木造城:織田信長の伊勢侵攻の際に寝返った木造具政の居城 木造城

木造城/アクセス・地図・場所 織田信長の伊勢侵攻の際に寝返った木造具政の居城 木造城

【城名】
木造城

【木造城の説明】
木造城は三重県津市木造町にあった平城です。
貞治5年(1366年)、伊勢国司北畠氏の一族「木造顕俊」によって築かれました。

木造城/アクセス・地図・場所 織田信長の伊勢侵攻の際に寝返った木造具政の居城 木造城【お城特集 日本の歴史】

顕俊は「北畠顕能」の次男で木造城を築き木造氏を名乗った。さらに9代当主「木造具政」は、北畠晴具の三男で木造氏の養子となり北畠本家との親密さが増しました。

木造城/アクセス・地図・場所 織田信長の伊勢侵攻の際に寝返った木造具政の居城 木造城【お城特集 日本の歴史】

永禄12年(1569年)、織田信長が伊勢侵攻の軍を興すと具政は信長に従い、南伊勢侵攻の案内役を務めた。そして、北畠本家が信長の二男「信雄」を養子に迎えるとこれに仕えた。

豊臣秀吉が天下を掌握し、天正十二年(1584)蒲生氏郷が南伊勢12万石を拝領すると「木造具康」は氏郷に仕えるのを拒み氏郷と一戦を構えた。多勢に無勢、城を囲まれた具康は激戦の末、尾張へと落ち伸びた。

木造城/アクセス・地図・場所 織田信長の伊勢侵攻の際に寝返った木造具政の居城 木造城【お城特集 日本の歴史】

ここに木造城は廃城となりました。なお、具康は「福島正則」に仕えたと言われています。現在の木造城跡には土塁と石碑が残るのみです。

目次

北畠一族でありながら、信長についた城

木造氏は、伊勢国司・北畠氏の一族です。北畠顕能の次男・顕俊が木造城を築き、木造を名のりました。伊勢のなかでは北のはずれにあたり、美濃や尾張と接する位置にあります。この立地が、のちの選択を決めました。

永禄十二年(一五六九)、当主の木造具政は北畠本家を離れ、織田方につきます。調略にあたったのは滝川一益でした。一族の裏切りは北畠の内側に亀裂を入れ、信長の伊勢攻めの足がかりになります。

大河内城の戦いの入口になった

同じ年の八月、信長は大軍を率いて岐阜を出て、まずこの木造城に入りました。そこから大河内城に籠もる北畠具教・具房を囲みます。阿坂城を落とし、城のまわりに幾重もの柵をめぐらせ、夜討ちが失敗すると兵糧攻めに切り替えました。十月、両者は和睦します。条件は、信長の次男・茶筅丸(のちの織田信雄)を北畠の養子に入れ、大河内城を明け渡すことでした。北畠の本拠だった山城は霧山城(多気城)で書いています。

養子という名の乗っ取り

この和睦は、戦って勝つより確実な方法でした。養子に入った信雄はやがて北畠の当主となり、のちに具教ら一族を討ちます。国司の家は名を残したまま、中身が織田家に入れ替わりました。木造具政の離反は、その最初の一手だったことになります。具政自身は信雄に仕え、木造氏は江戸時代まで家を残しました。

現地はいま

木造城は平地の城で、いまは田畑と住宅のなかに城跡の碑が立つだけです。堀や土塁の形もほとんど残っていませんが、地図で見ると伊勢平野の北寄り、街道が交わる場所にあることが分かります。近くの津城とあわせて回ると、伊勢の城の並びがつかめます。城の見方は城の基本用語にまとめました。

【木造城・場所・アクセス】
〒514-1115 三重県津市木造町1059

【木造城地図】

  • URLをコピーしました!
目次