大河ドラマ特集– category –
NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の放送内容にあわせた解説記事をまとめています。
-
大河ドラマ特集
豊臣兄弟と長宗我部兄弟:同じ形の兄弟が、なぜ違う場所に着いたのか
特集 ─ もうひとつの兄弟大河NHK『長宗我部兄弟!』をもっと知る元親と親泰の外交、伊予の金子元宅との約束、天正の陣、ゆかりの城まで ▶ 同じ戦国の同じ時期に、兄が前に立ち弟が支えるという形の家が二つありました。豊臣の秀吉と秀長、そして長宗我部の... -
大河ドラマ特集
豊臣秀長はなぜ四国攻めの総大将に選ばれたのか:兄が渡らなかった夏と、十万の指揮
特集 ─ もうひとつの兄弟大河NHK『長宗我部兄弟!』をもっと知る元親と親泰の外交、伊予の金子元宅との約束、天正の陣、ゆかりの城まで ▶ 天正十三年(一五八五)の四国攻めで、十万余の軍を率いた総大将は豊臣秀吉ではありません。弟の羽柴秀長です。副将... -
大河ドラマ特集
豊臣秀次はなぜ「三好信吉」と名のっていたのか:長宗我部包囲網と、二度養子に出された甥
特集 ─ もうひとつの兄弟大河NHK『長宗我部兄弟!』をもっと知る元親と親泰の外交、伊予の金子元宅との約束、天正の陣、ゆかりの城まで ▶ 豊臣秀次は、若い頃「三好信吉」と名のっていました。豊臣でも羽柴でもなく、三好。なぜ秀吉の甥が、阿波の名族の姓... -
大河ドラマ特集
一領具足とは:田の畦に具足を置いた兵と、土佐に二百六十年残った身分
特集 ─ もうひとつの兄弟大河NHK『長宗我部兄弟!』をもっと知る元親と親泰の外交、伊予の金子元宅との約束、天正の陣、ゆかりの城まで ▶ 一領具足(いちりょうぐそく)とは、長宗我部氏が土佐で用いた半農半兵の兵のことです。ふだんは田を耕し、槍と具足... -
大河ドラマ特集
長宗我部兄弟とは何者か:元親を支えた吉良親貞と香宗我部親泰、四国を分けて攻めた三人
特集 ─ もうひとつの兄弟大河NHK『長宗我部兄弟!』をもっと知る元親と親泰の外交、伊予の金子元宅との約束、天正の陣、ゆかりの城まで ▶ NHK『長宗我部兄弟!』を見た方へ長宗我部兄弟(ちょうそかべきょうだい)は、土佐の長宗我部元親と、その弟の吉良... -
大河ドラマ特集
竹中半兵衛と三顧の礼は本当?秀吉が三度訪ねた逸話の元ネタと史実
この記事のポイント木下藤吉郎(秀吉)が、山に隠れ住む竹中半兵衛のもとを三度訪ねて味方に迎えた、という「三顧の礼」の話はよく知られていますこの話は、三国志で劉備が諸葛亮(孔明)を三度訪ねた故事になぞらえたもので、江戸時代の読み物で広まった... -
大河ドラマ特集
墨俣一夜城はどう築かれたのか?秀吉と川並衆の知略を図解とイラストで解説
この記事のポイント墨俣一夜城は、美濃攻めのさなかに木下藤吉郎(秀吉)が敵地の墨俣にわずかな日数で城を築いた、と伝えられる話です伝承が描く「知略」の中心は、木材をあらかじめ上流で加工し、筏にして川で運び、現地では組み立てるだけにした、とい... -
大河ドラマ特集
小谷城の戦い(小谷落城)とは:秀吉兄弟が京極丸を落とした夜と、浅井久政・長政の最期|天正元年の全経過
この記事のポイント小谷城の戦いは、天正元年(1573)8月から9月にかけて、織田信長が浅井長政の本城・小谷城を攻め落とし、浅井家を滅ぼした戦いです信長はまず援軍に来た朝倉義景を追って越前へ攻め込み、朝倉家を滅ぼしてから小谷城に戻りました勝負を... -
大河ドラマ特集
姉川の戦いとは:織田・徳川と浅井・朝倉の激突の全容と、木下勢「第三陣」・十一段崩しの真偽、横山城の三年へ
この記事のポイント姉川の戦いは、元亀元年(1570)6月28日、北近江の姉川をはさんで、織田信長・徳川家康の軍と浅井長政・朝倉景健の軍がぶつかった合戦です金ヶ崎で裏切られた信長が、浅井の小谷城の目の前まで攻め込み、支城の横山城を囲んだことが合戦... -
大河ドラマ特集
金ヶ崎の退き口とは:信長最大の危機の全容と、しんがりを務めた秀吉・光秀・池田勝正、朽木越えの道のり
この記事のポイント金ヶ崎の退き口(かねがさきののきくち)は、元亀元年(1570)4月、越前の朝倉攻めの最中に浅井長政が背いたため、織田信長が敦賀から京へ逃げ帰った撤退戦です信長は金ヶ崎城に後衛の部隊を残し、自らは若狭から朽木谷を越えて、4月30... -
大河ドラマ特集
忍城はなぜ落ちなかったのか:二十八キロの石田堤と、切れた夜
日本三大水攻めで唯一失敗したのが忍城である。石田堤は全長二十八キロ。だが水を溜めた当日に堤は切れ、寄せ手に約二百七十人の死者が出た。そして城は攻め落とされないまま開城する。 -
大河ドラマ特集
なぜ秀吉は備中高松城を水攻めにしたのか:十二日で築いた堤と、発掘でわかった本当の大きさ
天正十年、羽柴秀吉は備中高松城を水攻めにした。堤は五月八日着工・十九日完成の十二日間。『太閤記』の伝える大きさと、蛙ヶ鼻の発掘でわかった実測値のちがいから、この工事の中身を読み解きます。 -
大河ドラマ特集
根来衆とは何者だったのか:津田監物が持ち帰った鉄砲と、弾痕の残る国宝大塔
和歌山の根来寺を拠点とした僧兵集団・根来衆。寺領七十二万石、僧兵一万余。種子島から持ち帰った一挺の火縄銃から始まった鉄砲隊は、なぜ秀吉に二日で焼かれたのか。 -
大河ドラマ特集
榊原康政はなぜ秀吉に首を狙われたのか:「野人の子」と書いた檄文と、白山林の朝
この記事のポイント 榊原康政は、小牧・長久手の戦いで秀吉を名指しで罵る檄文を出した その文言は「羽柴秀吉は野人の子、もともと馬前の走卒に過ぎず」と伝わる 秀吉が激怒して康政の首に賞を出した、という話がある。ただし「十万石」という数字には裏づ... -
大河ドラマ特集
長宗我部元親はなぜ「姫若子(ひめわこ)」から「鬼若子(おにわこ)」になったのか:槍の持ち方を知らなかった二十二歳の初陣
特集 ─ もうひとつの兄弟大河NHK『長宗我部兄弟!』をもっと知る元親と親泰の外交、伊予の金子元宅との約束、天正の陣、ゆかりの城まで ▶ この記事のポイント 長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)は、幼い頃「姫若子(ひめわこ)」と呼ばれていた。色白... -
大河ドラマ特集
三好信吉(豊臣秀次)はなぜ白山林で大敗したのか:十七歳の総大将に何が起きたか
この記事のポイント のちの豊臣秀次は、この時点では「信吉」と名乗っていた。数え十七歳である 三河へ向かった別動隊およそ二万四千の総大将が、この十七歳だった 天正十二年(1584)四月九日の早朝、休息中の隊が背後から急襲され壊滅する 本人は馬を失... -
大河ドラマ特集
豊臣秀長はなぜ「長秀」から「秀長」に改めたのか:丹羽長秀と同じ名を持っていた男
この記事のポイント 秀吉の弟は、はじめ「木下小一郎長秀」と名乗っていた。通称が小一郎、諱が長秀である 織田家中には丹羽長秀という宿老がいて、諱が完全に重なっていた 天正八年(1580)の文書には、本人の署名で「長秀」と残っている 「秀長」への改... -
大河ドラマ特集
豊臣兄弟!第34〜35回「最強のライバル」「秀長誕生」史実解説|小牧・長久手はなぜ痛み分けに終わったのか
この記事のポイント 天正十二年(1584)四月九日、長久手で羽柴方の別動隊が壊滅した。池田恒興・元助父子と森長可が討死している その別動隊の総大将は、秀吉の甥・三好信吉。数え十七歳だった 家康は戦場で勝った。だが秀吉は織田信雄と単独で講和し、戦... -
大河ドラマ特集
豊臣鶴松はなぜ三歳で死んだのか:この子の死から、豊臣家は崩れはじめた
この記事のポイント 鶴松は秀吉に初めて生まれた子。父は五十代半ばだった 天正十九年(1591)、わずか三歳で病没する この死の直後、秀吉は関白を秀次に譲り、朝鮮出兵へ動きだす そして二年後に秀頼が生まれ、秀次は消される。すべてこの子の死から始ま... -
大河ドラマ特集
聚楽第とは:秀吉が天皇を迎え、そして自分で消した城
この記事のポイント 聚楽第は関白・秀吉の「政庁」だった。大坂城とは役割がまるで違う ここに後陽成天皇を迎え、諸大名に忠誠を誓わせた 秀次に譲られたが、秀次事件のあと徹底的に破壊された わずか八年ほどで消えた城。跡地はいま京都の市街地の下にあ...
