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日本100名城
篠山城跡:藤堂高虎が六か月で仕上げた三つの馬出と、ついに建たなかった天守
篠山城は、関ヶ原の戦いが終わったあとに徳川家康が命じて築かせた城です。目的ははっきりしていて、大坂城にまだ健在だった豊臣家と、西国の外様大名を押さえこむこと。縄張は築城の名手・藤堂高虎が引き、工事は西国二十家ほどの大名に自腹でやらせる天... -
近畿
茨木城:猛将中川清秀は賤ヶ岳の戦いで戦死 中川家が治めた茨木城
【城名】 茨木城 【城の説明】 茨木城はもともとは茨木氏の城であったが、摂津の国で和田惟政と荒木村重・中川清秀との間で戦が勃発した際に戦いに敗れ「茨木重朝」は討ちとられてしまう。 その後、荒木村重が摂津の国を治めると茨木城は「中川清秀」が城... -
関東・甲信
烏山城跡:那須氏が築いた五城三郭の山城と、土の城に残る石垣
栃木県那須烏山市にある烏山城跡は、那須氏が二百年近く本拠とした山城です。東西約三百七十メートル、南北約五百十メートル、範囲はおよそ四十六ヘクタール。五城三郭と呼ばれる曲輪群が山をまるごと覆っています。土を削って築いた中世の城でありながら... -
日本100名城
駿府城跡:家康が三度暮らした城と、隠居城と呼ばれながら江戸と並んだ大御所の政庁
静岡市の中心に残る駿府城跡は、今川氏の館に始まり、徳川家康が三度にわたって身を置いた城です。少年時代を人質として過ごし、武田氏の滅亡で駿河を手に入れて城主となり、さらに将軍職を息子に譲ったあと、大御所としてここへ戻ってきました。隠居の城... -
関東・甲信
葛尾城跡(坂城町):信玄を二度破った村上義清が、それでも城を捨てた理由
葛尾城は千曲川を見下ろす標高八百メートルの山上にあり、北信濃で最大の勢力を誇った村上義清の居城でした。義清は上田原と砥石で武田晴信を二度も打ち破っています。それでも最後には城を捨てて越後へ落ち、上杉謙信を頼りました。負けたのは戦ではなく... -
東海
加納城跡(岐阜市):岐阜城を壊して築かれた平城と、天守が建たなかった天守台
加納城(かのうじょう)は、関ヶ原の戦いの翌年、徳川家康の命で築かれた美濃の平城です。山上の岐阜城が廃され、その資材が運び下ろされて使われました。最初に城主となったのは家康の娘婿・奥平信昌です。本丸には天守台が築かれながら、天守は建てられ... -
中国
鹿野城跡(鳥取市):堀に桜が映る亀井茲矩の城と、関ヶ原より二十年早い入城
鹿野城(しかのじょう)は、因幡の西部、鳥取市鹿野町にあった平山城です。城主として知られるのは亀井茲矩で、尼子再興軍に身を投じた武将のひとりでした。城山の裾を二重の堀がめぐり、今もその水面が残ります。茲矩は城だけでなく町と用水を整え、鹿野... -
近畿
高槻城:キリシタン大名で有名な高山右近重友(ジュスト右近)
【城名】 高槻城 【城の説明】 高山右近(たかやま うこん)は、戦国時代の武将から大名にまでなった人物であり、キリシタン大名としてもその名を知られている。 洗礼名は「ジュスト」という名でポルトガル語では「正義の人」を意味する。右近は茶道も極め... -
九州・沖縄
琉球のグスク:今帰仁城・座喜味城・勝連城・中城城 ― 本土より百年早く積まれた曲線の石垣とアーチ門
沖縄には「城」と書いてグスクと読む石積みの遺構が、大小あわせて三百か所ほど残っています。今帰仁(なきじん)、座喜味(ざきみ)、勝連(かつれん)、中城(なかぐすく)。いずれも本土でいう戦国時代よりさらに前、室町のはじめごろにはもう高い石垣... -
関東・甲信
花輪城跡(流山市):小金城の高城氏が置いた支城と、北条の他国衆という立場
流山市の江戸川沿いに、花輪城址公園という小さな公園があります。戦国のころ、ここには小金城を本拠とする高城氏の支城が置かれていました。天守も石垣もなく、いまも見えるのは台地の縁と草地だけですが、発掘では空堀と犬走りの跡が確かめられ、陶磁器... -
日本100名城
安土城跡(近江八幡市):織田信長の天下布武の城 大手道と石垣、三年で焼けた天主
安土城とは 安土城は、織田信長が天下統一の拠点として築いた城である。琵琶湖に突き出た安土山(標高約199メートル)に、天正四年(1576)から築かれた。 信長が住んだのはわずか三年ほどで、天正十年(1582)の本能寺の変の直後に天主と本丸を焼失。天正... -
関東・甲信
千葉城跡(亥鼻城):頼朝を迎えた千葉常胤の地と、一族が分かれていくまで
千葉城(ちばじょう)は、亥鼻城(いのはなじょう)とも呼ばれる千葉氏の城館跡です。源頼朝の挙兵に応じた千葉常胤の本拠がこの亥鼻の丘にあったと伝えられ、千葉という地名と市の名の由来にもなりました。丘の上には天守を模した建物が建っていますが、... -
近畿
有岡城跡(伊丹市):小田原より早く町を囲った惣構と、官兵衛が入れられた土牢
有岡城は伊丹の市街地のただなかに石垣を残しています。荒木村重が織田信長に背いて一年を籠もり、説得に訪れた黒田官兵衛が土牢に閉じ込められた城として知られますが、城そのものの特徴はもうひとつ別のところにあります。城下町を丸ごと堀と土塁で囲む... -
戦国時代
井伊直政:彦根駅前 徳川四天王の一人 井伊直政像
【史跡名】 徳川四天王の一人 井伊直政像 【史跡の説明】 井伊直政は徳川四天王の一人に数えられ、旧武田家の家臣団を多く抱えた「井伊の赤備え」で有名な武将です。 関ヶ原の戦いの戦功で近江(滋賀県)佐和山城主となり、後に城を彦根に移し現在の彦根城... -
近畿
上月城跡(佐用町):三国境の城と、救援が来なかった尼子再興軍の最後
上月城は播磨・備前・美作の三国が接するあたりに築かれた山城です。出雲街道を押さえる位置にあり、織田と毛利が中国地方でぶつかったとき、まっさきに奪い合われました。城に入った尼子勝久と山中鹿介が毛利の大軍に囲まれ、救援に向かった羽柴秀吉が引... -
九州・沖縄
宇土城跡(宇土市):小西行長が築いた城と、熊本城の宇土櫓をめぐる説
宇土城(うとじょう)は、小西行長が築いた肥後南部の城です。中世からあった宇土古城の東の丘に、三重の天守を持つ近世の城として建てられました。関ヶ原の戦いで行長が敗れると、加藤清正がこの城を攻め落とし、肥後一国の大名になります。清正は宇土城... -
中国
岩国城跡:完成から七年で壊された南蛮造りの天守と、幕末まで藩と認められなかった吉川家
岩国城は、関ヶ原の戦いのあと吉川広家が横山の山上に築いた城です。ところが完成からわずか七年で、一国一城令によって天守も櫓も取り壊されてしまいました。城としての寿命が七年しかなかった例は、全国を見てもそう多くありません。しかもこの地を治め... -
日本100名城
小諸城跡(懐古園):城下町より低い「穴城」と、千曲川の断崖が守った縄張
小諸城は、城下町より低いところに本丸がある城です。城は見下ろすもの、という常識がここでは逆になっていて、大手門をくぐって城内へ入ると、道はどんどん下っていきます。だから穴城と呼ばれてきました。低いということは攻められやすいはずですが、こ... -
関東・甲信
一郷山城:山上の天守は平成に建てられた ― 平井城を支えた上野の支城
高崎市吉井町の山上に、白壁の天守が建っています。一郷山城と呼ばれるこの建物は、戦国時代の城が残ったものではなく、平成のはじめに展望施設として建てられた模擬天守です。もとの一郷山城は関東管領上杉氏の支城のひとつと伝えられ、武田信玄の西上野... -
近畿
伏見桃山城:あの天守は昭和の建物 ― 秀吉の最後の城と、鳥居元忠の十三日
伏見の丘に建つ大小二つの天守は、豊臣秀吉の伏見城を復元したものではありません。昭和三十九年に遊園地の施設として建てられた模擬天守です。本物の伏見城の中心は、いま明治天皇陵になっていて立ち入ることができません。それでもこの場所が特別なのは...
