズではありません。

安国寺恵瓊とはどんな人物か

生まれ 天文8年(1539)ごろ。安芸武田氏の出身とされる
立場 安芸の安国寺の住職、のち京の東福寺の住持。毛利家の外交僧
大名として 秀吉から伊予に領地を与えられる
最期 慶長5年(1600)10月1日、京の六条河原で処刑
演じる人 立川談春(『豊臣兄弟!』)

滅びた家の子から、毛利の外交僧へ

恵瓊は、安芸の守護だった武田氏の一族に生まれたとされます。武田氏が毛利元就に滅ぼされたため、幼い恵瓊は寺に入り、京の東福寺などで禅を学びました。やがて安芸の安国寺の住職となり、その学識と弁舌を買われて、毛利家の外交を任されるようになります。敵だった毛利家に、家を滅ぼされた側の子が仕えたことになります。

「高ころびにあおのけに」 ─ 信長の最期を見通した手紙

恵瓊の名を有名にしたのが、天正元年(1573)に毛利家の重臣にあてた手紙です。京で信長の勢いを見た恵瓊は、信長の世は5年や3年は続くだろうが、やがて「高ころびにあおのけにころばれ候」と書きました。高いところから仰向けに転げ落ちるように倒れるだろう、という意味です。そして、信長の家臣の藤吉郎(秀吉)を「さりとてはの者」、つまりなかなかの人物だと評しています。

9年後、信長は本能寺の変で倒れ、天下は秀吉のものになりました。この手紙は、恵瓊の人を見る目の確かさを示す話として、いまもよく引かれます。

備中高松城の和睦

天正10年(1582)、秀吉は毛利方の備中高松城を水攻めにしました。毛利方の交渉役として秀吉の陣に向かったのが恵瓊です。交渉の最中、秀吉のもとに本能寺の変の知らせが届きます。秀吉は信長の死を伏せたまま和睦を急ぎ、城主・清水宗治の切腹と引きかえに、毛利と和睦を結びました。この和睦が、秀吉の「中国大返し」を可能にしました(備中高松城)。

備中高松城跡(岡山市)
備中高松城跡(岡山市)

秀吉に重用された「大名僧」

和睦をきっかけに、恵瓊は秀吉からも厚く信頼されるようになります。毛利家と豊臣政権のあいだに立つ取次役として働き、四国攻めのあとには伊予に領地を与えられて、僧でありながら大名に列しました。九州攻めでも働き、肥後国人一揆のあとには、佐々成政の命ごいをしたとも伝えられています(秀長は佐々成政の介錯をしたのか)。

天正16年の夏、毛利輝元がはじめて上洛したときも恵瓊は一行に加わり、秀長が郡山城で輝元らを能と茶の湯でもてなした席にも同行しました。秀長と恵瓊は、それぞれ豊臣と毛利の窓口として向き合う関係でした(秀長は家康ら諸大名を郡山城に招いたのか)。

関ヶ原、六条河原での最期

秀吉の死後、恵瓊は石田三成と結び、毛利輝元を西軍の総大将にかつぐ動きの中心となりました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、南宮山に陣を置きましたが、前に陣取った吉川広家が動かなかったため、ほとんど戦わないまま西軍は敗れます。恵瓊は京で捕らえられ、10月1日、石田三成・小西行長とともに六条河原で処刑されました(関ヶ原の戦いをわかりやすく解説)。

信長の転落を見通した恵瓊も、自分が肩入れした西軍の行く末までは読みきれなかったことになります。

よくある質問

Q. 『豊臣兄弟!』で安国寺恵瓊を演じているのは誰ですか?
A. 落語家の立川談春さんです。

Q. 「高ころびにあおのけに」とはどういう意味ですか?
A. 天正元年に恵瓊が信長について書いた言葉で、高いところから仰向けに転げ落ちるように倒れるだろう、という意味です。

Q. 安国寺恵瓊はどうして処刑されたのですか?
A. 関ヶ原の戦いで西軍の中心となったためで、慶長5年10月1日、石田三成・小西行長とともに六条河原で処刑されました。

まとめ

安国寺恵瓊は、滅ぼされた家に生まれながら毛利家の外交僧となり、信長の転落を見通した手紙で知られる人物です。備中高松城の和睦をまとめて秀吉の信頼を得、僧の身で大名にまでなりましたが、関ヶ原で西軍につき六条河原で処刑されました。立川談春さんが演じる恵瓊の、穏やかな語り口の奥にある鋭さに注目してみてください。

参考:Wikipedia「安国寺恵瓊」

  • URLをコピーしました!
目次