幕末・維新– category –
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幕末・維新
佐久間象山「三条木屋町の遭難」─幕末最大の先覚者はなぜ京で斬られたのか
この記事のポイント 佐久間象山は信州松代藩の出身。「和魂洋才」を掲げ、西洋の科学・砲術を貪欲に取り入れた幕末最大級の先覚者。 勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬ら、時代を動かす人材を数多く育てた“師の中の師”。 元治元年(1864)7月11日、京都・三条木... -
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坂本龍馬・中岡慎太郎「近江屋事件」─維新の立役者はなぜ京の醤油商の二階で斃れたのか
この記事のポイント 慶応3年(1867)11月15日、坂本龍馬と中岡慎太郎は京都・河原町の醤油商「近江屋」の二階で襲われた。 龍馬はほぼ即死、中岡は約2日間生き延びたのち絶命。享年は龍馬33歳・中岡30歳(数え)。 実行犯は京都見廻組が有力とされるが、新... -
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二条城:徳川家康が築き大政奉還の舞台となった世界遺産の名城
二条城とは 京都市の中心部にある二条城は、徳川家康が京都における拠点として築いた城で、江戸幕府の始まりと終わりを見届けた歴史の舞台である。国宝の二の丸御殿をはじめ、豪壮な櫓や石垣、名庭が今も良好に残り、「古都京都の文化財」の一つとして世界... -
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三春城(舞鶴城):田村三代と伊達政宗の正室・愛姫を生んだ田村氏の居城
三春城(舞鶴城)とは 福島県田村郡三春町にある三春城は、町の中心部の大志多山に築かれた山城で、「舞鶴城(まいづるじょう)」とも呼ばれた。中世から近世にかけて、この一帯を治めた戦国大名・田村氏の居城として知られる。田村氏の姫・愛姫が独眼竜・... -
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二本松城(霞ヶ城):粟ノ巣の変と畠山氏の滅亡、千人溜から出陣した二本松少年隊
二本松城(霞ヶ城)とは 二本松城は、福島県二本松市の白旗が峰に築かれた城である。霞ヶ城の別名で知られ、山麓の居館と山上の詰城からなる。日本100名城第11番、国指定史跡。 戦国期は畠山氏(二本松氏)の居城で、伊達政宗との抗争の末に落城した。江戸... -
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山形城跡(霞城公園):最上義光が二万三千を迎え撃った城と、指揮棒に刻まれた十七文字
山形城とは 山形城は、出羽を統一した戦国大名最上義光の居城である。最上氏の本拠として築かれ、慶長出羽合戦を経て五十七万石の大大名の城となり、江戸期には鳥居忠政らが入った。日本100名城第10番、国指定史跡。 本丸・二の丸・三の丸を輪郭式に配した... -
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七戸城:九戸政実の乱で滅びた七戸家国の居城 七戸城
【城名】 七戸城 【七戸城の説明】 七戸城は青森県上北郡七戸町にあった平山城である。 南部氏初代「南部光行」の四男「朝清」が七戸地方へ移り七戸氏を名乗ったと伝えられている。 城としての築城は南北朝時代の「南部政長」により築城されたとする説と、... -
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大田原城跡(城山公園):三百二十六年動かなかった城と、火薬庫の爆発が救った戊辰の落城
大田原城とは 大田原城は、下野国那須郡の要地、蛇尾川に臨む龍体山の丘陵に築かれた城である。天文十四年(1545)に大田原資清が築き、明治四年(1871)の廃藩置県まで、三百二十六年間ひとつの家が城主であり続けた。 大名の転封が当たり前だった江戸時... -
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沼津城(三枚橋城):武田勝頼が築いた戦国の城と水野家五万石が重なる本丸跡
沼津城(三枚橋城)とは 静岡県沼津市大手町の中央公園一帯は、二つの城の本丸跡である。ひとつは天正七年(1579)に武田勝頼が築いた三枚橋城、もうひとつは安永六年(1777)に水野忠友が築いた沼津城で、時代を隔てた二つの城が同じ土地に重なっている。... -
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浜田城跡(浜田市):城を焼いたのは長州軍ではない ― 石州口の戦いと自焼退城
浜田城(はまだじょう)は、日本海に面した石見の城です。大坂の陣の功で古田重治が入り、城と城下町を築きました。幕末、第二次長州征討の石州口で長州軍と戦った浜田藩は敗れ、藩主は城を出ます。このとき城は焼けましたが、長州軍が焼いたのではなく、... -
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小田城跡(つくば市):小田氏十五代の本拠と北畠親房 筑波山の天狗党挙兵
小田城とは 茨城県つくば市小田にある小田城は、筑波山の南西麓に築かれた平城で、鎌倉時代から戦国時代まで、およそ四百年にわたって常陸国南部を治めた小田氏十五代の本拠だった。土塁と堀で方形に囲んだ本丸を中心に、南北五百五十メートル・東西四百五... -
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宇都宮城址公園:宇都宮氏五百年と本多正純の釣天井伝説 復元された富士見櫓
宇都宮城とは 栃木県宇都宮市本丸町にある宇都宮城は、関東平野の北の縁、田川のほとりに築かれた平城である。平安時代末から戦国時代の終わりまで、およそ五百年にわたって下野を治めた名門・宇都宮氏の居城であり、江戸時代には日光へ向かう将軍の宿城と... -
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岩国城跡:完成から七年で壊された南蛮造りの天守と、幕末まで藩と認められなかった吉川家
岩国城は、関ヶ原の戦いのあと吉川広家が横山の山上に築いた城です。ところが完成からわずか七年で、一国一城令によって天守も櫓も取り壊されてしまいました。城としての寿命が七年しかなかった例は、全国を見てもそう多くありません。しかもこの地を治め... -
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上山城(月岡城):かみのやま温泉のシンボル 沢庵和尚と土岐頼行、伊達と最上の争奪
上山城とは 山形県上山市元城内にある上山城は、月岡の高みに築かれた平山城で、「月岡城」の別名をもつ。出羽と奥州を結ぶ街道の要にあたり、南から伸びる伊達氏と北の最上氏がぶつかる最前線として、戦国期には何度も主が入れ替わった。江戸時代には二万... -
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白石城:城主が四度替わった伊達領南の要と、片倉小十郎景綱の二百六十七年
宮城県白石市。仙台の南、福島との県境に近いこの町に、白石城が建っている。 この城の面白さは、天守や石垣そのものよりも、城主が目まぐるしく入れ替わったことにある。天正十四年(1586)から慶長七年(1602)までのわずか十六年間で、主は四度替わった... -
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高田城跡(上越市):石を一つも使わない七十五万石の城と、地震が削った二百五十七年
高田城とは 高田城は慶長十九年(1614)、徳川家康の六男松平忠輝が越後高田の菩提が原に築いた城である。石高は七十五万石(諸説あり)とされる大規模な近世城郭だった。 にもかかわらず、この城には石垣が一つもない。そして天守も建てられなかった。案... -
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笠間城跡(佐白山):茨城県唯一の石垣が残る山城と、赤穂浪士を生んだ浅野家二十三年
※この記事のイラストは、当時の様子を描いたイメージです。 笠間城とは 笠間城は、常陸国笠間の佐白山(標高約205メートル)に築かれた山城である。承久元年(1219)に笠間時朝が築いたと伝えられ、以後およそ三百七十年にわたって笠間氏の本拠となった。 ... -
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萩城跡(指月城):毛利が百二十万石を失って移った城と、倒幕の司令塔にならなかった理由
萩城は、関ヶ原に敗れた毛利家が日本海側に構えた城です。中国八か国百二十万石から周防・長門二か国へ削られ、瀬戸内の広島城を去って、山陰の指月山のふもとに新しい政庁を置きました。この移転を屈辱と受け取り、その恨みが二百五十年後の討幕につなが... -
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会津若松城:戊辰戦争最大の激戦地 一ヶ月にも及ぶ籠城戦 会津若松城
会津若松城(鶴ヶ城)とは 福島県会津若松市にそびえる会津若松城は、「鶴ヶ城(つるがじょう)」の雅名で親しまれる東北屈指の名城である。戦国末期に蒲生氏郷が近世城郭として大改修し、江戸時代を通じて会津松平家の居城となった。そして幕末、戊辰戦争...
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