箕輪城は上野西部の要として、長野氏が武田信玄の侵攻を何度も跳ね返した城です。城主の長野業正が世を去ると、ほどなく武田の手に落ちました。その後は武田、織田、北条と主が替わり、最後に井伊直政が入って石垣を備えた城へと造り替えます。土でできた戦国の城が、石の城へ移り変わる途中の姿がそのまま地面に残っている、関東でも屈指の城跡です。
- 長野業正が信玄の西上野侵攻を何度も退けた城
- 幅三十メートルにおよぶ大堀切が城を南北に断ち切る
- 井伊直政が石垣を導入し、近世の城へ造り替えた
- 直政が高崎へ移ったことで廃城になった
箕輪城とは:榛名の裾に築かれた土の大城郭
箕輪城は群馬県高崎市箕郷町、榛名山の裾が平野へ落ちていくあたりの丘にあります。東を榛名白川が削り、西はかつて沼が広がっていた低地で、南北およそ一キロという広大な城域を持ちます。本丸、二の丸、三の丸、御前曲輪、そして馬出が階段状に配され、その間を深い堀切が断ち切っています。
圧巻は城の中央を横切る大堀切です。幅は三十メートルほど、深さも十メートルを超え、堀底に立つと両側の土の壁が空を狭めます。石を積まずに土を掘るだけでこれだけの防御をつくり出すのが、関東の城の作法でした。金山城跡や鉢形城とあわせて歩くと、土の城の考え方が体に入ってきます。

国の史跡に指定された箕輪城跡。杉木立のなかに曲輪と堀が広がる。
長野業正と、信玄が越えられなかった壁
城を築いたのは長野氏で、上野の国衆をまとめる立場にありました。なかでも長野業正は、関東管領の上杉氏が越後へ去ったあとも西上野をまとめ上げ、武田信玄の侵攻を何度も跳ね返しています。
永禄9年(1566年)、業正の子の業盛が守る箕輪城はついに武田勢に攻め落とされ、長野氏は滅びました。城には武田の重臣が城代として入り、西上野の支配を担います。上杉謙信と北条氏康と武田信玄が争った上野では、前橋城(厩橋城)や沼田城も同じように主を替え続けました。

斜面に沿って続く石積み。土の城だった箕輪城に石垣が加わったのは、井伊直政の時代と考えられている。
長野氏の家臣たちと、箕輪衆
長野氏に従った武士たちは箕輪衆と呼ばれ、上野の各地に小さな城や屋敷を構えていました。彼らは主家の命で集まり、ふだんはそれぞれの土地を治めるという、戦国の関東でよく見られる形です。業正はこの結びつきを婚姻で強め、周囲の国衆と縁を重ねました。城が持ちこたえたのは、攻められたときに外から手が伸びてくる仕組みがあったからでもあります。
落城のとき、城を枕に討ち死にした者の名がいくつも伝えられています。城内には長野氏を弔う井戸や供養の場所が残り、いまも地元の人が手を合わせに訪れます。武田方に降って家名をつないだ者もあり、そのなかには後に上野で再び名を残す家もありました。
北条氏の城となり、そして落ちる
武田氏が滅んだあと、上野は織田家の滝川一益に与えられました。ところが本能寺の変が起きると一益は北条氏との戦いに敗れて伊勢へ引き上げ、箕輪城は北条氏の手に渡ります。北条氏は一族の氏邦らを上野各地に配し、小田原城を本城とする支城網に組み込みました。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐が始まると、前田利家と上杉景勝の軍が北国から攻め下ります。金山城や鉢形城とともに箕輪城も攻められ、開城しました。山中城が半日で落ちたのと同じ年のことです。関東の土の城は、この一年でほとんどが役目を終えました。
井伊直政が入り、石垣が現れた
武田氏が滅び、本能寺の変を経て北条氏も倒れると、関東は徳川家康のものになりました。家康は箕輪に井伊直政を十二万石で置きます。徳川四天王のひとりで、赤備えを率いた武将です。直政はこの古い土の城に手を入れ、虎口を固め、要所に石垣を積みました。発掘によって確かめられている石垣の多くは、この時期のものと考えられています。
ただし直政の在城は十年に届きません。城下を広げる余地が乏しく、中山道からも離れているため、直政は南東の和田の地へ本拠を移します。これが高崎城で、箕輪城は役目を終えて廃城となりました。直政はのちに近江へ移り、その子が彦根城を築きます。箕輪で試みた石の普請は、井伊家の城づくりの出発点でもありました。

曲輪の縁に残る石積みと説明板。落ち葉に埋もれた道をたどると、次々と堀と土塁が現れる。
いま歩く箕輪城跡
城跡は杉と雑木の林に覆われ、曲輪の平坦地と堀切が良好に残っています。整備が進み、郭馬出の西虎口門が木造で復元されました。門の前に立つと、堀と土塁と門が一体で寄せ手を止める仕組みがよくわかります。
順路は搦手口の駐車場から入るのが歩きやすく、二の丸から大堀切へ下り、本丸と御前曲輪を回って戻る形になります。城域が広いので、ひととおり見るなら一時間から一時間半は見ておきたいところです。堀底へ下りられる場所もあり、そこからの見上げがこの城のいちばんの体験になります。
箕輪城跡・場所とアクセス
旅の計画に
ここを歩くコースがあります
姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」に、行程・所要時間・駐車場までまとめた実走コースがあります。
上州・信州・甲州 戦国の城と名湯めぐり ― 金山城・高崎観音・箕輪城・富岡製糸場・草(1泊2日)
1泊2日:高崎・伊香保 ― 井伊直政の高崎城と箕輪城、榛名神社と石段の湯をめぐる上州(車・1泊2日)
群馬県高崎市箕郷町東明屋。JR高崎駅から箕郷方面のバスで三十分ほど、四ツ谷または箕郷本町で降りて歩きます。車なら関越自動車道の前橋インターから二十分ほどで、搦手口に無料の駐車場があります。日本100名城のスタンプは高崎市箕郷支所や箕郷公民館などに置かれています。高崎城、金山城跡、館林城跡とあわせれば、上野の城を一日でつなげられます。

自然石に刻まれた城跡の碑。杉木立の静けさのなかに、かつての大城郭がひそんでいる。
