大河ドラマ特集– category –
NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の放送内容にあわせた解説記事をまとめています。
-
大河ドラマ特集
太閤検地と刀狩とは:秀吉はなぜ、自分が上ってきた梯子を外したのか
この記事のポイント 太閤検地は日本で初めて、全国の田畑を同じ物差しで測った事業だった それまで「誰の土地か」も「どれだけ穫れるか」も、国ごとにバラバラだった 刀狩とセットで、「戦う人」と「作る人」を分けたのが本当の狙いである この二つで下剋... -
大河ドラマ特集
森長可とは:森蘭丸の兄「鬼武蔵」が、二十七歳で討死するまで
この記事のポイント 森長可は森蘭丸の兄。本能寺で弟三人を一度に失っている 父も兄も戦死。森家は男が次々に死んでいく家だった 「鬼武蔵」と呼ばれた猛将だが、その猛さは家を継ぐ順番が回ってきた結果でもある 長久手で討死。享年二十七。遺言で、弟に... -
大河ドラマ特集
池田恒興の「中入り」はなぜ失敗したのか:奇襲は成功したあとが本番だった
この記事のポイント 「中入り」とは、にらみ合いの裏をかいて敵の本国を突く作戦のこと 池田恒興が献策し、秀吉が許可した。狙いは家康の本拠・三河だった 失敗の原因は兵力が大きすぎ、進軍が遅すぎたことである 一年前の賤ヶ岳で、佐久間盛政がまったく... -
大河ドラマ特集
織田信雄はなぜ家康に断りもなく秀吉と和睦したのか:戦っていたのは誰だったのか
この記事のポイント 小牧・長久手は「秀吉 対 家康」ではなく「秀吉 対 信雄」の戦いだった 家康は信雄に頼まれて加勢した側である。当事者ではない だから信雄が降りた瞬間、家康は戦う名目そのものを失った 信雄の目的は織田家の家督。秀吉と戦い続ける... -
大河ドラマ特集
秀頼は本当に秀吉の子だったのか:四百年消えなかった疑惑の正体
この記事のポイント 秀吉には多くの側室がいたのに、子を産んだのは茶々ひとりだけだった しかもその茶々が二人続けて産んでいる。疑惑はこの一点から生まれた ただし確定させる史料はない。四百年、誰も証明も否定もできていない 大事なのは「本当か」よ... -
大河ドラマ特集
西光寺(福井市):柴田勝家とお市の墓には、遺骨がない
この記事のポイント 柴田勝家とお市の方の墓は、福井市左内町の西光寺にある ただしこの墓に遺骨はありません。北ノ庄城の炎とともに失われたからである それでも墓が建ちました。勝家が戦の前に、住職へ供養を頼んでいたと伝わる 建てたのは味方ではなく... -
大河ドラマ特集
豊臣秀長は賤ヶ岳で何をしていたのか:秀吉が戦場を離れられた、たったひとつの理由
この記事のポイント 賤ヶ岳で秀吉は戦場を空けている。織田信孝を討つため美濃へ向かった その留守を預かったのが弟の秀長。田上山に布陣したと伝わる 四月二十日、中川清秀が討たれ戦線が動揺するなか、秀長の陣は崩れなかった 美濃大返しが成立したのは... -
大河ドラマ特集
お市の方はなぜ柴田勝家と再婚したのか:信長はもういなかった、誰も命じられない結婚
この記事のポイント お市が勝家と再婚したのは本能寺の変のあと。決めたのは信長ではない 信長がいないということは、この結婚を命令できる人間が誰もいなかった 勝家にとっては「織田家の後見人」を目に見える形にする一手だった 「秀吉もお市を望んでい... -
大河ドラマ特集
北ノ庄城の天守は本当に九層だったのか:フロイスが見た城と、地表に残る石垣
この記事のポイント 宣教師ルイス・フロイスは、北ノ庄城の天守を「安土城より大きい、九層」と記録した ところが天守の礎石は、いまだに見つかっていない 一方でフロイスが書いた「石の屋根」は、物証がある。笏谷石の石瓦である この城が消えたのは、三... -
大河ドラマ特集
柴田勝家とお市の辞世の句:夏の夜のほととぎすに、二人は何を託したのか
この記事のポイント 勝家とお市の辞世は、どちらも「ほととぎす」で終わる 天正十一年四月二十四日は、いまの暦で六月半ば。ほととぎすが実際に鳴く季節だった 同じ鳥に、勝家は「名」を、お市は「別れ」を託している ただしこの二首は同時代の一次史料に... -
大河ドラマ特集
浅井三姉妹のその後:茶々・初・江はなぜ敵味方に分かれたのか
この記事のポイント 茶々・初・江は二度の落城を生き延びた姉妹。小谷城と北ノ庄城 三人は豊臣・京極・徳川という、まったく違う家へ嫁いだ 大坂の陣では姉と妹が敵味方に分かれ、次女の初が両者の間を取り持った 豊臣の血も徳川の血も、この三姉妹から続... -
大河ドラマ特集
秀吉はなぜお市の方を助けなかったのか:娘は城を出た。なぜ母だけが残ったのか
この記事のポイント 秀吉はお市の方に強い関心を持っていたと伝わる。それでも北ノ庄では救えていない お市は娘三人を城から出し、自分だけが残った。「出られなかった」のではない 十年前の小谷城では、お市自身も城を出ている。一度目は出て、二度目は残... -
大河ドラマ特集
豊臣兄弟!第27〜29回 史実解説|中国大返しはなぜ可能だったのか、天王山は本当に決め手だったのか
この記事のポイント 天正十年(1582)六月二日、本能寺の変。秀吉は備中高松城を水攻めしている最中だった 中国大返し―約二百キロを十日足らずで戻ったとされる、戦国最大級の強行軍 六月十三日、山崎の戦い。本能寺からわずか十一日で光秀は敗れる この十... -
大河ドラマ特集
豊臣兄弟!第22〜26回 史実解説|三木の干殺しと、二人の軍師が入れ替わった年
この記事のポイント 播磨攻めは三年以上かかった。秀吉の生涯でもっとも苦しい戦線 三木の干殺し―兵糧攻めで三木城を落とすまで約二年 黒田官兵衛が有岡城に幽閉される。信長は裏切りを疑い、人質の松寿丸に死を命じた 竹中半兵衛が松寿丸をかくまい、その... -
大河ドラマ特集
豊臣兄弟!第18〜21回 史実解説|「羽柴」という姓はどう作られたのか、秀長はいつ将になったのか
この記事のポイント 天正元年(1573)、木下から羽柴へ改姓。丹羽長秀と柴田勝家から一字ずつ取ったと伝わる 秀吉が長浜城主となり、秀長が留守を預かる体制ができる 天正五年(1577)、松永久秀が信貴山城で自害。「平蜘蛛の釜」の逸話が生まれる 但馬攻... -
大河ドラマ特集
豊臣兄弟!第13〜17回 史実解説|姉川・比叡山・小谷落城、通説はどこまで正しいのか
この記事のポイント 元亀元年(1570)、浅井長政が離反。信長は金ヶ崎から命がけの撤退をする 同年六月姉川の戦い。ただし「姉川」という呼び名は織田側の呼称で、浅井側は野村合戦と呼んだ 元亀二年(1571)比叡山焼き討ち。犠牲者数には諸説あり、近年の... -
大河ドラマ特集
豊臣兄弟!第9〜12回 史実解説|竹中半兵衛はなぜ城を奪い、なぜ返したのか
この記事のポイント 第9〜12回は美濃攻略から信長上洛まで。織田家が地方勢力から中央の主役へ変わる時期 竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取りは有名だが、動機も規模も諸説あって定まらない 永禄十一年(1568)の上洛で、信長は足利義昭を奉じて京へ入る この時... -
大河ドラマ特集
豊臣兄弟!第1〜8回 史実解説|墨俣一夜城は本当にあったのか、兄弟の出自はどこまでわかるのか
この記事のポイント 豊臣秀長は天文九年(1540)ごろ尾張中村の生まれ。兄・秀吉とは三歳ほど違い 二人が異父兄弟だったとする説があり、これが豊臣家の弱点にもつながる 桶狭間(1560)のとき秀吉はまだ足軽級。歴史の中心にはいない 墨俣一夜城は史実性... -
大河ドラマ特集
豊臣兄弟!第30〜31回「清須会議」史実解説|「勝家が三法師に反対した」は本当か
この記事のポイント 清須会議は天正十年(1582)六月。本能寺からわずか三週間後の会議だった 教科書的な「勝家が三法師に反対した」という筋書きは、後世の創作の可能性が指摘されている お市と勝家の婚姻は、秀吉と申し合わせたうえで成立したと勝家自身... -
大河ドラマ特集
豊臣兄弟!第33回「北庄城の別れ」史実解説|お市はなぜ二度目の落城で城に残ったのか
この記事のポイント 天正十一年(1583)四月二十四日、柴田勝家とお市の方は北ノ庄城で自害した お市は三人の娘を城から出し、自分だけが残った。一度目の落城では生きた人である 勝家は「修理の腹の切り様を見て後学にせよ」と言い残したと伝わる 二人の...
